そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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Q10#3「私はブスじゃない! 文化祭でおきた奇跡とQ10の正体」

http://www.ntv.co.jp/Q10/
脚本:木皿泉 演出:佐久間紀佳
平太(佐藤健)の手術の傷を「胸に傷があってカコイイ」って中尾くん(細田よしひこ)、それは銀河美少年ってことか?(笑)タウバーン!お前完全に基準がアニメキャラだろw タケるん、心臓が弱いって設定のわりに体はムキムキ細マッチョなのはまあいいんだけどw
てなことはともかくとして、相変わらずむやみに情報が多いこのドラマって、見てるとこによって全然違う物に見える気がしなくもないなあ。それぞれのキャラの話が一つの軸には沿ってないから、話としては集約していかないんだよな。それがある意味取っ散らかって見える感じもあるし。
今回は文化祭っていう舞台で起こったいろいろなこと‥‥で、それぞれの話ではあるんだけど、でもまとまってないわけでもないんだよな。
山本民子(蓮佛美沙子)が河合恵美子(高畑充希)のことを気にかけてるのって、別に河合さんだからってことじゃなく、河合さんが本当は自分のことを「ブスだ」とは思いたくないって言うのがわかるからだと思うんだけど、当の河合さんは自分にいまいち自信がもてないのはいかにも「普通」。
お兄さんがブスがミスコンとかありえねえとかイジメだのいうのは柄じゃないから目立つことをするなっていうことじゃないかと思うんだけど、それでブスって言われて本人もそうだと思い込んじゃって自信がなくなってくんで、「河合さんはきれいだよ」っていう山本さんを信じられないんじゃなく、他人の評価の中で自分が妥当だと思うものを信じたいだけだよね。その結果、目立ちたくないっていうのが自分の評価になって、自分の価値を不当に下げちゃってる。もちろんクラスメートが「河合さんでいいよ」っていうのは単にメンドクサイから無責任に河合さんに押し付けちゃえってだけの心ない意見だけど、でも別にお兄さんが言うようにイジメで嫌がらせしてるわけじゃない。ただその中に、自分と仲間だと思ってた影山(賀来賢人)までそう言ってることの真意も気がつかないんだよな。影山は本気でそう思ってんだけど(笑)
『違うって言わないと、間違ったことがホントになっちゃうよ』
別に河合さんは自分がきれいだと思ってるわけじゃないけど、ブスだとは思いたくないのは普通の子なら当たり前で、でも他人の評価で自信をなくすのは山本さんからしたら絶対なしのことだと。山本さんが河合さんに前回の自分らしくない洋服を貸すのもなんか象徴的。山本さんはきっと河合さんに「キラキラしたもの」を手に入れて欲しいだけなんだよね。紙袋の中に「私はブスじゃなーい!」って叫ぶとこがちょっと泣けた。河合さんは裸の王様じゃないよ。
影山がああいう真っ直ぐなアホなのはともかく、そういう河合さんだから好きなんであって、それは他人からどう見られるかっていうのは関係なく、文化祭でみんなの前で「河合さんはきれいだ」って言えるくらいの情熱を持っていて、それが「恋」なんだよな。文化祭っていう非日常だからそれが言えたってのはあるし、河合さんもそれを照れずに受け入れられたんだろうけど、それが何だかわからないけど「キラキラしたもの」=「恋」で、女の子が分かりやすく変われて自信が持てるのも「恋」だよな。
 
んで、その話と平太の話はまったく関係ないんだけど、平太の方は結局そういう「キラキラしたもの」に実感がもてない、わからないって話かなあ。
自分を普通だと思いたい平太からしたら、非日常で何だかみんなが浮かれてる文化祭も面倒くさいものでしかないし、合格祈願の男踊りもやる気になれない、それより久保くん(池松壮亮)とふたりだけの前夜祭をやったほうがいいと思ってるくらいで。
平太に彼女がいたっていうのはちょっと意外だったけど、あれは平太にとって恋かっていうと恋じゃないよね。
ただ何となく付き合いそうかなっていうだけで、でも手を振り払ってしまったことで柴田恭子を傷つけたっていう嫌な思い出だけがあって、いつまでもそれを終わらせずに引きずって中途半端にしてた‥‥ってことが胸を刺すだけだよね。
でもそれを後悔したって昔には戻れないし、そもそも平太はそんな恋の情熱があって柴田恭子と付き合ってたわけでもないから過去を振り向いても何もない、ただ風があるだけ‥‥っていう何にもなさ。
しかも終わらせるにしても自分からは終わらせないで、他人に終わらせてもらうのが平太か。
久保くんがいう「平太は何かが終わるのが恐いから始めるのも嫌なんだ」ってのは死を考えたくないからだってのを柳教授(薬師丸ひろ子)があっさり言っちゃってるけど、平太からしたら何もなく日常をやりすごるのが「普通」だと思ってるんだよね。
みんなと関わりたいと思ってる久保くんからしたら常に死があって、終わりを意識してるからいろんなことをやりたいと思ってるのにそうできない諦めがあり、まだみんなと関われるところにいる平太は普通でいたいから始まりも終わりもなく、そういうの関係なくいることが生きることだとと思ってる。平太からしたら久保くんは異界の扉だけど久保くんからしたら平太は日常への扉であって、入院中の今、久保くんと世界を繋いでくれるのは平太だけなんだよね。でも平太はそれには気がついていない、自分が久保くんが持ってない「キラキラしたもの」を手に入れられるところにいるとは思ってなく、ただ生きてもなく死んでもない状態を「普通」だと思い込もうとしてるだけだよな。
でも自分と同じ所にいる藤丘(柄本時生)の窮地には気が付きこそすれ、自分が藤丘のことを助けられるわけもないから口出しもしないっていうのはある意味生々しくリアルで、このドラマでそういうのってなんか嫌な意味で刺さるんだけど、なんていうか、中尾が平太が文化祭の男踊りに出ないのが胸の傷のせいだと思って、自分はカッコイイと思ってる傷だけどそれを嫌だと思ってる友達がいることに対して、ピントが外れてても何かしてやろうという思いやりを発揮してることにはちゃんと応えてるんだよね。そういう現実的な「思いの重さ」を無意識に測ってるとこが平太は妙に現実的だなあと思うんだけどさ。あと中尾は平太が走っちゃいけないってこともちゃんと知ってて、病気で走っちゃいけない→胸に傷がある→気にしてるらしい‥‥ってことはちゃんと平太の事情として理解してるっていうのも初回の「気づいているけど気がつかないふり」の話からしたら、みんな気がつかないふりしてるだけでちゃんと気にかけてる人はいるってことで、それを「気づかないふりすること」と「気にかけてやらない」のは違うって話だよね。藤丘のこともそうだけど。
平太はそれぞれの事情を考えて踏み込まないようにしてることが「正しいこと」だと思ってるけど、感情のないQ10はそんなこと考えないから、平太のことも藤丘のことも同じ様に考えて、お金があれば藤丘は助かるというだけで行動する。でもそれは平太がQ10に対してやって見せてたことではあるんだよな。Q10はそれを覚えただけで。
藤丘を悪いことに誘った西先輩は結局過去の自分に対する評価で救われた(のかな?)けど、藤丘は事情も知らない誰かたちの、事情を知らないけど「頑張れよ」っていうメッセージに救われ、過去の自分の「俺はここにいる」証が意味があったのかどうか、でもそういう主張をしていたことが回りまわって自分を助けてくれた‥‥ってことなのかなあ。
そんな冷めてる平太が思わず情熱で蓋を飛ばしちゃって号泣したのが、生きてもない死んでもないロボットのQ10のことで、Q10がロボットだっていうのは平太しか知らないことだけど情熱ってのは相手が人間じゃなくても関係ないし号泣したことで他人からどう思われようが気にならないのが蓋を飛ばすような情熱ってことか?
でもこのドラマの話自体が、自分の気持を貫く、他人の評価は関係ないって話でもないよね、今回のこのストーリーは。だから分かりにくいと思うんだけど(苦笑)
それでそんな外の世界のことに忙しい平太は、病院の久保くんがさみしい気持ちになってるってのには気がついてないんだよなあ(苦笑)久保くんがそう思ってるってことすら気がついてないんだよね。夜の看護婦の話もふたりだけの前夜祭も「今その時」しかないものなんだけど、あとでそれに気がついてももうすぎてしまった時間はどうしようもなくフォローも出来ず、あとになって同じ風は二度と吹かない‥‥ってことに気がついてさみしい気持ちになるだけなんだけどね。平太はちょっとだけ普通の人みたいに鈍感。
一応、ちゃんと忘れずに柳教授に頼んで「忘れてないよ」っていうことが久保くんに伝わっただけでも良しと思うしかないか (^_^;) 久保くん可哀想。
で、富士野月子(福田麻由子)が電話してたのは一体‥‥?Q10の秘密を知ってるのかなー?