そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

かなたの家族2030

http://www.nhk.or.jp/dsp/2030/
脚本:井上由美子 演出:笠浦友愛
 
なんとなく番組表を眺めてて久しぶりに瑛太がドラマやってるなあと思って録っといたやつ。
15年後はこうなってるというifのシミュレネーションドラマかと思ったら思ったよりちゃんとしたドラマでした。脚本は井上由美子ってなるほど。その上音楽がちょっと変わってるなーと思ったら井上鑑とはおごってますねNHK
というかこういうテイストのドラマってNHKじゃないとできないよなあーと思った次第。
if部分はともかく、15年後だと人の暮らしはそれなり変わってるだろうけど、それくらいじゃ精神的な部分て意外と変わらないし、むしろ今現在の雰囲気から見ても逆行するんじゃないかという気はするよ。いつだって何かの過渡期だけど、今は本当にアナログ→デジタル→アナログ回帰の過渡期な気が。
頭で考える、便利さとか効率を考えるとデジタル寄りになるのは仕方ないし当然だと思うけど、でも人間って結局当分は肉体というものからは逃れられないんで、サイボーグ化でもしないかぎり考え方も精神性も基本的に大多数の人たちは変わらないというか、肉体的な接触の楽しさってことを否定してると余計に寂しいことになるんでないかなって気はする。その辺は瑛太と相武ちゃんの話ね。そこまで割り切れる人ってまだ少数派だと思うし、あんな事言ってる相武ちゃんも実際妊娠というアナログ的庵家族づくりを体験すると考え方も変わりそうな気が。
家族とは何かって言われたら断りなく体に触れてもいい距離感が許されるかどうか(といってもその部位と触り方の問題はあるけど)という関係性だと思うんで、結局「概念」というよりは「肉体性」に依る方が健全だとは思うけどさ。でもこれからはどうなんだろね。「家族」といった時にわかってるようで実はまったくコンセンサスがないのもそういうとこだと思うんだけど。
肉体性ってことではこのドラマのラストのように、みんなで顔を突き合わせるということも(むしろそっちのほうが)重要かなあと。
妹さんの言ってること(基本他人同士の集まり)と永遠シティは同じものだと思うし、やりがいとか認め合う社会とかいってもまだそれが本当に価値あることだとは実感できないのが今の人間かなあと思うよ。実感ってまさに肉体で感じるってことだけど、頭でいいものだと思っても肉体的にはついていってないから寂しいんだと思うし。
まああのラストでふと思ったのはあの花見に妹がいなかったんだけど、あそこでテレビ電話とかスカイプみたいなもので参加してなくてよかったと思ったというか。それやったら本当に「じゃあ家族って何なの?」って思うし。
孤独かどうか寂しいかどうかってデジタル的に繋がってるってことよりは何も情報交換しなくてもその場にいるほうが寂しくないってことさと思うけど、妹ちゃんはいろいろ言ってたわりにたぶん全然わからない人なんだと思わんでもない。だから花見やってるあそこにいないんだよ。(ってことだと思ったけど)
オレの友達でもいるんだけど、仕事とかでなく進んで家族離れ離れ状態を選択してて(母+息子↔夫)、でもスカイプで毎晩話してるから大丈夫っていうけどそれ家族なのかなあ?オレにはよくわかりません。(震災以降の放射能的なアレなので余計にね)
いくら一緒にいても他人は他人なので家族の代わりにはならないと思うけどなあ。まあ家族だからこそ距離を置きたいって場合ももちろんあるだろうけど、これはそういうドラマじゃないのでそこは考えないってことで。自分とは違う人間=他人というわけではない、家族の距離感ってまたそれぞれだろうし。
ニュータウンとママタウンは時間経過が違うだけで同じものだし、永遠シティと妹さんの共同体も同じもの。シェアハウスはかろうじて出会いの場として機能してるけど、その後どこへ行くのかといえば結局ママタウン→ニュータウン→永遠シティにしかならないよね。じゃあやっぱりシェアハウスがどうかってことになるような。
やっぱり同じ立場の人間だけがまとまってる同質性ってあんまり社会としては質がよくないし、お先どん詰まりな気がするわ。多様性こそ命よねえ。そういう社会になればいいよねえ…