そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

良太郎の想い

今回7・8話のエピソードがオレ的に今までより面白いと思ったのは監督が石田監督だからだけど、それは単に石田監督が好きだからってだけではないのですよ。もちろんライダーにおいて自分が見たいものを常に見せてくれる監督だから好きって言うのはあるんですが。
オレが電王の1〜6話で面白くないと感じてたのは、主にゲストキャラの扱い、キャラやエピソードが薄くて突っ込み不足だと思ってたからなんですね。
そもそも電王が今までの平成ライダーと違うのは、物語の展開にゲストキャラが必ず必要だということです。電王がイマジンと戦うという舞台設定を作りだすための装置として、ゲストキャラの過去の思い出がキッカケになる、その過去を改変しようとするイマジンとそれを倒す電王というのがこの物語の構造になってるからです。
とすると普通はゲストキャラをもっと掘り下げるべきだと思うんだけど、どうも電王の場合、それはもう一つの語りたい物語のためであって、ゲスト自体は重要じゃないらしいとやっと判ってきました。つまり大事なのは良太郎や愛理、ハナやイマジンたちの物語で、ゲストはそれら物語を導くための単なる装置でしかないんですね。
そう気がついたのは今回の話でゲストの、物語がキチンと描かれたからです。
今回の優美と友也ですが、今までのゲスト、テツオ、山越、大輝たちと同じく描写は薄いです。実は脚本だけ追うと、キャラや彼らの事情は深くは描かれてはおらず、通り一遍の記号的な出来事・状況しか描かれていないんですね。
この辺、スタッフの役割分担がどうなってるのか判らないけど、脚本が同じ小林靖子ということでゲストの掘り下げやキャラ解釈は各話の監督次第という前提で話をしますが、脚本的にはどのゲストの物語も同じ程度に薄いと感じます。


それはさておきこの話で特に重要な部分は、良太郎と愛理の事情なわけです。
物語の展開に必要な謎になるのか、それとも良太郎というキャラの考え方を描写するためのものかは今のところ判りませんが、今回の描写だと明らかに良太郎の行動の指針となるものが「愛理の忘れてしまった記憶」であるということを印象づけるものであるわけです。
感想でも書きましたが、良太郎が「嫌な思い出を忘れてもいいのか」と優美に問うところ。
良太郎は嫌な思い出と一緒に良い思い出も忘れてしまうのなら、それは「幸せなことじゃない」と思っているんですね。
でも普通の人が嫌な思い出を忘れたいと思うのはわりと自然なことだと思うんですよ。それが7話でのモモタロスが言うところの『良太郎、お前運が悪すぎて感覚おかしくなってんじゃないのか?』と繋がると、嫌な目にばかりあっている運の悪い良太郎だからこその「その中で少しでも良いことを見つけたい、良いことがあるってことは幸せなことだ」という超ポジティブシンキングになるわけです。
それは嫌な目=嫌な思い出に耐えられる良太郎の強さでもあるんだけど、それは嫌な思い出を実際忘れてしまっているらしい愛理に対して常に感じていることでもあるんだな、といいうことですね。
愛理が「嫌な思い出」として忘れてしまったことの中にはたぶん良太郎が思う愛理の「良い思い出」もあるだろうから、愛里に思いだして欲しい。それを愛里に言えない代わりに優美に問うわけです。
優美は「嫌なこと覚えていたくない」というんだけど、実際はそれは「嫌な忘れたい思い出」ではなく、覚えているのが辛く苦しいから「忘れたいと思う思い出」にすぎなかっただけで、それを忘れるということは友也との楽しかった思い出も忘れると言うこと、それは優美にとって幸せなことではないと良太郎は思うわけです。そして良太郎のその思いは、この物語の中では「正しい」ことであるんですね。
優美と友也のカップルははっきり言って非常にはた迷惑な"イタイ"カップルではあるけど、物語的にはそれは重要でないからこの際どうでもよく、良太郎の考え方がそうだということが判るというのがこの話で一番大切だと。

とすると今まではどうだったのか?
脚本が同じなら出来たものは監督次第。今までもゲストの話に絡めて本当に描きたかったことがあって、でもそれが上手く絡んでなかっただけなんでは?というのがオレが思う結論。テツオも山越も大輝もそれぞれ何かドラマを展開しそうという感触だけで、メインキャラの話と微妙に噛み合ってない落ちつかなさがオレには面白くないなあと感じてたんですね。
別に他の監督を腐すつもりはないけど、石田監督がこのドタバタしたドラマの中で何が一番重要かということをちゃんと掴んでそれをはっきり見せてくれたから、オレはその部分で納得出来たし、ゲストの描写が薄くても物語の役割としては機能している、全体の話としては面白いと思えた・・・ということなんですね。
別に今回の石田監督の畳みかけるような徹底したギャグ描写やバカみたいな演出だけが面白かったというわけではなく、その中で何を言いたいのかがちゃんと伝わってきた、というのがポイントなのです。そこが判ったから、「電王が面白いと思えた」んですね。逆に言うと他の監督の時に見たいものを見せてもらえなかったというのはまさにそこなわけです。