そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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小説 仮面ライダーディケイド 門矢士の世界~レンズの中の箱庭

http://kodomo.kodansha.co.jp/ehon/3148602.html

 
あるべきはずだったTV本編の物語というよりは、TV本編から考えられるこれもまた一つのディケイドの、門矢士の物語‥‥という感じなのかなあ。
平成仮面ライダー小説としてはこれが一番難解な気がする。小説自体は面白いけど、たぶんもう一度読み返さないと自分的にはディケイドの物語としてはきちんと消化できないかも。
ものすごく読みにくかったのは、キャラクターの言動はすべてTV本編そのままなのにその内面がまったく違ってることで、同じキャラなのに違う印象のキャラに思えるというところが自分の中で整合性が取れなかったからかな。
逆にこの小説世界で士たちが訪れた電王・クウガ・カブトのそれぞれの世界のキャラクターはみんなオリジナルで、そちらの方はまったく違和感を感じなかった。特にカブトの世界の天道がまったく天の道を往く男で、「ああ本物だ‥‥」と思ったほど(笑)
 
小説自体は主人公たちの年齢こそ高めだけど、ものすごく児童文学ファンタジーだった。
ちょうど去年、小学生の時にすごく好きだった「光車よ、まわれ! (ピュアフル文庫)」を手に入れて読んでたんで余計にそう思ったんだけど、戦闘描写がかなり残酷で人が死ぬ描写にグロい部分はあるけど、話の大枠は中学生向けくらいのジュブナイルだと思う。児童文学ファンタジーとしては、こういう話はたとえディケイドでなくてもすごく好きだな。
本編では記憶喪失だからこそ自信過剰で強い門矢士が、理由はわからなくても仮面ライダーに変身できることを含めて自己の存在を肯定的に捉え、各「世界」を旅することで自我を確立していく「物語」だったけど、この小説ではもっとわかりやすい、若者特有の自己の不安定さに根ざす一般的な自己否定からの脱却=自分探しという、若者の成長物語になっているというか。
士にしても夏海にしても海東にしても自分は取るに足りないと思っていて、自分が生きる価値を見出していない自己否定感が強い人間だからこそ、世界を旅して自分の存在意義を認め、結局は元の自分の世界へと帰っていく話になっているから「正しい成長物語」としてまとまってるのかも。
だからこそここで描かれた世界は、4体のイマジンに体を乗っ取られても自分を強く持ち続けてる野上良太郎の「電王の世界」であり、自分のやりたいことを納得してやり続ける五代雄介のいる「クウガの世界」であり、コピーされた自分=本当の自分を倒して乗り越えるための「カブトの世界」なのかなと思う。
必ずどの世界にもある光写真館や、そこからパラレルワールドを渡り歩くという妄想のような現実を共有できる特別な人間という設定などは完全に閉じたファンタジーの世界だし、夏海の設定や、鳴滝にしても本編がああいう設定だったのかどうかはともかく、児童文学ファンタジーにありがちな自分の影の部分のメタファーモンスターであるという設定は上手い役割だと思った。世界を渡り歩いているうちに自分の世界を忘れてしまったら実体をなくした怪物になるっていう、その不条理さがいいんだよね。
どちらにしても、本編の方では記憶を失っていたからこそ描かれなかったことも含めて、士の「弱いからこそ逃げる/自分の居場所を探す」という描写は直接はなかったように思うから、士がこの世界の有り様を旅を通して知ること=自分を知るという「世界=自分」という外側からの物語は確かに會川昇的だと思うけど、小説の方の「弱い自分を認めて成長する」という成長物としての分かりやすさと、「希望は常に自分の中にある」という哲学めいた信念は井上敏樹監修って気がするのが大きな違いかなあ。
どちらもそれはそれで好きだし、特に小説の方のラストは井上敏樹っぽいリリカルなロマンチシズムを感じるよ。あれは正しい締めだと思うな。そしてやっぱり井上先生は大人だよ(笑)
 
この小説だけサブタイトルが付いてるんだけど、内容も章立ての構成として「士の世界」が3つもあるなら、何か小見出しをつけて欲しかったなあ。むしろプロローグ・エピローグも「士の世界〜プロローグ〜」とかのほうがよかったんじゃないだろか。
あとすごいどうでもいいことだけど、後半に行くにしたがって文章のセンテンスがだんだん短くなって、情景描写が淡々としてくるのがちょっと気になったよ。力尽きちゃったのかな?それにしても「鐘弘亜樹」って誰なんだ?新人さんなの?