そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

小説にはみだしっ子

また発覚。諸々詳細はこちらを。
はすはなちゃろぐ http://d.hatena.ne.jp/lotustea/20051109/1131498238


この間、某少女漫画家盗作事件について言及したんでこれにもしてみるよ(誰も頼んじゃないですが)
基本的にこのニュースがオレにとってどうでもいいのは、三原順が好きじゃないってことと、盗作した媒体が小説だっていうことかもね。オレは昔から三原順の作品はダメだったんだけど、同い年の漫画家友にメチャクチャ濃いファンがいるんで世代的には好きな人が多いのかな、とは思うけど。(ちなみにその友達に当たり前のようにはみだしっ子の話をされ、知らねーといったら心底驚かれて何冊か薦められた。えーと、読んで受けつけなかったからダメなんだよ。ホントに絵も話もダメ)


この作家さん自体は全く知らないのですがまとめサイトをざっと見る限り、やっぱ問題でしょう。これだけ引っ張ってきてんのはあからさま過ぎ。こないだ漫画盗作事件でも似たようなこと書いたけど、モラルとプライドの問題として自分で気がついてて確信的にやってんだとしたらプロ失格だし、気がついてなかったんならこの人はプロとしてお金をもらって創作活動をするべきじゃないと思う。(自分の書いた作品が誰かの真似かどうか、気がつかないのはおかしいって。一ヶ所くらいの問題じゃないし)
あの引用の感じだと文章の体裁や言い回しというより、主にシチュエーションを引っ張ってきた感じですね。もしかしたらこの人自身、熱狂的な三原ファンなのかも。この盗作の問題は、文章の場合、似た表現といわれても文章自体はなかなか検証しようがないわけで(音楽でも似たような話がありましたが)、じゃあどこにオリジナリティを見いだすかといえば、言葉の選び方とシチュエーションの酷似の問題ってことになるんでしょうか。何かを表現するときにそのシチュエーションを選ぶということも、それ自体その人のオリジナリティであり、才能なわけですから。
TB先でも指摘されてますが、漫画のセリフをそのまま小説に持ってきても、フォーマットが違うんであまり意味がないわけです。漫画のセリフは一種独特のリズムとテンポがあって*1、それは絵と一緒になって初めて機能するという部分もあります。ひとつのフキダシにどこまでのセリフを詰め込むか、どこで区切るか、画面上にどういう配置でそのセリフ(フキダシ)を置くかによって、その効果と意味合いが変わるわけです。セリフは文章ではあるけれど、同時に絵の一部でもあるわけです。
なので漫画のセリフをそのまま引用しても、散文またはポエムにしかならないわけですね。これは絵が文章に置き換えられない、または文章を完全に漫画で表現することが出来ないというのとはまたちょっと違うところですが。(技法の問題も含めて)


そういう意味で、今回のこのような引用はやはり許されないものだってことでしょうか。しかし漫画家盗作の時も誰かいってたけど、この先もっと出て来そうな気がするね、こういう問題。これが創作の限界かといわれるとそうじゃないと思いたいのですが。(大抵のクリエイターは作家に限らず、常にその表現についてのより良い方法については模索していると思うので)
また回収絶版騒ぎになったのは、もうそれがスタンダードな対応なの?まあ三原順とこの人じゃ、知名度諸々考えても三原順だよな。
しかしHPの言い訳がまたなんとも…素材カードに文章が紛れ込んでしまったって、どゆこと?
http://www.asahi.com/national/update/1108/TKY200511080178.html

*1:これについては昔俳句との関連性を指摘した文章を見たことがあるんですが、言い得て妙だと思った。漫画文化が日本に於て受け入れられやすいのは五七五のリズムが体に染みついているからだとか何とか