そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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小さき勇者たち〜ガメラ〜

http://gamera.jp/
前評判も前情報もないまま劇場へ。監督が田崎さんだってことも面白ければ儲け物くらいのつもりで行ったんだけど、オレはこれはダメです。一緒に行った妹も同じく。酷評するのは的外れとkasindouさんはいってたけど、どうにもダメ。ガメラファンだからとかじゃなく、映画として面白くない。
また辛口な感想になりそうなので良かったとこから。


冒頭の昔のガメラとギャオスの戦いでガメラが自爆するところ、ちょっと泣きそうになった。あそこは夜だったってのもあって、怪獣映画っぽかったね。でもギャオスと戦ったのって日本平じゃなかったっけ?それ途中?ガメラに関してはリアルタイム視聴世代なのでその辺はちょっとおぼろげ。(余談ですがオレは子供の頃、父親と二人で琵琶湖に行った記憶があったのですが、どうもそれはガメラを見たウチの親父が琵琶湖大橋が壊されたかどうか見に行ったってことらしい。血か?血だよな。)
で、子供たちの赤い石のリレーがちょっと泣けた。最初、何で透だけがトト誕生の赤い光に気がついたのかなーと思ってたんですが、こういうことだったんですね。ガメラと感応できる子供たちがいるってことで。
あとはトト復活。その前の透少年がトトに語りかけるところは全然ピンとこなかったんだけど、復活のところは一応この映画では山場のスペクタクルなところだし、単純におおっと思った。やっぱりグルグル回るガメラはいいよ。
あとはジーダスコワすぎ。何で人食うんだよ、牧場行って牛でも食ってりゃいいのに!ああアレだ、マグロでもいいよ。(>USゴジラ)造形も動きも怖かった。お陰で思いきりトトを応援したよ。だって可哀相で見てらんない!後半の戦いよりも橋の上の方が冷や冷やした。
とまあその辺は映画としてよかったかな。
トトは小さいときは可愛いけど、中途半端な大きさの黒目がちな作り物の時が一番カワイクなかった!むしろ大きくなってからの方がいいよ。今回のこれって何でこんなカワイイ造形なのかなあ?冒頭の昔ガメラはちょっとコワイ目だよね。そっちでいいのに。まあオレは子供の時から怖いガメラの方が好きだったから。怖いけど人間の味方っていうのがいいんだよ。やられてピンチのとこまでは子供だからあれでもいいけど、最後の復活あとは冒頭くらいでもよかったのに。あれって回転飛行できるだけじゃなく、体も大きくなったのかなあ?よく判んなかったんだけど。
フィギュアも見たけどどうもイマイチ好みじゃなかったんでパス。マスコット付きシャーペンに付いてる卵ガメラが一番カワイかったんでそれだけ買ったよ。
   これね→


で、ダメなところなんですが、これって子供のための映画ってことなんだっけ。ちらほらジュブナイルだって言ってるのを聞いたんだけど、ジュブナイルって言うのは子供向けってことじゃなくて少年少女の物語だと思うんですよ。つまり大人に対しての少年少女。だから子供に対して道を示す大人がいて、子供がある出来ごとを通して成長するからこそ普遍的な子供のための物語だと思うんですね。まあこれはオレの解釈ですけど。
このガメラには大人と子供の交流ってないんだよね。これは監督が田崎さんだからなのかどうかは判らないけど、どうも東映の特撮系監督のカラーとして、大人を描けないというのがあると思うんですね。ライダーも戦隊も大人らしい大人が出てこないし、この辺必ず大人がいる超星神なんかと比べるとすごくはっきりと大人の不在がある。
子供たちが主人公として活躍してれば子供のための映画ってことじゃないと思うんですよ。これは監督が勘違いしてるのかなあ?そういう意味で全体に子供たちのファンタジーという作りになってるかというと、そうでもない。
それとも子供たちは単純に子供が画面に出て活躍してれば喜ぶの?オレの隣の席の女の子は特にすごく興奮してたわけでも退屈そうだったわけでもなかったけど、冒頭のギャオスがガメラを食うとこはすごく怖がってたな。


以下、ネタバレもあるけど良いこと全然言ってないんで。


最初に言っとくと、オレは主人公である透少年の性格がよく判りませんでした。だから余計に感情移入できないのかな?
普通、生き物を拾ったらまず心配するのはエサだと思うんですよね。それなのに食べ物の心配をする描写は全くない。しかもこの家は定食屋さんなのにその辺の設定も特に活かしてない。トトが透の留守中に冒険するだけ。しかも透の趣味がスケボーだっていうことは、この時のトトのコミカルなシーンの演出のためにしか使ってない。(あと大きくなったトトを運ぶためにボードを使ってるけど、なぜか自分のボードじゃなく友達のボードを使ってる)
ここはいっそのこと遊んでるトトにお父さんが気がついて、透が帰ってきたらお父さんがトトと一緒に待ちかまえてたくらいはして欲しかった。
そして自分の愛称をカメに付けてるんだけど、それも特に活かしてない。そう呼んでくれた母親に対してどういう感情があったからトトって付けたのかな?演出的には中途半端。
いいけど男の子って拾ってきたカメが空を飛んだらカッコイイって思わない?それなのにいきなり捨てに行っちゃうなんて!そして捨てに行ったはずのトトをまた持ち帰ってきた理由が車に引かれそうになったのを助けてやったって。ええー?
普通は透を追いかけてずっと後を付いてくるトトがいじらしくなって持ち帰ったとかじゃないのか?でもそれだったらもっと延々と付いてくるところを見せてくれないと。捨てに行くのも持ち帰るのも特に何か悩んでる風もないし、イマイチ何がしたいのか判らん。
まあそれらを含めてこの辺、トトが余りにも早く大きくなったせいで、十分にトトと少年たちの交流が描けてないと思うんですね。
で、一番引っ掛かったのは透のお父さん。昔ガメラの自爆に心を痛めた子供だったっていう描写をしてるにも関らず、子供たちとトトの交流には絡んでないんですよね。
しかも透の家はお母さんが亡くなったばかりで、いきなりお父さんと息子でコミュニケーション出来なくて…とお父さんの津田寛治とお隣さんの寺島進がそういう話してるのに、じゃあそこで父と子の絆がトトによって強くなる…っていう方向に話が行かないのが判らん。
子供たち同士で世話をしてたカメの秘密に気がついて、お父さんも一緒にガメラの子供を育てればいいじゃんよ。そうでないから、お父さんがトトを初めて見たのがジーダスが町を襲ってるときになっちゃって、避難所で透に「あれはガメラだ、トトじゃない」って言うセリフが全然説得力ないんだよね。それともそういうシーンあったけど切っちゃっただけ?だって、一緒にトトを育てたお父さんが「あれはトトじゃない」っていうんなら判るけど、この映画だと透に「お父さんはトトを育ててないから判らないんだよ」って言われたらお終いじゃん。
それでお父さんが伊勢志摩から名古屋まで子供たちを連れていくんならいいんだけど、あの状況で子供たちだけで名古屋まで行くことが出来るってのも不思議。結構距離あるよ?その上近場に怪獣でてるんだよ?子供たちだけの大冒険っていう雰囲気を出したいのは判るけど…そのせいで名古屋に着いてからよく判らんことになってるんだよね。そもそも、隣のお姉さんに赤い石をあげなきゃよかったんだよな(笑)
透が伊勢志摩から名古屋のトトに石を渡しに行くでもよかったはずなんだけど、それだと石のリレーが出来ないからなあ。ちょっといろいろ無理がある感じ。
自衛隊の攻撃はあえて出さなかったってのはどっかで見た気がするけど、でも普通は攻撃すると思う。平成ガメラ(2と3)みたいなのが見たいわけじゃないけど。
それで怪獣対策室と雨宮教授。教授は最初の会議シーンでファイルで名前を見せるとかじゃなく、あえて会議場に乗り込むとか子供向けの演出してくれないと。子供向けなんだよな?この映画は。
それであの参事官は何のためにいるのか判らんし、結局ガメラを成長させてジーダスに対抗させるって、ガメラ頼みかよ!ガメラ自体の脅威は考慮してないのか?それが33年の研究の成果?
ビルに頭突っ込んでくたばりかけのトトに赤い石を届けに行った透少年がトトに語るところが全くピンとこないのは、最初にお父さんを交えてのとトトの交流があり、昔のガメラの話を聞いたりして透が何かを考えてのことならともかく、そうじゃないからなんだよね。お父さんが透の行動を信じるのも、最初の方で対立や和解があるわけじゃないから全然盛り上がらないし。
一番納得できないのは、最後飛んでいくトトに向かって透が「さよならガメラ」と言ったとこ。「ガメラ」じゃなくて「トト」だろー?それまで透はトトとガメラを同一視してないし、ガメラとして復活後のラストバトルを応援してたんでもないのに、何でガメラなんだ?透少年にとっての「トト」が去って行ったんじゃないの?ここの監督の思惑ってどうなんだ?何かスッキリしないよ。それとEDのキャスティングテロップは「ガメラ/トト 中の人の名前」にして欲しかった。
あと引っ掛かったのは、隣の真珠屋一家が名古屋に行ってるときに怪獣が地元の町を襲ってんのに、全く心配してないとこ。自分の町があんなことになってるのに平気なのかよ?それとも避難所のツダカンと電話してるときにそんなこと言った描写あったっけ?目の前で怪獣に人が食われてるのを見てたはずの透の友達が全然平気なのもビックリしたけど。返り血浴びてたぞ?
トトが捕まってる研究所、参事官に名古屋港上陸との報告が入った直後に研究所が破壊って、そんな海のそばか?(笑)まあこないだ名古屋に行ったばかりらしい妹がいうには海にいたはずのジーダスがいつの間に熱田に?てことらしいが、そんなのは地元じゃないから別にいいよ。でも知ってる街が舞台だといろいろ楽しいかもね。
逆にジーダスが何で現われたのかとか人を襲うのかとかガメラをつけ狙うのかとかは特に気にならんな。だって怪獣の考えてることなんか判らんよ。
あと特撮は、ミニチュアの出来はともかく、やっぱりライティング。CGは特に気にならなかったのに、どうにもあの不自然な光の当て方で何もかも台無しに。ここんとこは本当に東宝のノウハウを学んで欲しい。折角の市街戦なのにときどき現実に引き戻されるよ。がっかり。


とまあ、言いたいことはこんな感じ。不満ってわけじゃないな、だって面白くなかったんだもん。不満ていうのはもうちょっとこう何とか出来んもんか〜って時に言う言葉だよな。まだパンフとかは読んでないんでこれから読んでみるけど。


追記:コメント欄の話から「ガメラ映画のカタルシス」へ続く