そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

師匠と弟子

私情で鬼になるのが鬼としてやってはいけないことだとしたら、ザンキさんがトドロキのために、死ぬと判っていて鬼になるのも、あえて禁忌を侵して反魂の術を使ってまで師匠としてトドロキを導こうとするのも、明らかに鬼としては間違ってるわけですよね。自らあきらに語った鬼としての有り様を覆しているわけですから。

その辺の詳しくはこちらを>はすはなちゃろぐ・禁断とは http://d.hatena.ne.jp/lotustea/20051220/1135057018

これは言うなれば師匠と弟子は親子同然だとすれば、子供のために命を投げ出すのは正しいか否かということになるような気がしますが、どうなんでしょうか。明らかに鬼としては正しくないんですが、じゃあ人としてそれをせずにいられるかというとまた難しいことのような気もします。でも弟子の時はともかく、実際は鬼として独り立ちした時点で子供じゃないんだけど…
ああ、だから『もう一度弟子になれ』なのか!?(ヒビキさんと京介のことを書くつもりだったのに、この記事の最終結論はここだった!ぎゃふん!)


で、師匠と弟子がそういうもんだと思うと納得がいったのが、警察から京介を引き取ってきたあとのヒビキさんと京介のやり取り。
実はちょっとあれっ?と思ったのは、京介に対してヒビキさんが『お前は弟子なんだから、俺はお前の味方をするよ』と言ったことです。何があっても全面的に信じるというのは、その人に対しての全肯定に近いですよね。
通常そういう人間関係が当たり前のように成り立つのは、親が子に対する時くらいだと思うんですね。(恋は盲目のケースは除く)その人間の人格に対して、それがどんなものでも受け入れる、例えそれが間違っていてもまず受け入れるということ。それほどの深い信頼と愛情をもって接することが必要だと。そりゃ、弟子は一度に一人しか育てられないわけですね。
とすると、やはり師匠と弟子は親子のようなものと言ってもいいわけです。師匠が弟子を全肯定することによって、弟子の方も師匠を信頼して付いていく。どんな辛い修業も耐えられるということでしょうか。
ヒビキさんは今まで、自分が弟子を育てることに自信がないからとか、その責任を受け入れられないからとかいって弟子を取ることをあれだけ拒んでいたのに、弟子を取ることの責任と自覚はあったんだ〜と気がついたところで、これもヒビキさんの成長なのかと思った次第。

とするとまた疑問。明日夢ならともかく、京介のことはそんなに知ってないだろうに弟子に取るのかと。まああの状況じゃ成り行きに近いものがあったわけだけど、どうなんでしょ。これに関してはちょっと忙しくて考えがまとまらないのもあるけど、まあ次回待ちでもいいかと思ってるところなんですが。
逆に明日夢とはこれまでの関わりでかなり対等な関係になっていたのに、今度は親と子、明日夢を全肯定するほうに行っちゃったことになるわけですね。こうなるとやっぱり人間関係としては弟子にならないほうが…って気になるんですが…まあこの辺も来週次第なのでしょうかね。なんか投げっぱなしな結論だけど。
(ていうかさ、わたくし未だに鰹の回のヒビキさんが明日夢に教えられたことが何なのか、よく判らないんですが…その前があるからとりあえず対等だってことは判ってるけどさ)


ついでだから雷師弟の有り様としてはこれもあちこちで言われてることですが、師匠と弟子が親子ならやっぱり精神的な準備が出来てないうちに独り立ちしなければならなかったトドロキと、怪我でリタイヤという不測の事態から自分の鬼としての未来ををトドロキに託してしまった時点で、ザンキとトドロキの師弟は愛情を向ける方向を間違ってしまったのかもしれないですね。本来ならば、独り立ちした時点で親と子の関係から鬼として対等にならなければいけないはずなんですが、これも親離れ子離れできなかったことの不幸でしょうか。ザンキさんはトドロキのステージママか?
後半響鬼は考えること多すぎるね。

なんか構成メチャクチャ。とほー