そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

パネルシアターの意味について

さて感想では全く触れないようにしていたパネルシアター(以下PT)の話。オレがPTのエピソードが好きじゃないのは別にこういうネタが嫌いだからってわけだけじゃないのです。ここにPTを持ってくることは十分判ってるつもりなんですよ。
ホントは2〜3日置いてから書くつもりだったけどまあはすはなさんも書いてるんで(http://d.hatena.ne.jp/lotustea/20060115/1137334518)書いてみました。
実は昨日響鬼の感想を見て回ってたら、一年後とか医者とか出てきて「ええ?」と思ったんで公式を見に行って驚いた。(基本的にあまり公式は見ないんで)
来週、まだストーリー自体はどうなるか判らないんだけど、明日夢の進む道は医者のようですね。PTで出会った直美ちゃんとの出会いがそう導いたのか。まあ直美ちゃんが病気だとわかった時点でそういう方向だとは思ったんだけど、結局医者を目指すってことで落ち着いたんですね。


その前に後半について。結局19話しかない中でエピソードを組み立てようとした新スタッフは描くべきことを絞ったようですね。
ひとつはザンキさんたち弦師弟のエピソード。これは前にも書きましたが、物語と言うよりは番組を盛り上げるためにあったと思ってるんで、クライマックスにザンキの死を劇的に描くために必要だったと思ってます。
もう一つはヒビキの弟子取りの話。47話までの展開をみると、多分当初から明日夢は鬼にさせないつもりだったんだと思います。だからそのためのキャラとしての京介を出していた。常に明日夢の鏡像として。
イブキのエピソードは師匠と弟子であることの意味として、両方の話の意味合いを含むものでなければならないために後半は特に深く掘り下げられたわけです。


ここで気がつくと思うのですが、後半の展開はまず結果ありきのパズルだと言うことです。最終的に全部完成しなくてもいい(というか仕方ない)けど、ある程度はどんな絵が描かれているのか視聴者に見せなければいけない。
じゃあ、取りあえずヒビキさんと明日夢の絵は完成させないとなあ、ザンキとイブキはパーツ自体は少ないから大丈夫かな、姫と童子と洋館の男女は顔のパーツとか見つからないけどもういいや、背景のパーツは何がどこにあるのかは何となく判るけどちゃんと組み立ててる暇は無いから放っとこう…などと新スタッフの胸の内でそんなやり取りが交わされたかどうかは判りませんが、結局今のところでき上がったパズルは明日夢とヒビキさんが真ん中にはいるけど中心てわけじゃない集合写真のような絵柄だった…(最終回を見たら実は真ん中にデカデカといた…という可能性もあるけれど)しかも主人公二人から組立始めたはいいけど、途中ピースが見つからなかったため周りから埋めていったらキツキツになってやっとこさピースが全部嵌まったよーってな状態。
これは自分もよくやるんで判るんですが、キャラがいつの間にか動いてたというサプライズはない代わりに、話自体はきっちりと予定通りに収まる。代打で番組を任されたスタッフが収拾することを前提とした話作りをすることは当然でしょう。そうするとそこにはキャラの機微とか丁寧な描写(話を収めるために必要な描写はある)は望むべくもないでしょう。
当たり前です、元々そんな思い入れが新スタッフにあるわけないし、こんな尻拭いみたいなことをやりたいわけではないでしょうしね。(これについては脚本家は仕事であるからプロとしてどんな状況でもできる限り最大限の力を発揮するでしょうから、実質的にはPのことを言ってます。聞いた話では高寺プロットを大幅に変更したのは白倉Pだという話ですが、やる以上、自分が面白いと思う話にしたいのは当たり前だと思います。元々のプロットの意向を汲むにしても)


前振りが長くなりましたがPTの意味。
この終盤にあたっての今回の明日夢のエピソードの意味は「一度は鬼になろうと思った明日夢が、本当に自分がやりたいことを見つける」ということです。
明日夢のやりたいことは何なのか。漠然と人助けをしたいと思っていてもそのための最良の道は示されないまま、京介に引きずられるようにヒビキさんの弟子になったはいいけど、何か違う。明日夢にとって人を助けるということは体を張って危険に飛び込むということではないんですね。

明日夢に影響を与えたような描き方はされなかったしその後のフォローもないけど、鬼をリタイヤした努くんは、人を助ける仕事としてライフセーバーになった。京介の越えたい壁は現場で命を落とした消防士の父、ちなみにトドロキの前職は警察官。みんなそれぞれ職種は違うけど体を張って人を助ける仕事なんですね。もちろん鬼も然り。
明日夢がそれらに何となくだけど共感できないと思っているということを考えると(元々ヒビキさんに弟子入りの意志を聞かれて弟子になるつもりはないといったはずだし、ヒビキさんもそういう意味で明日夢を鬼にしたいとは考えてなかったと思う)、明日夢の行くべき道は体を張らなくても人の命を助ける職業、つまり医者ってことになります。

番組的にPTを使った意味は、
・子供の間で流行っていて視聴者の子供とお母さんが取っつきやすい
・子供を関わらせることが出来る
・持田(元演劇部)が関わっているということで、弟子を辞めたあきらも出しやすい
・京介が怒るほど、一見鬼になるための修業と比較してくだらないと思えるものでなければいけない。(PT自体は人のためになるものではない)
と言うことだと思います。

それでなければ、単に鬼の修業中に出会った病気の少女との交流で命の意味、生きるという意味を考える明日夢が医者という夢を見つけ出す…で良かったはずなのですから。
だから他のことはともかく、最後の「京介が怒る程のこと」というのは、ただでさえ本気で修業をしているように見えない明日夢に対して、何事も本気で真剣に取り組んでいろんな事を極めてきた京介にとっては、現時点では許し難いものでなければならなかったということだと思います。単に病気の少女に何かを感じて医者を目指した…だと、じゃあ頑張れよ、ってことになりかねないわけですから。
そういう意味でPTというのは鬼側の人達とはなんら関係性のない設定なんですね。これは即ち、明日夢自体のエピソードがそちら側にないということなんですが、結果として明日夢はヒビキたちとは全く違った方向性へと歩いていくわけです。
感想でもちょっと触れましたが、そういう意図があったかどうかは判らないけど、明日夢だけ服の色が違う*1とか本来いるはずのない京介ですらいた清めの場所にいなかったこととかが、明日夢の進む道とヒビキたちのいる場所の断絶があったということなんだと思います。


オレがPTの話はおいといてって言うのは、明日夢が自分の道を見つけるためだけなら先に言ったように修業中に出会った少女でもいいわけだから、番組としての意味は判ってんだけど単にネタとして好きじゃないということと、一応それでも明日夢の話がヒビキさん側に寄ってきてたのに何でそっち絡みで話を進めないんだろうというモヤモヤした気分があったからなんです。まあ後者の方は今回の話である意味納得はしたんで、もう突っ込まないでおこうという結論なんですが。
あの少女がいいか悪いかは最終回を見ないと判らないけど、ありきたりの不幸な少女にしなかったのはやはりベタ過ぎるってことなんでしょうかね。
まあ出来れば次回の最終回でPTは下らないといいながら、それによって自分が本当に進みたい道を見つけた明日夢を京介が認めてくれれば、オレ的にはいいかなって感じです。

*1:これ、ちょっと某所で某さんに呟かれて気づいたんですが、ヒビキ・イブキ・トドロキたち猛士のメンツが黒を着ていて明日夢が白を着ているのはいわゆる『黒は死、白は生。黒はケガレ、白はハレ』ということだと。いや、自分では立ち位置が違うんだなあとは気がついてもそこまで思い至らなかったです。「ハレとケ」の概念くらい知ってるはずなのにな。そう思って前回のを見返したらやっぱり明日夢は白を着てて京介は黒を着ていた。トドロキの黒が喪服だとは気がついたんだけどさ。てことで、ありがとう某さん!(笑)ちなみに清めに向かうときはそれぞれカラフルな服を着ていたんですが、イブキの白は死装束、もしくは儀式のための白かなーと思ったり。ヒビキさんもいつもの水色のダウンなので白だといえばいえなくもないしね。