そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

さらば仮面ライダー電王ファイナル・カウントダウン 初日舞台挨拶 in 池袋

http://www.saraba-den-o.jp/

キャスト狙いの丸の内・新宿に玉砕したオイラですが、友達が池袋を取れてました!やた!声優舞台挨拶です。
関さん、遊佐さん、鈴村さん、三木さん、神谷さんの5人ね。最初はガワが出てきて一幕あって(これの声は録音)、そのあと声優さんたち。えーとなんかいろいろ面白いこと言ってたような気がしましたが、すっかり殆ど忘れてしまいましたヨ。
司会のおねーさんが無茶ぶりすぎてなんでこんな人雇ったんだと関さんが突っ込んだり、もひとつ関さんがうっかり電王映画"3回回し"って言ってみんなに三回目だって突っ込まれたり、その確認取るのに鈴村さんに振るとBLACKは何度もやってるけど平成は初めてだとか勝手にウンチクを語ったり、関さんは松村さんとの共演は「スクールウォーズ」が好きだったから嬉しかったとか、遊佐さんが珍しく噛んだりとか、神谷さんは自分がライダーに出てると言うことが信じられない(神谷さんも特撮好きなのか?)、自分の声流れてました?と観客に聞いたり。
うん、関さんが一番なんかいじられてクルクルしてた。一番テンション高かった気がする。
みんな改めてキャラの声で何か言ってくれといわれると恥ずかしくて戸惑いがちとか。三木さんはジークの声で何かって言われて好きなシーンを言うつもりだったったと言ってみたりとか(三木さんはコメントを求められたら「私はもう言った」って言ってくれなきゃ!w)、鈴村さんは「映画面白かったよね、答えは聞いてない!」とお約束のセリフ。えーとなんかそんな感じ?
全部で20分くらいでしたー。
 
てことで本編の感想。(2回目!)
試写会の時に感想書かなかったんで、なんかちょっと冷静になってしまったと言うか、2回目もただただ面白かった〜としか感想が出てきません。書きたいことはあるんですが。
つことで何となく気分転換に映画感想サイトのレビューみたいに書いてみたり。一応ネタバレ感想として隠しときます。
 
恒例の夏の劇場版「俺、誕生!」、Vシネから映画に昇格の春の電キバお祭りムービー「クライマックス刑事」に続いて、異例の3度目の映画「さらば電王 ファイナル・カウントダウン」と言うことですが、「劇場に掛けるんなら最初から劇場用として撮りたかった」とういう金田監督の意向通り、最初から劇場版として作られた本作は、確かに劇場版クオリティの出来だった!
松村雄基と神田沙也加というお祭り的要素を排したキャスティング、ストーリー重視の展開、シリアスに作られているにも関わらず、TVシリーズの各キャラのキャラ性はきちんと保っており、それゆえお約束的ギャグシーンだけでなく随所で笑えるシーンを生み出している。
観客は相変わらずなイマジンたちのバカ騒ぎと、TVシリーズが終わっても変わらない弱く、それでいて強い良太郎に安心し、侑斗の「俺たちが守った時間だ」という言葉にTVが終わった後にも新しい時間がちゃんと流れていることを感じ取れる。

作品としての主役は桜田通演じる未来から助っ人にやって来た良太郎の孫、野上幸太郎ではあるが、実質的主人公はモモタロス。(と残り3人+2人のイマジンたち)
始まった時点ですでに囚われて仮面ライダー幽汽として肉体を乗っ取られている良太郎を助けだすということで、観客は冒頭から、この映画がモモタロスたちと良太郎の絆の物語でもあるのだということを改めて認識させられることになるのだ。
そのため「強い良太郎」(でも運の悪さは受け継いでるらしい)として出てきた主人公・幸太郎が幽汽に敗北してからは、その幸太郎を責めずに良太郎と重ねて見守るポジションとしてのモモタロスのお陰で、良太郎は画面には出てきてはいないのだが、常に良太郎の存在を感じさせる展開になっているし、幸太郎が判っていなかった良太郎の強さ、意思の強さを見せると同時に、そのこと自体がモモタロスたちと良太郎の今まで培った絆を描写することになり、囚われの良太郎が戻ってくることで最大のカタルシスを得ることになる。

この映画のクライマックスはまさにそこで、死郎の放つ山賊たちと戦いながらもモモタロスたちの戦いの意義は、視聴者にとっては良太郎をゴーストイマジンから取り戻す戦いであるということが明確に描かれているということにほかならない。モモタロスが死にそうになりながらも(予告にありがちなフェイクでも何でもなく)まさに命を懸けても良太郎を目覚めさせ取り戻そうと奮闘するのは、目覚めさえすれば良太郎が戻ってくることをモモタロスたちだけでなく、観客が信じて疑わないからだ。それが信じられるというのが、今までの電王で見せられてきたものであって、そこが描かれたことがこの映画が単に商業主義のお祭り映画というわけではない、ちゃんとした電王の、良太郎の物語だと言うことである証明なのだ。

ファンとしてはイマジンたちの掛け合いも重要なのだが、それ以上に電王という作品に何を求めるかというと「良太郎とイマジンたちの物語」である。この映画であえて説明されていない部分があるが、それが「良太郎とイマジンたちの物語」に何か影響を及ぼすかと言うと、全くといっていいほどない。
死郎とソラの物語は全く説明されていないが、必要な描写はされている。死郎が若くして死んでしまったソラ(たぶん流行り病か何かで?)を生き返らせようという執念と怨念がストーリーのメインであり、彩りを添えているのは当然としても、そこに「どうやって?」ということの理由は必要なく、幽霊列車で時空を超え、特異点である良太郎を使って生者と死者を入れ替えようとしているということだけ判ればいいし、それは良太郎の孫の幸太郎がNEW電王となってデンライナーで現代に助けにやって来たことの理由がはっきり説明されていなくても構わないことと同じである。そんなことはこの映画において大した問題ではないのだから。
脚本の出来のおかげか演出のさじ加減のおかげか、バランスとしてその辺りをあまり考えなくても楽しめるように物語が作られているところが娯楽作品として素晴らしい。(それともTVシリーズで免疫が出来てしまったのか?)むしろその部分を必要以上に拾わなかったお陰で、この映画は良太郎とイマジンたちの物語になったのだから。
そしてモモタロスたちを通して良太郎を語ることで、幸太郎もある意味成長することができたと言うことも描写されている。
良太郎に対して「あまり会ったことがない」「恨みがある」「自分の方が強いのに」という幸太郎が、物語の終わりにはおじいさんになった良太郎と肩を並べて歩いて帰っていく。現代の良太郎には礼を言わなかったのに、自分の時代の祖父・良太郎には「ありがとう」というのが、彼の成長を表している。そういう何気ない部分でキャラの気持ちを描いているのが、この映画のよく出来たところであると思うのだ。
 
そしてそういう「気持ち」を見せる映画だということとは別に、活劇としても出来のいい作品であることはいうまでもない。
新キャラ、NEW電王とテディの戦いは今までにないカッコ良さ。最初から弱かった良太郎や、口上で自分の強さを誇示するタイプの侑斗と違って、まず行動ありきの有言実行タイプで、指を鳴らすアクションと音が歯切れのよさを感じさせ、映画にテンポを与えている。
街中での派手な立ち回りは一番派手な部分ではあるが、ここは実質クライマックスなので当然としても、そのあとにもちゃんと様式美としての見せ場と言うべき「名乗り」のシーンが用意されている。
死郎が蘇らせたイマジン軍団に対する「電王軍団」とも言うべきライダーたちの勢揃いシーンには、戦隊的な並びのバランスの良さではなく、武骨な漢たちの集団ともいえる格好良さがある。まさに西部劇やアクション時代劇のような様相で、バラバラさが逆に華やかな賑わいを見せている。前回の「クライマックス刑事」が「西部警察」なら、今回は黒沢映画のような痛快娯楽活劇を目指したと見て取るのは容易いことだろう。そして監督のその目論見はは成功している。
このようにTVシリーズのテイストをそのまま受け継ぎながらも、娯楽作品としてもまとまりの良い作品になっているのは、ひとえにイマジンたちキャラクターがしっかり独立して存在しているからであるというのは疑いようもない事実であるのだ。それこそが電王の最大の魅力である。
 
 
‥‥なんかまともな文章というか、フォーマットは判ってんのに難しいなw 途中で何書いてんのか判んなくなってきた。一応ベタ褒めしてみた、というか2回見てもあまり突っ込むようなボロがない気がする。
どうでもいいこというと、アクションシーンでやたらモールイマジンが出張ってることに気がついたよ(笑)みんな好きなのか?あと最後にゾウが来なくて代わりにデンライナーが町にやって来たけど、これってゴーオンジャーの電車みたいな古代の炎神族とリンクしてんのか?(だって先頭がマンモス‥‥)時期が被ったのは偶然‥‥かなー?(笑)
さて、パンフとさら電のムック本を読んだら来週辺り3回目とか見に行こうかなー♪行けるかな?