そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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仮面ライダーディケイド#19「終わる旅」

東映http://www.toei.co.jp/tv/decade/ テレ朝:http://www.tv-asahi.co.jp/decade/
『言っておくけど、僕は君よりもずっと前から通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ』


『受け継ぐのは鬼の力だけじゃない。ヒビキって人の魂を受け継ぐことなんだ』といいこと言う海東に『海東、俺のセリフ奪ったな!』という士くんですが(だって海東くんは泥棒だからしょうがないよ!w)、その士くんよりも前から「通りすがりの仮面ライダー」だったという海東。つーまーりー、ひょっとして海東が世界のお宝を狙うってのは、士くんが世界を回ってそれぞれのライダーのカードを手に入れるのと同じような意味ってことかなー?じゃあ鳴滝的に言ってもその士くんと海東の差は何だって話ですが、何なんでしょうねえ。海東くん、やけに今回アスム少年には肩入れしてたみたいだし、何か思い当たるものでもあるのかしら?士くんはかつての相棒(兼ライバル)とか、越えるべき目標だったとか?そういや珍しくいかにもお宝っぽい変身音叉にも興味をしめさなかったしなー。555のベルトは大喜びで狙ったくせに。
ヒビキさんの方は、そういやなんか引っかかるなあと思いながら見てたんですが、えーと、ヒビキさん800万どうしたの !?と言いたくなったw(それ白い春だし!)
いやそうじゃなくて、鬼の力が制御出来なくて牛鬼になっちゃったっていうけどさ、響鬼における鬼の力って、そういうもんじゃなかったと思うのよ。今回のは完全に牛鬼という鬼(マカモウ?)がヒビキさんの意識を乗っ取ったってことでしょ。なんかオリジナルと根本的なところで違うくないか?響鬼で言う「鬼」って、「人を捨てる」って意味での鬼だよな。師匠越えもそういう意味では本質的には違うと思うし‥‥
ただ、アスム少年が牛鬼になったヒビキさんを倒すために『鬼になります』っていうのは、一見非情なようで実際はヒビキのため、ヒビキの魂を救うためなわけだから、それは非情さを越えた優しさであり、その辺はオリジナル響鬼の朱鬼話でヒビキさんが言ってた「鬼であるってことは、鬼であっちゃいけないってこと」そのままって気はする。優しさがあってこそ、人を守ることが出来るわけだしさ。

まあザンキ流とイブキ流のあまりに醜い流派争いを見てたら、そりゃ弟子たちも嫌になろうってもんだよな(苦笑)でもって三つの流派が一つになることで本来の「音撃道」が姿を現すって、ホントに師匠たちは何してんのー?って感じですが、士くんは特に何もしてないな。引き継ぎ式をしきっただけで、実際音撃道を一つにまとめたのはアスム少年であって、それを決意させたのは海東の「やる気さえあれば不可能はない。まず動くことだ」っていう教えだったわけで。
少年に退治されたヒビキさんは、悲しいけどそれで満足だったんだろうなーと思うと切ないよ。しかしなんで鬼に心を食われちゃったのか。
そういや朱鬼が道を誤ったのはマカモウに対する憎しみ、私怨のためだったけど、ヒビキさんのいう鬼化がマカモウを倒すという気持ちが強すぎると言うこと、つまりマカモウを憎むことだとすれば、正義のためであっても憎しみはダメだってことなのか。
そうすると今回のディケイド世界のヒビキさんって、確かに朱鬼のポジションだったのかも。やっぱり花なんだな。
ところで途中出てきた王蛇は一体何しに出てきたんだと思ったら、祭の会場にバケガニを送り込むことだけでしたか?あれそういうことだよね?まあイライラしてる人にはちょうどいい役回りだったのかもなw 一瞬ハギーの声か?と思ったけどハギーだったな。なんかキャラ変わってないかい(^_^;)
まあバケガニ使いの鳴滝さんも鳴滝さんだけど(笑)、ヒビキさんの三段変形はスゴかったなーっつか、無茶すぎるw
まあちゃんとCGマカモウなバケガニと、本編では中途半端でしかなかったこれぞ太鼓・ギター・トランペットの真の三流派コラボな音撃を見せてもらえて満足です。むしろこっちが響鬼の最終回みたい‥‥と今見にきた妹が言ってましたヨ。そいやイブキ流の音撃に巻き込まれても平気なトドロキは、たぶん共鳴振動のせいで大丈夫ってことでw
最後の海東くんの『よしたまえ、気持ち悪い』ってなんかカワイイけど、『少年くん、僕のお宝、いつかはきちんと見せてもらうからな』って、なんかいいとこあるじゃんよ。
で、次回は夏海の世界ですか。楽しみだなぁ♪


予告。紅音也、エローい、もとい偉ーい人ですか(笑)渡で始まったから音也で締めか?