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ちょっとオレ解釈:皿洗い

カブト16話の影山の皿洗いシーンの解釈について。


オレは見たとき、何となく意図は伝わるけど判りにくいなあと思ってたんですが、特ニューの加賀美・影山対談で脚本が変更されたと言ってて、ああそうかと思ったんですね。
台本通りの「笑顔で影山に皿洗いを指示する」加賀美と、放映された影山に対して何かちょっと含むとこあるような加賀美だと、加賀美の性格がかなり違って見えるんですよね。
ここって話の流れからしたら、台本通りに天道が加賀美のために影山への意趣返しに皿洗いをやらせたってことでいいと思うんですね。だから台本では笑顔で影山に指示を出している。
ところが加賀美がそういう性格かどうかということで、どちらかというと「囮にされたことで悔しく思っているはず」という加賀美役の佐藤くんと鈴村監督が相談した結果、放映された「微妙に気まずい雰囲気の中で影山に皿を洗わせる加賀美」…になったわけですが、どうも中途半端な感じがしてしょうがないのはやっぱり演出の問題?な気がします。

加賀美は笑顔で影山に皿洗いをさせるようなキャラじゃないというのは(これは同じ「笑顔で」にしても、拘りが無い"笑い"なのか、または意地の悪い、ざまあないやという感じの"嗤い"なのか、で意図が違ってくると思いますが)その点に関してはどっちにしても演じてる佐藤くんが「違う」というのならそれが正しいんだと思います。殺されかけた後だし、加賀美はわりとその辺根に持たないタイプだと脚本家は思ったのかもしれないけど、実際演じてるほうからすればいくら何でもそれはないだろうと。
そうしたらあのシーンはもっとハッキリと、

「天道が風間に頭を下げてまで影山を謝らせたのは、加賀美に影山に対する意趣返しをさせてやろうと思ってやったことだったのに、加賀美は天道の意図に気がつかないまま、皿洗いする影山に対して戸惑いつつ、生来の人の良さから殺されかけてたことも忘れて影山の不馴れな様を見るに見かねて手伝いを申し出た…」

シーンにならないといけないと思うんですね。
一応見返してみましたが、加賀美のセリフは同じでも笑いながらいうのと、そうじゃないのではかなり感じが違ってきます。で、佐藤くんの演技は問題ない。となるとその演出意図通りに見せるためには何が足りないのかというと、天道のひとこと「しょうがないな、加賀美は」があればいいんですね。
てことは、脚本を変更した段階でやっぱりすずむーの読み込み不足で演出が足りないってことかなあと思うわけですよ。だって現場で変更したっていっても大して手間かかんないよな、天道のアップ撮って一言付け加えるくらいさ。

どうもこの間からすずむーの演出に対する不信感もあるせいか、彼の演出に関しては辛口に見てしまいます。ホントは見てる間、そんな疑問を持つようなことがあっては成らんと思うのですけどね。
演出が正しいか正しくないかというよりは、今回は役者さんはかなり役を把握してるし、基本的に脚本が誰であろうと表面的な描写はともかく大本は間違ってないと思ってるんで、実際放映されたときにその意図に対してちょっと描写不足なんじゃないのかなあ?という程度ではありますが。


加賀美が天道の意図に気付いてるかどうかはあのシーンからはよく判らないんだけど、その方が加賀美らしいからオレはそっちをとりたいんですが。(気がついててもそんなに描写は変わらないと思うし)
そもそも天道がそんなことを考えるのは随分人間臭いと思うのですが、その辺はそういうキャラとして天道を捉えている井上脚本だからなのかな?この場合加賀美のためにやったこと…ということで、天道自身は影山に対して特に何とも思ってないのでは…と思いますが。(追記:キャラ本読んだら水嶋くんは以外とそうでもないってことを言ってましたが)