そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

20世紀少年 最終章 ぼくらの旗

http://www.20thboys.com/index.html

金ローの第2章見損ねちゃったんで内容うろ覚えなんですが、そんなに問題はないか。冒頭にあらすじついてて、ざっとした説明はしてくれるし。
第3章は‥‥何だったのか。時間がやたら長くて、(眠くなる〜)その割に内容に迫ってるようなそうでないような。キャラ、特に大人キャラは満遍なく出てるから見ごたえはあるけど、何やってるのはやっぱりよく判らなかったよ‥‥何かいろいろ誤魔化されてるような気がしてしょうがない映画です(苦笑)
でも映画としては面白くなくはなかったです。話は穴だらけだけど、映画としてエンタメとしては何となく成立してるような気がする感じ。でも語ることもあんまないんだよなあ。
公開二日目なので一応隠しときます。
EDテロップの後もかなりストーリーがあるので最後まで見た方がいいですよ、何人か帰ってましたが。
なんで神木くんの名前があるんだろうと思ってました。確かに豪華モブはいっぱいいたけどねw(高島弟、防衛隊の衣装似合い過ぎ〜w)
 
 
クライマックスのライブに向かって、話とキャラは収束してる気がするけど、やっぱりよく判らない。
散漫ってんじゃないんだ、ちゃんと見ごたえも見どころもあるような気はするけど、やっぱり思うのは「なんでこれ映画化しようとしたの?」って疑問。でもたぶん答えは「原作で出来なかったことをやるため」かなぁ。
原作がトモダチの正体はぼかしつつ、ケンヂも最後のライブであの歌を歌わないで大ブーイング、だけど自分の主張を通す‥‥って展開で終わったのに対し、トモダチの正体を暴いて、ケンヂが最後にあの歌を歌って大喝采、過去に何があったのか、どうしてトモダチが生まれてしまったのかを描いた映画版は、たぶんほとんどの「20世紀少年」ファンが見たかったストーリーなんだよな。
そういう意味では映画化してよかったんじゃないかなぁと思う。まあオレはそもそも「20世紀少年」はそんなに好きな漫画ではないから、トモダチの正体もそんなに固執してなかったし、原作のあのラストで納得したんで別にアレでもよかったんだけど、その辺を曖昧にしないで「見たい物を見せてくれた」映画は、面白かったです。

でもとにかくウィルス周りの出来事があまりにも粗雑すぎて、原作はもうちょっと丁寧にやってたから違和感なかったけど、映画はまったくワケわかんないんだよね。
トモダチとウィルスとよげんの書、カンナやその他のレジスタンス(なんでテロリストって言うのさ)とケンヂの動向、一般市民の反応がまったくチグハグ。やってることバラバラだもん。
何が一番よく判らんって、ケンヂはともかくショーグンたちはどうしてトモダチがやることがわかってて止めないのか。なんで円盤とロボットがある場所が判っていながら、動き出してから止めるのか?謎過ぎ。
カンナたちがライブをやったのは都民を安全だと思われた万博会場に集めといて、ウィルス散布の危険から救うためで、ケンヂを呼ぶためじゃないよね?いつの間にか目的がすり替わっとる。でもって万博会場が「東京」のどこにあるのか判んないんだけど、実際都民が相当死んでるんですが、いいのか?何を救いたかったんだ、カンナたちは。
その辺突っ込むとキリがないくらい粗だらけで整合性取れてないので、キャラの意味不明な活躍と割り切って観てても、だからこそ退屈で眠くなるという‥‥
逆に良かったのはそのトモダチの正体関係の最後のとこね。(EDテロップ後)
映画的にトモダチをやってんのが佐々木蔵之介(フクベエ)だってのは最初からわかったんですが、なんでかというと体形とボイスチェンジャー通しても喋り方が蔵之介だってのが判るから‥‥ってのは実写だから仕方ないけどさ(^_^;)
ただそこでストレートにじゃあ蔵之介だからフクベエかって言うとそうではない‥‥ってのが真相で、じゃあそれはどうしてそうなったのか?というのがこの映画の一番のキモなのね。ここだけといっても過言じゃないと思いますよ。これを描くためだけの映画化ですよ。たぶん。
でもそれ自体が、それバーチャルだから‥‥って話であって、大人のケンヂは過去に干渉しているけど決してそれは本当にあったことではない、本当の出来事はもうすでに終わってるし、そのせいで血の大みそかは起こり、ケンヂのよげんの書のせいで人々は無駄に殺されたということは事実なんだよね。大人だから何をすればよかったのか、今だから判ることではあるけど、それは取り返しのつかないことであるんだよね。
 
いまちょっとラストだけ思い出して思ったけど、これがケンヂの贖罪に繋がる物語であるなら(たぶんケンヂがやったこと自体は作り手側はわかってて描いてるのは確かなんだろうけど)原作も映画も、その途中経過、つまりこのお話のほとんどでそんなことをまったく臭わせてない、単にスペクタクルな大事件とそれを取り巻く人々の話でしかないってのが、オレがこの話をあまり好きでない理由かもって気がしたよ。
これは本来ケンヂが自分のしたことを思い出して自分の罪を自覚して贖罪するための話だよな?ちょっと相方と話してて、たぶん血の大みそかの爆発の時にトモダチの正体に思い至って、以降記憶喪失で彷徨ってたケンヂが、過去の記憶を思い出した時に自暴自棄になった理由が「そのこと」だったってことかなと思うんだけど(その割に映画も原作もそこら辺はぼかしてる)、それでもケンヂはやるべきことをやりに東京に戻ってきて正義の味方をやったとしても、それで償いきれる話じゃないと思うんだよね。
だから最後、バーチャル世界でカツマタくんに謝る、バーチャル世界で2人を友達にするのが、自己満足の自己欺瞞で何か納得出来ないというか、ケンヂの中でキレイに終わらせすぎててなんか違うんじゃね?って思っちゃうんだよね。オレは。
全部が全部ケンヂのせいじゃないかも知れないけど、子供の頃の些細な出来事があまりにも世界的に酷い惨劇を起こしたのは確かで、ケンヂは一体どうやって償うつもりなんだろう‥‥と思うんだけど、そこら辺ケンヂがどう思ってるのかをぼかしてる原作よりも、全体をわかりやすく描いてた映画の方が無責任に感じるんだけどなぁ。今それを判ってるのはケンヂ本人だけで、他の人が真実を知ることがあったらどうなるのか。それを誰かに告白することが出来るのか、ケンヂは。
何となく良い話し風にキレイに終わってるけど、酷い話だよこれ。って、映画の感想じゃないけど、映画がわかりやすくそこんとこを映像化してたんで、ああそういう話だったのか‥‥と思い至ったってだけです。原作はもっととっ散らかってて一読しただけじゃ殆ど判んないからさ。そういう酷い男が罪滅ぼしで正義の味方をかって出るって話だったってことかと。罪滅ぼし‥‥だよねぇ?