そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

何者

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

途中半分まで読んで(喫煙所のとこ)ひと月以上中断してたんだけど、やっと読み終わりました。
映画を見て興味持ったんですが、その映画の感想はこちら→http://d.hatena.ne.jp/korohiti/20161018/p1
 
映画とはラストが違うっての、原作読むとなるほどって感じ。
映画は拓人がものすごく痛い感じで彼のやったことをあげつらう形でオチが付いてきれいに終わらせてるけど、原作の方はわりと拓人自身に容赦ない感じ、拓人自身がダメ出しされてるので、むしろこっちの方がきついかなあ。ただラストシーンを考えると原作のほうが拓人の変化がわかりやすい気はする。
映像的には映画のラストも面白いけど、本質はそっちじゃないのかな。(あくまでもオレの印象)映画は映画で舞台系の監督があれをやるということが面白いし良いと思うけど。
これって就活を題材にしてるから選ばれた人とそうでない人、就活して何かに成れるかどうかっていうテーマにみえるけど、根本的なところは「自分探しなんかしてる間にも人生は続く」って話だよね?若いからそれが見えなくて焦るけど年取ってから気が付くと大変なことになるし、むしろ気が付かないまま歳を重ねてる人も多いと思うんで、そういうのひっくるめた痛さかなあ。オレも拓人のこと笑えねーよw
でもこの話を22,3で書いた朝井リョウはすごいなあ。そこに気がついたというよりも(そんなことはみんな薄々わかってる)その目に見えない空気みたいなものを文字としてこういう話に落としこむ才能として素直にすごいと思う。
ただ好きか嫌いかでいうと、どちらでもない、かな。それはこれが若者の自分探しの話だからってことで、物語としては面白いしいSNS絡みのいたたまれなさをリアルに感じる事ができる同時代性は好きだけど、こういう人間の自分探しの話が好きかどうかで言えばオレは別に好きじゃないってだけのことね。観察者気取りの痛い奴ってのもあるあるだしむしろもうそういう個性だと思えばそんなもんだしw
以下ネタバレでちょこっと。
 
 
 
あ、喫煙所のとこで止まってたから読みはじめてちょっと時制がわからなくなって、あれって思って確認して気が付いたけど、拓人の立ち位置って注意深く読んでたら最初からそういうことだってわかるね。そうでなきゃ辻褄あわないもんな。
全員が同級生だとすれば、留学で1年遅れた女子二人、光太郎のバンド辞めるタイミング、隆良は休学してたって言ってるし、ギンジの中退時期と公演回数。何もしてないのにそいつらと同じことやってる拓人は…っていうね。あと就活浪人だとしても大学のことに触れてないけど卒業はしてんのかな?その辺わかんないけど、就活留年だと余計に痛々しいよね。
だからそこは実はネタバレじゃないんだけど、最後のあのタイミングで明かすことで拓人の痛さを強調するって意味ならすごく効果的。同じ立場だと思ってたら違ってたとか、就活2年目なのにそんなかよって意味で。見てるそれがすべてじゃないんだろうけど。(というかwiki見たら「22歳の大学生5人は」って書いてあるよw浪人したんでない限り22歳は大学5年生だよね)
 
読んだのが今さらなのでおそらくそういう感想はすでにあるだろうけど、これ「輪るピングドラム」思い出すよね。
かつてピングドラムでプリンセス・オブ・ザ・クリスタルが「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」と言った時に、それを見ていたオタクネット民たちのほとんどが、ネタも含めて「俺たちのことだ!」と沸いたものですが、まさにリア充就活生にとっての生存戦略が就活だとすると、何者にもなれないのは自己とうまく向き合えないからだと誰かに言われるのはとても耳の痛い、認めたくない話なのかと。レッツ生存ー戦略ー!
まさに拓人の生存戦略がこれなんだとしたら、やっぱり早くそこから抜けだせよとしか言いようがないし、そのために痛い思いをしてピングドラムを探さなきゃいけなかったんだよ。
ちらっとネットの感想を見た時に就活ってことで選ぶ・選ばれないって話でまとめてるのも見かけたけど、これってそうじゃないよね。
光太郎の言う「就活が終わっても何かになれた気がしない」「人生はこの先も続いていく」であり、瑞月さんがいうように理想を捨てて現実と折り合いその人生を進めなければいけなくなったことでモラトリアムから抜け出す話かな?(むしろウテナ?)
つまり人は理想の自分じゃなくても生きていけるってことかと。そしてそれは負けじゃない。
何者にもなれない拓人の目指す自分が何もないことと、理想の自分に成りたくてカッコ悪さを隠して足掻くことに疲れ切ってる意識高い系の理香さんは同じくらい痛々しいんだ。意識高い系の人の何が痛々しいかというと本当の自分を見ないようにして理想を語ることの空虚さや、泥臭い地道な努力を「カッコ悪い」「無理」と冷笑することで他人を出し抜こうとしてること、そういう自意識が透けてみえることが自分大好き、自分が大好きだから傷つきたくないってことなんだよね。拓人は言うに及ばすw

結局現実と折り合っていくこと、少しずつでも前に進むことが大事だという話だけど、その方法を見失ってる人間からしたらどれも現実感なんてないんだと思う。自分が考える虚構の自分の中にしか自分をみいだせず、他人からもそう見えているんだと信じてるうちは。
だからSNS、しかも何者でもない裏アカでしか自分を表現できない拓人は、とにかく行動するギンジや行動してる風な隆良や理香さんを笑うんだよね。そのくせバーチャルな繋がりを持たないサワ先輩の強さには一目置いて頼ってるし。(ただ本当にサワ先輩が何もやってないのかは拓人が知らないってだけで、実際のところ不明だよね)(隆良が普段はダラけた格好をしてるってのも最後の最後で知るわけだし)
彼が知ってると思って分析してたことは現実のほんの一部でしかない。そんな彼からしたら自分自身こそ一番の批評対象だとわかっててそれに薄々気がついてて見ないようにしてるから、それが余計に痛々しいんだよね。
自分が他人からどう見られているか・どう評価されているか。そういうことに囚われているうちは何者にもなれないのかもしれない。でも世の中、何者にもなれなくても生きていけるものなのですよ…(ダメ人間w)
理香さんが意識高い系からうまく降りられたのかはわからないけど、拓人はそんな自分を暴かれて気持ちが楽になって就活に望めたんならそれは良かったとは思う。でもそこで自分をわかった上で更に自分を盛るのが就活なんじゃあないですかね?就活が上手く行けばいいけど、少なくとも過去(やりたいことをやって周囲と折り合えてた自分)と向き合えたなら望みはあるのかな。