そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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ウルトラマンメビウス#40「ひとりの楽園」

http://hicbc.com/tv/mebius/main.htm


うーん悪くはないんだけど良くもないっつーか。オレの「ウルトラジュブナイル論」(なんだよそれ)でいえばオッケーの範疇だけど、テーマが全一的な意識統合で、おまけに話がぬるいし全体に演出もテンポ悪いし展開もいまいちだし、最後あれで終わりってのはないよなあ。アクションにしたって相手が植物じゃ動けないし。
脚本がまた朱川氏だからってことはないけど、まるっきり「昭和のウルトラ」なんだよな。それでも前回の「無敵のママ」はマックス的なバカバカしさ*1 が多少はあったけど、今回はそれもない。単に昔のウルトラマンをやっただけなんだよな。
 
でもオレがメビウス後半の何に不満があるのかは判ったよ。
メビウスは「昭和のウルトラ」の続きの「平成のウルトラ」であるべきなんですよ。
その違いは何かというと、特にメビウスに於ては昭和と同じノリでありながらいろいろなことに新解釈というか、更なる突っ込みを見せてくれたというところがオレにとって新しかったんですね。
それが最初の頃の地球の常識を何も知らないウルトラマンであり、カラータイマーの新しい定義づけであり、GUYSで戦うということの意味の新しい見せ方だったんですね。そしてシリーズ中最も佳作である(と思ってる)22話「日々の未来」を経てのミライくんの正体バレであったんですよ。
だから後半は「ウルトラマンの正体がバレても仲間として戦う」という今までなかった展開を踏まえたうえでの新しい展開であり新しい解釈、ウルトラマンが同じチームにいるという「メビウスらしい」話を見たいのに、実際はどんどん退化してってる。
実際、映画と正体バレまではメビウスらしいそういう意味で「硬派な」ストーリー展開だったと思うんだけど、本当にそのあとはグダグダというか、単にGUYSが仲良し馴れ合いごっこに見えるという以前の問題なんだよ。ミライくんがむしろ透明人間になってしまって、その能力や出自を各話の展開に生かすということを放棄してる。単にリュウが「ミライ、頼む」っていってミライくんが変身して戦いに行くんなら、正体がバレててもバレてなくても同じじゃん。
ウルトラマンがチーム内にいるという前提でもそれに頼らずギリギリまでGUYSの力で戦うということと、いないものとして扱って、最後だけお約束的にウルトラマンが出てきて戦うということは違うと思うんだけどなあ。作り手側がその新しい展開の設定を上手く使えてないんだよな。
どうせならミライくんのウルトラマンとしての能力を便利に使うくらいのシビアな展開を少しは見せて欲しいんだけどなー。(33話「青い火の女」34話「故郷のない男」くらいかな、ミライが宇宙人だということが話に上手く使われてるのは)
だから昭和と同じウルトラを見せられても、それは単に昭和のウルトラのリメイクであって、平成の「メビウス」じゃねーってことなんだよ。というか今の時代に昭和そのままのことをやっても、単にぬるいお話ってだけだし。
そういう意味でも今回のは特に今更。同じことやるにしてももうちょっと別の切り口を足して欲しかったかなあ。アクションも出来ないんじゃ話にならんよ。人々のマイナスエネルギーが強すぎて植物怪獣が凶暴化して大暴れくらいしてくれてもいいんでは?話がツマんないときほどアクションは入れてくれないと。(逆に言えばもし予算がないのならドラマとしてのレベルをあげてくれないとなあ)
その辺もうちょっとスタッフは考えて欲しいんだけど。(ってもう撮影終わってるからいってもしようがないんだけどさ。このあとどこまでメビウスらしさを取り戻せるかなぁ)
というか、ミライくんが話に絡まなさ過ぎですよ。主人公なんだから!もうちょっと上手く話を作って下さい。


予告。80が!というか同窓会?今度こそメビウスらしい話を…!
メビナビ。予習かよ!

*1:といっても、マックスのバカバカしさって、根本的な何でもアリ感と、あの何だかいい加減なDASHチームだから成り立ってた…というのはあるんだよな。