そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

某ブログに関しての雑感など

響鬼関連でまだチラホラといろんなところのブログを読んでるんですが、どうも男の人ってのは議論のための議論が好きっつーか、何が言いたいのか判らない内容が多くて解読に時間がかかって困ります。知り合いの男性クリエイターのブログの映画評をときどき読んでるんですが、彼も妙な引用や比喩表現が多くて肝心の映画の内容はさっぱり判らないということが多々有り…( ´Д`)本人もまあ理屈っぽい人なんですけどね。内容はともかく、判りやすさを信条とするオイラとしては文章は簡単でわかりやすいのが一番かと思うのですが…(というかあんまり難しいことは判らないんだよ)


てことで今更なんですが、今頃見つけたんで…と言うわけでもなく、我が意を得たりという感じだったんで。

過去と最新の〃鬼譚〃が互に響き交わすことを目指した編者の企図を十全に味わっていただくには、
やはり『響鬼』の第一話から第二十九話までをご覧いただくに如くはない。放映開始から半年を経過して、
DVDの発売も開始されたところではあるし、どうか騙されたと思って、第一話から第二十九話までを
御一見のほどを――。なお、現在放映中の同タイトル、同キャストによる番組は、第二十九話までとは
似て非なる別種の作品なので、ゆめゆめ混同されることのなきよう……。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月11日 14:36
幻妖ブックブログ: お詫びと訂正/『響き交わす鬼』解説中の記載について

三十話以降の響鬼に鬼譚として価値を認め得ない、東氏のその判断に口を挟むつもりはありません(ここでは私の個人的な感想は置いておきます)。鬼譚として認められない作品を妖怪アンソロジーの読者に薦めることは出来ないというのは、理解出来ます。

ならば最初から、「三十話以降の響鬼は鬼譚として評価は出来ない」と書けば良かっただけの話です。第二十九話までとは似て非なる別種の作品などと書く必要があったのでしょうか?

東雅夫氏のブログでの発言はいただけない
「響き交わす鬼」解説の訂正云々について

ブログの内容全てに同意ってワケではないし、いろいろ訂正が入ってるようですが、この辺は東氏のプロの物書きとしての意識の低さを端的に表している個所として激しく支持したいところ。(いまいちブログの使い方がわかっていないんで引用方など間違っていたらごめんなさい)


オイラも東氏のブログを見たときに同じことを思ったんですが、ブログで書くのはちょっとと思って、主に知り合いとのメールでのみそう言うことを話してたんですが、まさにオレが思ってた東氏に対する胡散臭さがこれです。プロだろうが一般人だろうが、個人的なブログで発言する分には全く何言ってもいいんですが、仮にもプロが半公式の場でこういう発言をするのはどうか。そこが東氏のブログに対して感じたイタさというか。本気でサイト訪問者数を自分の読者の数(この場合紙媒体の方の)より少ないと思ってたら、天然発言だとしても相当バカですよ。インターネットの意義をおいとくとしても。イタい人がネットという武器を持って浮かれてるって感じ。
あと「東雅夫の幻妖ブックブログ」を見て思ったのは、なんというか、この人たち(加門七海含む)はプロの物書きのくせにフィクションとノンフィクションの区別もつかないのか?ってこと。特撮ファンじゃないとわざわざ公言することで、そんな自分たちを夢中にさせた響鬼(1〜29話)って素晴しい!って言いたいんだろうけど、逆に特撮は子供のものだって言うことを失念してるダメなマニア(もしくは夢見がちなファン)の大人ってことを露呈してるのが興味深い。珍しく自分たちのフィールドで語れるものを見つけて飛びついたんだろうけど、そもそもああいうものは多人数で作っている娯楽作品だってことを前提に語るべきで、真面目な妖怪崘とか民族学考証とかぶつけても、整合性は取れないと思うのですが…(これが個人の創作物ならまた別ですけど)
加門七海さんの「響鬼」論!


てことで書き逃げ。