そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

それはそれ、これはこれ。

「それはそれ、これはこれ」という考えが大変性に合ういい加減なオレですが、なんとなくぼんやりとグインなんか読みながら、「それはそれ、これはこれ」は、作家(何にしてもクリエーター)として必要な割り切りのような気がすんなーとか思ったり。
もちろん作品として、物語として、辻褄が合わないこととはまた別物だと思うけど、それでもそう言ってみる。(当然カブトのことなんか頭にあったり)


一人の人間が物語を作るとき、キャラのありようにしても物語の思想にしても、ひとつの統一された何かで貫かれているものって判りやすいし共感を呼びやすいとは思うけど、混沌としたものが「世界」であるならば、そんな統一感があって隙のないものは「物語の中の世界」としては出来すぎてるんだよね。だから"お話"には自分の分身や理想はともかく、あえてその逆の人間や嫌いな人間をわざと重要な役で創って、物語の振り幅を広げようとしたりするんだよね。
だけどそうやって混沌とした「世界」が出来上がっていくと、当然自分の考えと折り合わない、意思に反する状況になったりするんだよな。(何でグインからの連想でこういうことを言うかというと、ご存知のかたには改めて言うまでもないけどグイン・サーガってのはとてつもない一大群像ファンタジーであるからなんですが…詳しいことは各自で。*1
そこで出てくるのは「それはそれ、これはこれ」なんだよね。
というかそうして作り手にとって都合が悪くなったファクターに対して、そうと考えでもしなければ、作ってる方が先に進めない、というか物語は自分の想像より大きくはならないと思うんだ。
それが「物語(キャラ)が勝手に動き出す」ってことに繋がるんじゃないかなとも思うんだけどね。(や、ホントのとこは判んないけどさ)


カブトのキャストの話で「自分が思っていた演技と違うことを要求されて、折り合いをつけるのが大変だった」ってのをよく聞いたんだけど*2 徳山さんにしろ水嶋くん佐藤くんにしろにしろ、自分が作ってきたキャラに対して「それはそれ、これはこれ」がないととてもじゃないけど乗り切れなかったと思うんだよ。ちょっとくらい今まで自分が作り上げたキャラと違っても、「そういう捉え方もあるんじゃね?」「それはそれ、これはこれで」と考えるしかないようなさ。
でも基本、ライダーキャストに求めてるものって、酷だけどそこで新人に近い彼らがどうキャラや物語に折り合いを付けていくかってことだったりもするんで、それも含めての"楽しみ"なんだよね。


そう考えると「それはそれ、これはこれ」ってのは、「自分」という殻を破って「世界」を掴めるか、という話にならんかな。
というか自分でもどうまとめたいのかよく判んなくなってきたのでこの辺で。(投げやり!)
キャストの話で締めてるけど、米さんや白Pの「それはそれ、これはこれ」は覚えていればまた今度。(あるのか?)
でも集団で作り上げていくドラマみたいなものは、脚本家にしろ監督にしろプロデューサーにしろ役者にしろ、「こうしたい」と思ってても、必ずしも思った通りになる・できるワケじゃないから、そこで「それはそれ、これはこれ」である程度許容範囲を広げるってのも必要だったりするんじゃないかな。今更か、そんなことは?
まあ、一応思いついたことを忘れないようにの覚え書きなんで。
どっちにしても書きながら考えるタイプのオレには携帯更新はツラいぜ!(でもだって、ヒマなんだ)


てことで、確信犯の敏樹師匠ではなく、無意識犯の米村さんのことを考えながら(苦笑)

*1:オレの印象ですが、指輪やナルニアなんかの海外ファンタジーって何だかんだ言っても思想や宗教観は作者個人の考え方が出てるような気がします。完璧すぎるというかね。それと比べると日本人作家って宗教観が割と曖昧なせいか余りそういうところに縛られてなくて、その分そういう世界の創り方に個人の資質ってのを感じるのです。「世界」を創るにあたってタブーや縛りがない感じというか。

*2:これ自体は毎年のことで目新しいワケじゃないけど、去年はブログや雑誌インタビューが多かったせいで結構外部に聞こえてきたからね。