そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

未来のミライ

http://mirai-no-mirai.jp/
監督・脚本・原作:細田守

 

「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督が手がけるオリジナルの長編劇場用アニメーション。甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。
とある都会の片隅。小さな庭に小さな木の生えた、小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。そんな彼の前にある時、学生の姿をした少女が現れる。彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。
これがアニメ声優初挑戦の上白石萌歌がくんちゃん、細田作品は3度目となる黒木華がミライの声を担当。両親役に星野源麻生久美子、祖父母役に宮崎美子役所広司。(「映画.com」より)

 
イヤイヤ期の4歳児の夢と現実と幻想をそのまんまホームビデオ風に、特にオチもなく見せられるとは。面白いかどうかというより映画としてどうかと思うなあ。
というかいつも言ってるけどやっぱり天才じゃない限り普通の監督さんは自分が書いた脚本を自分で監督してはいかんと思うよ。ほんと誰か脚本チェックしてあげて!奥寺さんはどうしたのー?

観る前にレビュー読んじゃったけど(記事末参照)、某批評家さんの言うところの「脚本がどんどんダメになっていく」というのをまさに実感。自分の身近なことをネタにするにしてもちゃんとフィクションとしてのフィルターを通して物語として構築してほしいですよ。幻想的にすれば(しかも意味もなく)アニメ映画として成り立つだろうなんて、ふざけてるとしか言いようがない。
最大限ひいき目で、あのよくわからない現実と幻想が入り混じった一貫性のないストーリーが4歳児から見た現実なんだと言われたらそうなのかもしれないけど、オレたちは4歳児じゃねーしなー。もしかして 小さい子供ならああいうモザイク的な物語が理解できるのかも?
そしてお母さんとお父さんがああいう子供のことまったく見てない、話も聞いてあげないタイプなら子供のくんちゃんがまったく聞き分けない自分勝手な子なのも分かるとしか。何もかもがダメな方の「子育てあるある」。
くんちゃんみたいなああいうイヤイヤ期だからという感じでもない乱暴で自分勝手な子供ってのは監督の子供観なんだろか?と思ったらお母さんの子供の頃のあの乱暴っぷり!えええ〜?と和が目を疑うレベル。女の子(じゃなくても)あんなレベルのハッチャケっ子っているのか…?「おおかみこども〜」の狼っ子の姉弟思い出してすげーイラッとするわ。なんでお母さんのお母さんはちゃんと躾てないの?というかあれ躾でなんとかなるレベル?そりゃくんちゃんも似るよなあとしか。
というか犬。「かつて王子だった」けどあのうちにくんちゃんがやってきて餌が安くなって構われなくなったって時点であの夫婦ろくでもないなーと思ったんだが、ああいう人たちの人間性疑うしすごく不愉快。暮らしぶり悪くないんだったら餌のランク落とすなよ。可哀想だろ。その割にくんちゃんの玩具がやたら多いってのは一体。
とにかく登場人物全員に共感もできないし好感も持てなすぎてどうしたら。
アニメ的な作画はとても良かったけど、キャラの性格のせいかもしれないけど、全然カワイイと思えないんだよ。くんちゃんもミライちゃんも、お父さんもお母さんも。
お母さんとかずっとくんちゃんに対して怒鳴ってて嫌悪しか感じないし、ホントに鬼ババアだよ。オレでもいうよ、なんでそんなに早く仕事復帰するの?って。いやその前にまずくんちゃんの話聞いて上げて、その上で言い聞かせようよ。オレの言ってること理想の子育てすぎる?普通でしょ?(オレは子供いないけど)
そしてくんちゃんの無軌道な「俺を見ろ!」的な暴れっぷり、うちの猫みたいだわ。ケモノかよ。
 
お話的にもいろいろ引っかかるところはあるんだけど、くんちゃんがひいじいさんをお父さんと勘違いするやつ、お父さんのじいさんならともかくなぜお母さんのじいさんなのか。
サマーウォーズで監督が嫁さん方の親戚一族にカルチャーショックを受けたという話を思い出したよ。あの一族のファミリーツリー(まさに木w)ってどうなってんだろう。母系?あの樫の木いつからあそこにあるって設定なんだ?ひいじいちゃんがプロポーズのゴールにした樫の木があれってことなのか。
ともかくあの夫婦のトゲトゲしい(主にお母さん)やりとりや子育て、イヤイヤ期の4歳児のにしても日常すぎてどこが成長なのかわからないくんちゃんの聞き分けのなさっぷりは見てて心がささくれ立つよ。全くほっこりしないファミリームービー(なの?)って逆にすごいな。
そして結局ミライちゃんは何で未来からやってきたのかさっぱり分からない。まさか本当に行き遅れを心配してお雛様片付けにきたの?赤ん坊と中学生のミライちゃんは同時に 存在できないのに、なぜ高校生と4歳のくんちゃんが同時に存在できるのかさっぱり分からない。どういうルール?
そういえばあの雛人形のくだりはギャグのつもりなんだろか。全然笑えないし逆にあの状況で雛人形がしまわれてたら泥棒かホラーだよな?というか 雛人形に気が付いたのに結局雛人形(を仕舞えと言われたこと)に言及しないって、その時点で奥さんの言ったこと聞いてなさすぎでダメだろ…
あとお雛様を欲しがるくんちゃんが鯉のぼりや鎧武者を買ってもらってないわけ無いと思うんだけど、あそこでいうべき言葉は性差別的にはどうかと思うけど「くんちゃんは鯉のぼりがあるでしょ。お雛様は女の子だからくんちゃんのじゃないの」だと思うよ。というか、何かしら言い聞かせてあげようよ。お母さん仕事復帰で頭がいっぱいで4歳の子供にまったく配慮出来ないくらいなら仕事復帰はもう少し先にしようよ。としか。
監督の配慮なのか取って付けた家族観なのか、夫が失職中だから妻の代わりに家事や子育てする、そのかわり妻は育休早めに切り上げて働くってのもイマドキの共働き夫婦の夫像に配慮したんだろうけど、よく考えると結局夫婦の役割が入れ替わっただけで共に子育てしてるふうには描かれてないよね?むしろあんな雑な教え方で家事も育児もって言われ、出来なきゃ怒鳴られるという夫さんが気の毒だとしか。でもお父さん、4才児と生まれたばかりの赤子がいるのに勉強とかしてる場合じゃないでしょ。お雛様も片付けろって言われたこと、見ても思い出さないって時点でないわー。
何もかも見てて不快というか、誰得なんだ、この話。しかも結局フォローみたいなものは何もないし。

「バケモノの子」のときも思ったけど、この手の成長を促す異界ものってある一定のパターンがあって、それをどう味付けするかに作家性が現れるんだと思うけど、細田監督は子供の成長と夫婦が親になるってことをどう思ってるんだろか。
千と千尋の神隠し」が良くてこの作品がダメなのはなぜなのか、脚本に取り掛かる前に考えたんだろか。
世界観としても、百歩譲ってイヤイヤ期のくんちゃんが成長するための此処ではない何処かに、彼が壁にぶつかるたびに何度でも行けるとしてその理由は何なのか。不思議な出来事にもせめて最低限のエクスキューズはほしいと思うんだが。
ファンタジーって、こういうことじゃないと思うんだよ。一体くんちゃんは何を見てどういう体験をどういう状態でしたの?
仮にすべてがくんちゃんの脳内妄想の旅、両親や未来の妹(年上)からそういうお話を聞いて、「お兄ちゃんになる」という自身の願望の内面の具現化=あるべき善き状態を妄想として体験したというならまだわかる。
でもくんちゃんが体験した過去も異世界も飼い犬とのやり取りも妹のミライちゃんも、全部ホンモノなんだよね?いやホンモノの保証もないけど少なくとも犬はお雛様の片付けを現実に手伝ってるから、どうなってるのとしか。まだ「おおかみこども」のようなきっちりとした日常の中のファンタジーとしての不思議な出来事ならまだわかるんだが。

アニメーション的にも作画はとても良かったんだけど、それは実写的なリアリティを絵として再現しただけで(それは冒頭、現実のGoogle Earthの映像のような俯瞰映像が顕著だけど)、本来のアニメーション的な爽快感(デフォルメとイマジネーションに由来する)やカタルシスはなかったように思うかなあ。
強いて言えばシチュエーション的にクライマックスは未来の東京駅からファミリーツリーなんだろうけど(いやあのシーン移行も意味わからない)「サマーウォーズ」のOZの対決ほどにも爽快感はなく、盛り上がりに欠ける気づきの最後にくんちゃんが今まで嫌だった、本当に些細なことを受け入れた…というだけの話で、でもそれは最終的にこの物語がめざすくんちゃんの成長、「くんちゃんがミライちゃんのお兄ちゃんになる」ということは表してないと思うんだ。
それはとてもミクロな変化と成長なんだけど、くんちゃんがそれによってどう変わったのかも描かれず、ましてやくんちゃんの両親はそんなくんちゃんの成長にも気づかないままって、なぜわざわざあえてそういう物語を見せられるのかと。
一つのごく普通の家族の裏にも何がしかの過去から続く血の繋がりがあり、それが未来に続いていく…みたいな話はあまりにもテーマとしては普遍的だけど、見せ方がホームビデオレベルの凡庸さだしつまらないし、登場人物たちにまったく共感しない物語にカタルシスはないと思うんだよ。
だからこれは監督が自分の体験や気付き(=自分の子供に対する観察結果)を垂れ流してるだけのただのホームビデオなんだけど、それを「映画として」面白いと思ってるなら、さすがに監督としてはどうかなあと思うわけです。
おおかみこどもまではうっかりするとポスト宮崎駿が狙えると思ってたんだけどねえ。とにかく今回の作品の出来はひどかった。
 
参考までに→小野寺系の『未来のミライ』評:いままでの細田作品の問題が、作家的深化とともに表面化 http://realsound.jp/movie/2018/07/post-228005.html