そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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天保異聞 妖奇士#7「竜は雲に」

http://www.ayakashiayashi.com/
『人はひとりひとり異なる。だけど、だから平凡な一人の人間なんだよ』

自分が人を殺めたという事実を受け入れられなくて「雲七」という妖夷を創ってしまった往壓と、逃げ場所を求めてケツアルという妖夷を創ってしまったアトル。それを同じだから裁けないというにはちょっと無理があるような気がすんだけどさ。
もちろん往壓の人を殺した罪は消えないんだけど、その決着のつけ所はどうなんだろ。それ自体は賛否両論な様な気がしなくもないけど、この物語としてはあれでいいんじゃないかって気が。殺されたほうも納得してるしさ。
アトルを説得する往壓さん、なんか難しいこと言ってるけど、結局自分が特別だと思う心が妖夷を呼ぶってことなのかなあ?特別だからという逃げ道を作らず、自分自身に向き合って生きていく。『人はひとりひとり〜』のセリフは、裏を返せばどんな平凡に生きてるように見える人々にもそれそれ抱えた闇や辛いことがある、だからそれは人ぞれぞれ折り合いつけて生きていくことが大切…ということなのか?
そうやって清濁併せ呑んで生きていくのが大人だから…といっても、往壓さんはそんなに罪の意識を感じてないようなところがちょっと問題なんだよな。まあ要するに、生きるってことは汚いことも納得できないことも抱え込んで進んで行くってことなんだろうけど、往壓にそう言わせちゃう脚本は正直微妙ではあるんだけど。お前が言うなって感じ。引っ掛かったから考えてみたけど、考えれば考えるほど難しくてどうも…

どんな酷いことも過ぎてしまえば忘れてしまえるのが人間だから、少なくともお篠はお篠で家庭があったというのが救いなんだけど、往壓を告発しようとした理由とか、親分の『でも罪は罪だ』とか、突っ込むとどうにもわりきれないところもグッと我慢するのが大人ってもんか?幽霊とずっと一緒にいる…っていっても、往さんは殺したこと自体忘れてたし、罪を認めて認識したところで雲七は雲になっちゃったからなあ。やっぱり罪の意識は薄いんじゃないかと。というか殆ど他人事だよな。ギリギリ判んなくはないんだけど。
アトルは吉原に預かりに。確かに吉原ならある意味治外法権だし、一見夢の国だな。(でもここでアトルは、どうにもままならない人の人生を見ることになるのかと思うと、この話のオチとしてはえらいブラックなオチでないかと…)
しかもケツアルの中に雲七が残ってたとなったら…素直に喜んでますよ、往壓は。竜は雲に、雲は馬に。おいおいおい。なんかもう、會川先生は〜(苦笑)