そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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八重の桜#50「いつの日も花は咲く」(終)

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:山本むつみ 演出:加藤拓
 
明治編の視聴モチは結構ツラかったけどまあ全体的にいうと明治編の前、会津戦争までは大変に面白かったです。映像も気合はいってたし、八重さんがメインじゃないあの構成自体もとても良かった。むしろ辺に八重メインにしなかった分戦隊がよくわかって面白かった。でもその後の明治編は八重にスポット当ててる割に何やってんのかがわかりにくくて、時代性も感じないし山本家の話とかあんまり興味ないというか。
それよりも会津出身なのに京都でそれなりの要職について政府にも影響を与ええてた兄・覚馬や、キリスト教布教にかこつけて学校作って人材育成してた夫・襄のやったこと、その結果どうなったのかっていう時代の流れの話と、その中での八重さんの立ち位置ってのを描いて欲しかったかなあーと。明治編って結局そういう話だったんだよね?
最後の最後であるべき山本八重になった気がするけど、微妙にいろいろ間違ってた感が。間違ってたのはここまでの明治編が…だけど、かろうじて締めだけは予定通りという感じ。

その前にこの八重さんってもう50近いはずだけど、きれいな綾瀬はるか見たいのはわかるし仕方ないけど、前回からちょっと時間飛んでるし、晩年のこともやってるんだから最終回くらいはやっぱりもう少し老けメイクしてよって気が。ものすごい違和感あって変だよ。地デジ時代のきれいな老け顔メイクってのはそろそろこの手の大河ドラマでは考えてもいいんじゃないかなあ。逆に白けるよ。本物の写真が妙にパツパツだからなのか?でも白髪の幾筋かくらい入れようぜ。
 
これ、話が一番良くわかんなかったのは、最後が「VS戦争イケイケ派な徳富蘇峰」だったってことなんですけど、オレが歴史をよくわかってないからですかね?
そもそもこの篤志看護婦になるってくだりもよくわかんない。襄が守ろうとした同志社はどうしたんだっけ?八重さんがあまりにもするっと篤志看護婦になってるけど、襄も覚馬もいなくなって学校は一体誰が見てるんだっけ?そこはもういいの?
戦争をやってるという状況の中で会津戦争経験者八重さんが篤志看護婦を目指すのは分かる。だけど八重さんの中でのやるべきことが篤志看護婦だったってことがわかんないんだよ。ここに持って行きたかったのならやっぱり明治編でもっと八重さんについて描くべきことはあったよね。
敵も味方もなく戦場での怪我人は区別なく助ける篤志看護婦ということだけど、戦場に女の篤志看護婦がいては邪魔になると言われてる中で(戦場には見えなかったけど)、八重さんの「会津の城にいた(戦っていた)」って、それはつまり、「自分は戦場でも男と同じように戦える=男も女もない」ってことだと思うし、それが彼女のプライドのはずだよね。明治編はあまりそういうとこに触れなかったけど。
そこで彼女自身が「敵も味方もなく助ける」という価値観になるまでには、そのプライドを拠り所にしつつも襄と出会うことでキリスト教の汝の敵を愛せみたいな教義に触れ、捨松さんやおユキちゃんの件で薩長への怨みを乗り越えたからこそ言える言葉だと思うんで、もっと八重さんの人生において重いはずだと思うのよ。

つーか、前に薩摩の女学生に土下座したことだって、会津で戦ったことを土下座して詫びるくらいに申し訳ないと思ってるからその後の覚馬の不戦の精神を真に引き継いで篤志看護婦やりますっていうならまだわかるんだよ。そういう志があるから戦場でも怖がらずにもの申せるわけじゃん。全部、会津戦争で戦った八重さんあってのことじゃん。
とにかく明治になってからの八重さんはまったく自分で何かを率先してやってたようには見えなかったし、戦場で鉄砲を担いで「国を守るために戦ってた」という女傑の片鱗もなかったと思うけどさ。しかも夫の夢を支えるとか言ってたわりに襄が死んだら篤志看護婦だし最後は茶道じゃん。それもまあ当時の女性がやらなかったような新しいことにチャレンジしてるとは思うけど、ドラマとしてはそこに至る心境が見たいんであって、どうしてそういう気持ちに至ったのかをやってくれないとまったく納得出来ないって話なのよね。
夫よりも先を歩き、新しい価値観に生きようとする進んだ考えの女性じゃなく、愛する伴侶の考え方に同調してその夢を影から支えていたようにしか(しかもろくに仕事してるようにも見えなかった)描かれてなかったよ。だから明治篇以降はつまんなかった。
真面目な話、山本家のゴタゴタとかほんっっっっとどうでも良かった。そんな話に山本八重の生き方を見たいと思ってた(特に)女性の視聴者が共感するとでも思ったんだろうか、NHKスタッフは。(山本さんが最初からそういう脚本を書いてたとは思えないし)
「ならぬことはならぬ」の、どちらかと言うと古い考え方の会津の女性なのに(会津はそれで道を間違ったといっても過言じゃないのに)、なぜ八重さんだけが当時最先端の考え方を取り入れ、更に前に進むことが出来たのか、それこそが見たかったものなんだけどなー。
どんなに困難な目にあっても打ちひしがれても、再び立ち上がって花を咲かせる。頼母さん(桜の妖精w)が言ってた、それが八重の桜、八重の生き方だってことだと思うんだけど。
覚馬の参政の話や襄の学校を作る話は面白いけど、それを八重さんの目線から見たものを見せて欲しかったというか。バランスの問題だけど、前半を見てるに出来ないことはなかったと思うんだよね。だからもったいない。
 
徳富蘇峰に関しても、このドラマを見ててまさか彼がラスボスポジションだとは思わなかったというかw
新島襄に教えを受けたはずの徳富蘇峰は時代の要請だと言ってやたら好戦的に戦争を主導しても、戦の恐ろしさや虚しさを実際に知ってるけど「男性じゃない」八重の言葉がどれだけ重いのかってことじゃなくね?
襄が未来の人たちのためにも今誰かが種をまかなければ…と命がけで活動して、それを援助してたはずの徳富蘇峰は結果真逆のことをしてるし、それを指摘した乾退助に対して「古い」って言ってるんだよね。そんな彼の変遷ももう少し語って欲しかったかも。それなら八重が目指したものがもう少し見えるんじゃないのかなあ。
あとそれってたぶん慶喜さんと勝さんの江戸城無血開城の話とも繋がってると思うんだけど、無血のように見えるその影でどれだけ傷ついた人たちがいたのかって話で、いい気になって戦争をしようとしてる政府とそれを先導するジャーナリズムは、その影で血を流している国民一人ひとりの人たちが見えてないってことじゃないのかな。襄の愛国精神って、そういうところも見た上での「国を守る」なわけじゃん。なんで襄を支持してた蘇峰さんは「国」というものを概念としての総体でしか見てないのか。
まあいい気になってせっかく襄が残した愛国の精神を自分勝手に真逆に解釈しちゃってる徳富兄・蘇峰も大概だけど、その弟蘆花も、世の中に流されず人間の真実を描くとかいいながら山本家のスキャンダルをかなり捻じ曲げて描いてたわけだよねえ。(よく知らないけど)まったく新島襄の教えはどこへいってしまったんだよ…( ´∋`)
そして日清戦争へ突っ走る日本という国は、こういう締めで良かったのかなあ?八重と蘇峰の茶室のシーンていつなのかわかんないから普遍的な話に見えるけど、老境の人の理念と押し寄せる現実って意味で相入れてないよね。
それもあって最後の、愛国心故に戦争プロパガンダに賛同する徳富蘆花を諌めるようなことをいう八重の、回想からの天への空砲はちょっと意味がわかりにくかったんだけど、鉄砲を撃つことに矜持を持ってる八重なら平和を願っていても「撃たない」って選択はそもそもないんだよね。だからあれは目の前の敵じゃないもっと大きな世の中の空気みたいなものに対して戦いを挑んでいくってことなんだろうけど、いろいろわかりにくかったです。演出的に。
天への発砲ってもっと別の意味になるよねえ‥‥と思ったんだけど、どうもそのかなり後の会津藩天皇家の和解の時に八重さんが詠んだ「いくとせか峰にかかれるむら雲の晴れてうれしき光をぞ見る」の「むら雲」だってことを言いたかったのかなあ。なんとなくそれっぽいけどイメージ的すぎるよ。それならもっと得体のしれない(戦争という)暗雲に対して鉄砲を撃ち、光さす‥‥くらいのやり過ぎ感でよかったんじゃないかなあ。ビジュアル的な演出が今ひとつかも。
 
後半の明治編は噂によるといろいろ横槍が入ったせいで全うできなかったんじゃないかって話だけど、メインの山本さん以外の脚本家が入ってたことといい、最後の帳尻は合わせたけど何だかよくわからないことになったって印象でもったいなかったかなあ。

あ、山川兄弟が未だ会津に縛られ会津の汚名を返納することだけが悲願のようになってるのはそれはそれで、大山巌と健次郎のやりとりだけでけっこう十分だと思ったし、ひとつの時代が終わったって気もする。
このドラマの功績としては幕末史として今まであまり触れられなかったそれを丁寧に描いたことと、あとどうやら川崎尚之助の消息がわかって彼の汚名も返上されたことらしいですが。
まあ尚之助さんに関しては劇中でも八重さんの行動として理解できないところがあったんで真実はどうなんだかわかんないけど、そのへんも含めて明治編の八重さんがどうとか言うよりも史実の八重さんがあまり性格のいい人ではなかったんではないかなあと思ったというか。時栄さんの一件でも(うらさんと不義の件)悪い意味で会津の頑固な「ならぬことはならぬ」な人じゃなかったのかなあと。
実際性格的には相当きつかったらしく、だからこそ普通の女子に出来なかったことを次々とやったみたいだけど、なんとなくオレには当時の女子に出来ないことをあえて選んで、進んでやろうとしてた天邪鬼なフェミニスト系の人ってイメージが。まあフェミ系って実際中身はおっさんだと思うし(だから八重って思考・行動的に男性なんだよ)、それでも当時の女性に対する常識を良い方に大幅に変えた功績は大きいしありがたいですね。(まとめ的なw)

そういや慶喜さんは会津の信義で結ばれた主従の関係うらやまし!っつって誰も慕ってくれなかったことを嘆いてるけど、それって当然だと思うよ!なんで気がついてないんだ…(^_^;)
 
メイキングがYouTubeから削除されて公式の方にまとめられてたよ。スゲーよ、メイキング。

総集編はBSは年末、総合は年明けらしいよ。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/info/#sosyuhen
1月2日(木)/BS:12月29日(日)
○第一章「ならぬことはならぬ」
 会津藩砲術師範の家に生まれ、周囲の反対を押し切って砲術を習得する八重。やがて、会津藩薩長の標的になっていく…。
(第1回〜第16回)
○第二章「鶴ヶ城決戦」
 八重は鳥羽伏見の戦いで戦死した弟のかたきを討つため、会津籠城戦に鉄砲隊士として参戦し、奮戦するが…。
(第17回〜第26回)
1月3日(金)/BS:12月30日(月)
○第三章「敗戦、そして新天地へ」
 敗戦後、生きていた兄を頼って京都へ移住した八重は、米国留学から帰国した新島襄と運命の出会いを遂げ、結婚し再起していく。
(第27回〜第39回)
○最終章「いつの日も花は咲く」
 次々と立ちふさがる困難に立ち向かいながら、同志社大学創設にむけ奮闘する八重と襄の後半生。
(第40回〜最終回)