そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

ULTRASEVEN X#10〜12

http://sevenx.jp/index.htm

#10「MEMORIES」
#11「AQUA PROJECT」
#12「NEW WORLD」

やーっと見たよ。3話まとめて感想で十分だよね(苦笑)
クライマックスのラスト3話で物語の核心に迫り、急転直下解決・・・というにはあまりにもお粗末というか、やりたいことは判らんではない。だかしかし、これはないだろと(笑)
各話での「こういう世界での物語」というスタンスでエイリアンと人間側の話、そこに絡む赤い巨人ウルトラセブン・・・という構図で最後まで押し通してもよかったんじゃないかなあ。別に世界の秘密なんか、どうでもいいからさ。つか結局エイリアン関係ないじゃん。謎の存在・地底の蜘蛛はエイリアンやこの世界(DEUSとか)とどういう関係が?アクアプロジェクトってエネルギー問題の研究でしょ。政府との関係性やエレナとジンの関係は繋がらないよ。セブンがジンを助ける理由もワカラネェ。
というか12話あればそれだって十分描けるし、ライオン丸Gみたいな方法だってあるわけだから、無理にオチを付ける必要もないと思うんだよね。そういう意味では残念。
こういうのってアニメでは出来ると思うんだよ。媒体的な手法の問題じゃなく、人材的な問題で。それと別方向な見せ方でやればライオンGなんだけどさ。
 
ちょっと感想とは違うんだけど、オレが実写特撮をアニメより下に置いちゃうのって、クリエイターとしてのモチベーションや意図がはっきりしないってことが大きいんだよな。
つまりさ、創作作品を作る場合、アニメって何かを創りたい人間が作品を作ってる、ドラマの業界だってそうだと思う。何かを創りたいと思ってる人間が、それを可能にするポジションを手に入れ、作品を世に生み出していくと思うのよ。
だけど特撮って妙に閉鎖的というか、制作システムがいろんな意味で面倒だからってのもあるんだろうけど、何かを創りたい人間が作品(番組)を作るんでなくて、何かを創ることが出来るポジションにいる人が番組を創るためにクリエイションしてるっていうふうにしか思えないんだよね。特に最近の特撮周りは。だから円谷みたいにトップダウンでミニチュアやめてフルCGでとか言い出すんだろうけど。作品を創るって、そういうことじゃないと思うんだよな。
何かを創れるポジションにいる人間が必ずしも創作能力の高い人間とは限らないし、そういう人材を好きなように集められるとも限らないから、こんなことになるんだよなあ?
つまり何が言いたいかっていうと、この「ULTRASEVEN X」って番組は一応番組の体をなしてはいるけど、作品としては非常にレベルが低いと言いたいわけだよ。素人学生の投稿作品か?本家ウルトラのパロディですらないよ。あ、別に怒っちゃいないですよ、ウルトラがぬるいのは判ってるから。単にクリエィション面での作品完成度が低くても構わないとしか思ってないような円谷の態度の問題をあげつらいたいだけです。
 
ULTRASEVEN X」に限らず円谷のウルトラがどうしてぬるいかというと、結局世界や物語に対して、キチンと詰めて考えられるクリエイターがいないからということに尽きると思うんだ。(もしくはそう出来ない何か問題がある)
その点、東映だって似たようなものだけど(>ライブ感w)、少なくとも昭和から平成になった時点で、何を描くべきかということの問題意識は持ってると思うし、毎回違う世界観の話を立てなければいけないってところで、Pにしろ脚本家にしろ監督にしろ、ある程度の創造力をもって物語世界を成立させるためのクリエイションはしてると思うのね。そういうのを作り手の本気っていうんだけどさ。(当然、東宝、松竹も同様)
ところが円谷だけはそれがない、ないは言い過ぎだったら、感じられない、んだよ。
判りやすいから同じ深夜の1クール物でライオンGを引き合いに出すけど、謎とか秘密が全く語られなくても、その世界が成り立ってるのはちゃんと裏では考えられてるからで、しっかりとした見えない土台に乗ってるから語られなくても世界にリアリティがあるんだよね。最初のうちは戸惑ったけど、それでもいい思えたのは、結局やりたいことは「ライオン丸の映像化」だってことで、物語自体を見せたいわけじゃないからということに気が付いたからで、でもそれをOKと思ったのは、話が面白くて世界観もちゃんと考えられてるというのがはっきりリアリティとして感じられるから、ということなんだよ。(一応、牙狼とかオリジナルのものはまた別で、そういうのはそれなりの話数でちゃんと世界観を見せてオチを付けてくれないと困るんだけどね)
だから今回のセブンXだって、一番大事なのはウルトラセブンの映像化ってことだと思うから、それをどう見せるのかってことだと思うんだけど、その「どう見せるのか」の部分に全くクリエイションが感じられないのが、ダメだったなと。
実は平行世界だったとか、謎の存在が統治してる管理社会だとかいうお膳立ての問題じゃなくてね。そんなことは、物語上はどうでもいいんだよ。大体星から来た巨人が存在するってことそのものが「何故?」の世界なんだから。そういうものだと言っちゃえば理由なんか要らないし。でも理由は要らないんだけど、どうしてそれが成り立つのか?というエクスキューズは必要なわけで、それがリアリティってことだと思うんだけど、そういう描くべきことを間違ったまま12話終わっちゃったのは残念だと思うなあ。
この作品でよかったことといえば、キャラのバックボーンは全く判らないままリアリティも何もないんだけど、与座重理久と脇崎智史はよかったなあとしかいいようがないよ(笑)エスとケイのキャラ立てはちょっとよかっただけにもったいないなー。