そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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小公女セイラ#10(終)

http://www.tbs.co.jp/seira2009/
いやーすげー面白かったー(笑)世間的にはどうか知らないけど、オレ的にはどんどん面白くなってたよ。録画録って消しだったのをちょっと悔やんだくらい。取っといてもよかったかな、特に栗栖さんがでてきた辺りは。何となくこっちが本来日テレ土9枠って雰囲気な気がするんだがなんでTBSなんだろ。や、TBSでもこのコンビ+αなら全然構いませんが。
それにしても磯山晶プロデュース×金子文紀だからってのはあるにしても、この岡田惠和の脚本上手すぎる。どこがって言うと、現代版にアレンジしてながら児童文学のお約束な記号的キャラをちゃんと生かしてて、なおかつそのキャラに説得力ある内面を与えてるそのバランスが上手すぎる。現代が舞台のドラマなのに児童文学的な面もちゃんと残してるとことかね。
主人公のセイラがどんな境遇においても自分がお金持ちだったことのメンタリティを失わない、それでなお間違ってた・知らなかったことすら認めて自分の正しさとしてしまうお金持ち的絶対正しい人の強かさといっていいのかな、何だか妙ちきりんなキャラなんだけど志田未来がやるとなんか納得してしまうことも含めて、脚本としてちゃんと成立してたってこと。
もう一人の主人公、学院長の三村千恵子が、西洋の児童文学にいがちな短絡的で頑迷な意地悪キャラだという記号をはずすことなく、その内面の葛藤や心情を描きつつも、でも作劇的な逆転劇においても改心しないという凄さ。
改心するならそれ相応の理由が必要っていうか、短絡キャラの改心?はわかりやすく小沼料理長夫妻がそうなんだけど、内面的に薄っぺらいキャラだから状況に応じて簡単に改心する、だから逆に学院長は改心しないんだよな。それは「セイラがお金持ちになったから」じゃダメに決まってるというか、彼女の少女時代からの薫子さんに対する鬱屈した思いはそんなものじゃ等価にならないよな。
というかセイラのライバルって完全に学院長だもん。同じ生徒のマリアやかをりじゃないんだよなー(笑)
 
オレ、ずっと見てて現代のドラマとしてというかお話として変だなぁと思ってたのが、いくらセイラが一文無しの境遇になったといっても、学院長が召使いとして使っていいというその理由付けがまったくないはずなのに、「そういうもの」として成立してるってことの強引さなんだよね。本来子供がターゲットのはずだけど、そこら辺って子供どう思ってたんだろう?大人からしたら絶対おかしいはずなんだけど‥‥(^_^;)
元が児童文学で「小公女」だということを考えると逆にスルーすべきネタってことかな?いやスルーすんなよというか(笑)もちろんそれは突っ込みどころだとは思うけど。
だってさ、大金持ちのお嬢様が多額の寄付金と供に入学した私設の学園でそれに見合った良い待遇を受けていたけれど、家がお金持ちでなくなり寄付金の話もチャラになったら途端に手の平返しで、身寄りがないらしいお嬢様を学院長が学院で引き取り召使いとしてただ働き同然の最低待遇で、本人の自由意思すら認めないってその設定変じゃん。
しかも本人はその境遇に疑問を抱かず甘んじて受け入れ言いなりになってるけど、お金持ちのプライドとお金持ちゆえの慈善的な優しさは失わないってことで、学院の絶対的支配者の学院長と対立関係にあるって状況も変じゃん(笑)
その辺の「強引なおかしさ」が、終わり間際のセイラパパを恩人という栗栖家の坊ちゃんが現れたところで更に際立ったというか、現代においてお金持ちの人が誰も引き取り手のない孤児になる‥‥って状況、冷静に考えてあるはずないよね。だってお金持ちなんだもん。それなり人脈とかあるのが普通だし‥‥ってことに今さらながらに気がついたというか(笑)院長先生だって「お金持ちの人には横のつながりがある」て言ってたじゃん。
しかもそんな人徳のある大金持ちなら金の切れ目が縁の切れ目ってワケじゃないし、黒田氏は騙されて一文無しになって死んだわけじゃないんだから、助けようって人間がいない方がオカシイと思うのだよ。(というかそもそも両親の実家や親類縁者とはどうなってたんだっけ?)
というかそもそもなんで院長先生って学院の経営までやってんの?まああの学院にいたってことはそれなりのお金持ちだったんだと思うけど‥‥?どういう人生歩いてきたんだ三村千恵子さん!
更にすごいのが、一文無し、即使用人ということのオカシサをまるっと無視出来る学院長の短絡さの説得力は明らかに樋口可南子のおかげだけど、それを笑いで突っ込める斉藤由貴の笑美子さんとの掛け合いが最高というか。
もうなんといっても今回の一番のポイントは「あなたのプライドなんてどうでもいいっ!」と逆ギレしたあと、一人にして欲しいという千恵子さんに「イヤよ。‥‥あたしが一人になりたくないから」っていう笑美子さんの、「つくづくダメ姉妹ねぇ‥‥あたしたちって」だと思うよ!(笑)爆笑した!w しかも院長先生クッキー食べたw
責められべき院長先生の頑なさと頑迷さをそこまで笑いにするかーということと、笑いにするからこそ院長先生の愚かさと頑なさを許すべきものだと思えるんだよな。そしてセイラが学院長を許すことに視聴者が納得出来るのは、院長先生の頑迷さが、そういう笑っちゃうようなものだからだと思うんですけど。つか今までのヒステリー描写も十分笑えてたけどさ。普通の大人としてありえなさすぎて(笑)
そしてその学院長を許すセイラに、「あなたのことが嫌いですが構いませんか?」という学院長がむしろ潔くてステキすぎる(笑)
ここであっさり改心しないから院長先生のキャラが最後まで筋通ってるんだし、その後のセイラが代表生徒になるという流れはマリアが認めたのと同じように院長先生もセイラのことを認めるに足る理由があったと思わせるし、結局最後までセイラの正しさは不可侵な感じで終わってるってのもすごいなぁと。
空気読まないって言われたことで悩んで昏睡状態になってたセイラが多様な価値観を認めつつ、でもみんなと同じじゃダメとだと悟って更に正しいお金持ちになったのもスゴイ。空気読むとか読まないとかって話じゃないっつか、結局みんなにとって正しいことが正しいってこと?それが真のお金持ちの正しさなのか。凡人には真似出来ないレベル。
だって結局はお金持ちの世界の話じゃん。お金持ちの論理というか、お金を持ってることが偉いって言うんじゃなくて、お金持ちの世界にいることが正しいことだって話じゃん?それが女の子はいつだってプリンセスってことか。「プリンセス」の根拠が恋じゃないところが逆にスゴイ硬派?カイトとの別れのキスシーンはかなりトキメいたけど。
亜蘭先生の正体が全国有数のノーブル学園の理事長で、ミレニウスのフランス語教師は趣味だった(あと千恵子の傍にいたかったから?)っていうのもね。つか千恵子さんは亜蘭先生とくっつけばいいのになw あれ、プロポーズだろ?いいけどクッキー缶がすっかり空になってて笑った(笑)よっぴいて食ってたのか?シリアスでもコメディでも、演出も拘りも細かいよなー。さすがというか。
院長先生がセイラの条件をのむとこなんか、演技も演出もあんまりすごくてすげー集中して見ちゃったし。
 
なんか最終回は展開としては予想出来たこととはいえ(大体原作付きだし)、セイラと院長先生のキャラのおかしさが最後までテンション高くて楽しめた!これって、特に院長先生の話なんか子供がというより大人の方が気持ちわかると思うんだけどなぁ。小公女ってことで最初から大人が見るドラマじゃない枠なのがもったいないくらいですよ。
銭ゲバで貧乏の極みというか、どんなにお金持ちになっても心が貧しい青年を描いた岡田惠和が、まったく逆のものをやるというのも面白かったし。セイラって明らかにその流れでの大金持ちの気高さの不可侵さを描いてるよなあ。どっちにしても空気読めない、読まないからこそ異彩を放ってるって感じだけど。