そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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藤子・F・不二雄のパラレル・スペース#3

http://www.wowow.co.jp/drama/fujikof/
「ボノム〜底抜けさん〜」 監督・脚本:藤本周 主演:國村隼
「ボノム」ってどうもフランス語で「善良な」って意味らしい。遺伝子(ゲノム)云々の哲学が‥‥って話だからそこでかけてるんだろうなー。
それはともかくとして。
オチは知ってたからたぶん昔読んだことはあるんだと思うけど、かなりウロ覚え。
原作では仁吉(ひとよし)さんという普通の会社員の設定だったらしいですが、その会社員設定のドラマを撮る俳優が片山正=ボノムさんというメタ構造。一見原作通りの話をやってると見せかけて、部下が「仁吉さん、仁吉さん!‥‥片山さん!」ってとこであれっと思い、何とそれはドラマの撮影だった、しかもそのものズバリ藤子ドラマシリーズの一本を撮ってるところで、ああそうかと思う演出。これはお手本のようなメタ構造ドラマ。
更にこの劇中ドラマが共演者の起こした事件で、シリーズ自体が打ち切りになるというおまけ付き(苦笑)このWOWOWのドラマはぜんぶやるよね?w
このドラマの設定が上手いのは、単に設定を会社員から俳優に変えてメタ構造にして面白みを持たせたってだけでなく、決して怒ることのない片山の哲学が「人は遺伝子に操られているのだから、いちいち怒ってもしょうがない」というものなだけに、「もらった台本通りに演じる俳優」という設定にしたのはこれだけでナイス脚色と絶賛していいくらい。
しかも片山を演じるのが國村隼なだけに、言うことに説得力があるというか‥‥これもナイスキャスティング。
ドラマの中の現実世界の片山は劇中のボノムさんのように何があっても決して怒らない、それに対して劇中劇で部下役のキクチがダメ出しをし、現実世界でもダメ出しをし、こんなにも善良な人はおかしいと突っ込みを入れていくことで視聴者の不満は解消してはいくんだけど、最後のオチまで来ると片山の哲学は哲学としてやっぱりそれっておかしいんじゃないか?としか思えない。
目をかけてた若い男優と最愛の妻の裏切りに対して「新しい遺伝子が生まれた」っていうとこは、むしろ狂気の域。というかそういう哲学を信じてるってこと自体、静かに狂ってるんじゃないかと思わせるのは、さすが國村隼かと。底抜けにいい人なんて、狂人と同じだよな。
これ、主演俳優のコメントくらいはサイトで載せて欲しいなぁ。どう解釈してやってたのか知りたいよ。
 
追記。一応裏取れたんでメモ的に書いとく。
この回、ホントは「気楽に殺ろうよ」だったらしいけど、例のアキバ事件等で自粛ってことで「ボノム〜」に差し替えになったらしい。
でも現時点で(このあとのラインナップ見ても)この話が一番出来のいい傑作になりそうな予感。(苦笑)