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UN-GO #11「私はただ探している」(終)

http://www.un-go.com/
脚本:會川昇 絵コンテ:長崎健司水島精二 演出:清水久敏 作画監督:出雲誉明・長谷部敦志
青野厚司・小田嶋瞳
 
期待通り、ほぼ予想通りにきれいに終わりました。
いや、予想通りってのは違うか、あまりにもあるべくしてあるように収まったからそう思っただけかw
やっぱり別天王の所有者は速水だったね。刑務所の話のアレから論理的にいっても、それしか考えられないもんな。(推理モノなので普段より論理的に考えてみましたw)
新十郎は海勝会長の国会答弁で細工をした時点で、海勝が所有者だって線は薄いと思ってたんじゃないかと思うけど、どうかな?
しかも速水のその理由は極めて私的な欲望、虎山検事が海勝麟六に心酔してるからそれに取って代わりたかったってことかー。権力とか関係なくただそれだけのためにとは、本当に人間の真実って他愛もないよなあって言っちゃえばそれまでだな(笑)
そして別天王の正体は神なんかじゃなく出来損ないの「言霊」だったと。
オレ自分の書いた感想って書いたら忘れちゃうんだけど、どっかでそんなこと言ったような?(今検索したらこっちじゃなくピンドラだったw 現実化のルールとしての捉え方は間違っちゃなかったけど)
まあ確かに別天王の能力って冷静に考えると言霊の力だよな。でもある意味、というか「別天王は神である」という劇中ストーリーでの刷り込みがあるから、劇中人物も視聴者的にもそう思ってしまった‥‥という点では、まさに言霊に縛られていたってことか(笑)なんというメタ的なひっかっけ。細かく検証したらそうじゃないってのはちゃんと分かるようになってるし。ルールがある時点でそれは神の仕業じゃないよなあ。

だけどその速水の陰謀に気づいた海勝が死んだ風を装って、ついでに自分に都合の悪い真実(水野の存在)も葬ってしまおうってのは、海勝麟六にとって都合が良かった話だね。言霊である別天王の力を上回るとは、まあ能力よりも使う側の問題であっても海勝麟六恐るべし‥‥ってことかと。
だからこそ海勝のいう「夢」や「理想」が虚飾の真実でないなんていう保証もないってことで、新十郎が海勝と対立し続ける理由でもあるってことね。
あと倉満議員たちフルサークルの、とにかく敵を作って叩くことがその存在意義であって、細かい事実は何でもいいってのも、何となく現実に対しての皮肉だなあ(苦笑)
彼らは「敵」を攻撃するためなら事実をねじ曲げ、自分たちに都合のいい真実をでっち上げてしまうという意味では「真実を見ない人たち」であるし、彼らが別天王を手に入れたらどうなってたのかというね。むしろ速水のような私的流用でよかったと云うか(笑)
まあすでに材料は揃ってるから謎解きをしろと言われても、さすがにそれは難しいよ、會川先生(笑)
先週のやつ見返してたら確かに海勝の乗った車が爆破した直後、不破さんの後ろで不自然に誰かが逃げるのがあったし、あれが海勝なら確かに自殺は自作自演。
でもそれは世間を欺くためでなくあくまで別天王の所有者に対してで、しかもその時もう既に水野が殺されてた、理由は彼がフルサークルのメンバーで、しかも海勝の都合の悪い秘密を知ってるからと言われても、そのすべてを推理するのは無理w しかし納得できる話だったと。あとまあ新十郎にだけ見えてるビジョンってのもあるわけだしね。
でもまあ話としては思った以上にちゃんと終わったので満足。
 
そしてそういう謎とき推理はあくまでも物語を描くためのものだよね。
別天王のいう「生きよ。堕ちよ。」と海勝麟六のいう「人は虚飾の真実を好む」は表裏一体だけど相反するものではなくそれが「人間」というもので、新十郎はそういう狭間で生きてる人間を愛してるし美しいと思う‥‥ってことだよね。
生きるために虚飾の真実をまとって心にミダマを隠している人間がその心の奥の叫びを暴かれ、見たくない真実をさらけ出しても、それでも生きていかざるを得ないのがこの世の中であると。それに耐えられないものは廃人になるしかないんだよな。(でもたぶん殆どの人は立ち直るんだと思う。それは「人間」だから)
そういう意味では新十郎がかつて因果に答えた質問は、成り行きとはいえあまりにもアレだと言わざるをえないんだけど(因果論で速水はそれを知らなかったっけ?)、それによって新十郎は自分探しの末に自分でも何が正解かわからない真実を探し続けなければいけなくなったんだとすればそれもまた人間の業というか。
速水が、使い方によってはこの世の王にでもなれる別天王の力を、自分の恋情のためにしか使わなかったのと似たり寄ったりなくだらなさかも知れないなw いや本人的にはくだらなくはないかな、それも真実だし。ミダマを見せなかった倉田由子が新十郎の目に写ってた「真実」だというのも、たぶんあるんだと思うし。
しかしそのせいで虚飾の真実を受け付けず、ありもしないかも知れない本当の真実を探し続ける新十郎というのはむしろ相当なミダマを溜め込み続け、堕ちながらも生き続けているまさに「人間」であるのかと。
會川昇のこの手の「人間とは何か?」という問いかけの話は、「妖奇士」の時の「人は生き続けるためには物語を必要とする」からの繋がりとしてはちょっと面白いかな。(ディケイドの「自分を探すために物語を体験する」というのもまたここに至る過程だと思うと、それはそれで興味深いけど)
「物語」を探すのはまさに自分探しであって、そこで自分に都合のいい物語を創り上げて「此処ではない何処かへ」と思うのも人間だけど、そこ(現実)に留まりつつ真実を見続けるというのはすなわち堕ち続けることであって、新十郎がそれを望むのは彼が「探偵」という物語での役割を生きているからか?
それよりも新十郎がそうありたいのは、「何者でもない自分」を助けてくれた行きずりの倉田由子に対する後悔なのかな。そして彼女の肉体が因果である以上エサをやり続けなければならない‥‥というのは、それを続けるための理由でしかないんじゃないかと思うけどさ。それもまた面白いかなあ。
 
まあこういう話をみると、妖怪人間ベムにおけるベムたちの求める理想の人間像と正義についてなにか思わざるをえないんだけどさ。(そうであるにしてももうちょっとうまいやり方があると思うって意味で)まあそれはとりあえずここではいいか。
オレ的にはとても満足。ストーリー的にはきれいに終わってても描いてる命題は普遍的な問いかけだし、何度見てもその都度なにか思うところがあるような作品な気はするよ。