そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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龍馬伝#19「攘夷決行」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
いーやー面白かった!こういう時はCMのないNHKスバラシイ!と思うね(笑)今週の演出はこないだの容堂の話の梶原登城さん。この人は武市さんが好きなのか?そんな気がするw
何つかさー、龍馬くらい心無く人の間を泳いでる人はともかくとしても、まあこのドラマでは武市さんをこういう人だと描くのがデフォルトなので仕方ないんですが、融通きかなさすぎるっていうのとも違うしなあ、なんなんでしょね、武市さんの器の小ささって。
勝先生が大きな攘夷と小さな攘夷って言ってたけど、武市さんのは小さな攘夷。龍馬はまあ大きな攘夷派だけどほんとは全然別のもの見てるんだよな。今の最善が大きな攘夷だってだけで。だから‥‥としかなあ。武市さんとはすでにどうやってもわかりあえないくらい、見てるものが違ってきちゃってるというか。
それより、容堂公にそそのかされた収二郎が捕らえられ‥‥のくだり、オレの理解が追っつかなくてよくわからなかったんだけど、つまり収二郎が朝廷に攘夷を約束するってのは、幕府に完全に組みしてる土佐藩的には反逆罪ってことか?収二郎がそれに疑いを持たなかったのは「大殿様が攘夷を約束してる、土佐は攘夷の旗頭になる」という武市さんの言う事を信じてたからだよな。
それにしてもよく考えたら武市さんが収二郎のことをどう思ってたのか、まったくさっぱりよくわからないことに気がつきました。仲間は仲間だったんだろうけど、同じ攘夷で下士の仲間、使えるというか優秀だということはわかってたんだろうし、部下扱いでもなく同士ではあるけど、個人として認めてはなかったってことだよな。ほんとに駒だと思ってたというか、武市さん自身、自分も攘夷のための駒だと思ってた節もあるから悪気もないというか、そういう意味でみんな同じものを見てると武市さんが勝手に思ってただけか。やっぱり武市さんの中だけの妄想の攘夷?
でもって収二郎に対しては能力を認めてたからまだ「同士」ではあったけど、以蔵は馬鹿だから思想なんか分からない、完全に「飼い犬」だと思ってた‥‥ってのが思わずポロリ。以蔵の「わしは飼い犬やったがですか‥‥」が以蔵が可哀想というより、そう言わす武市さんが気の毒としか。
明らかに最初の頃の武市さん、思想と行動が一致してた頃とは違うというか、なんで違ってきちゃったかというと、それはもう「攘夷のために吉田東洋を暗殺した」という事実からだと思うんですけどね。案の定そこら辺蒸し返されてますが。

収二郎にしても以蔵にしても武市さんのことを信じてた理由の中に「幼馴染だから」っていうのは絶対あったと思うし、それは以蔵が武市さんに付いていってたのもそうだと思うんだけど、だからこそ最後に武市さんが龍馬に「幼馴染はありがたいのう」って言ったのがなんともかんとも。一体武市さんはどこまで意識的に振舞ってたんだろうと。
武市さんに飼い犬といわれた以蔵は意外と「武市さんに」認めて欲しかったわけじゃなく、やっぱり自分を認めて必要としてくれる人に対して忠実でありたかったってことか。
人斬りは嫌だっていうのは武市さんみたいに攘夷のためになら人を殺してもいいと割り切るほど思想的に信じるものがあったわけじゃなく、幼馴染の武市さんが必要だといってくれたから付いていってたってことだろうし、そういう意味の馬鹿だったってことだよなあ。龍馬を信じるというより龍馬の「ひとりひとり違った考えを持っている」っていう思想に引っかかったから勝先生の護衛をいわれるままにやってたんだろうし。以蔵が勝先生の護衛をどういうつもりでやってるのかはちゃんと描いてて欲しかった気がするけど、あれだけでも以蔵が自発的にやってるってことはわかるからいいか。
だいたい武市さんが以蔵じゃないとだめだっていってくれればまた別だったんだろうけど、馬鹿でも人斬りが良くないことは知ってる‥‥ってことをまったく考えてなかった武市さんが悪いってことじゃん?それこそ以蔵が収二郎くらいものをちゃんとしゃべれれば、そういう申し開きもできたろうに。
 
オレ、このドラマの武市さんて自分勝手な人じゃないと思うし、本当なら自分の分はわきまえてる人だと思うし、勤王党を立ち上げて攘夷派のトップになったのだって、そもそもは龍馬の言うとおり武市さんの人徳で、担がれたから神輿の上に乗ってしまったけど、そのことについて自分がという変なプライドを持ってた自意識が過剰な人じゃないと思うんだよな。
そこら辺からして大森さんが演じてるこのドラマの武市さんの人物像は複雑すぎてわかりにくいんだけど、今回の演出でいうのならすごく印象的だったのは土佐藩邸で土佐へ戻るという武市さんを龍馬が説得してる時に、容堂公が武市さんを嫌ってるって言われたときにものすごく目が泳いでるんだけど、そりゃ面と向かって嫌われてるなんて言われたら目も泳ぐだろうし、それをいう龍馬も偉いと思うけど(苦笑)、その直後の菓子をもらったっていうときにはもう開き直ってるんだよね、武市さん。開き直ってるというか、大殿に認めてもらってるという自信に溢れてるというか疑ってないというか。
吉田東洋を殺したあたりから武市さんは見たいものしか見ない、信じたいことしか信じない人になってて、しかも基本素直だから嫌われてるのわかってかどうか、たぶん本気でわかってなかったのかもしれないけど、大殿様を信じたいから信じることに無理があってもそこは見てないってことで、本気で大殿様のためにって思ってたってことなんだよなあ。たとえ攘夷決行日に何の音沙汰もなくても。
でなきゃ虚勢でも何でもなく素直に「菓子をもらったから」‥‥なんて言えないよ、脱藩を許され、大殿に名前も覚えられてた龍馬に対してさあ。嫌味も通じないその素直さというか‥‥気の毒すぎる。
むかしの武市さんは龍馬に対して対抗意識があったから逆に龍馬のいうことは聞けないってのがあったと思うんだけど、東洋を暗殺してからの武市さんて、そういうのもなくなっちゃったんだよね。たぶん龍馬に対して一度切っちゃったというか、勤王党の連判署を眺めてたのも攘夷は成されるってことを信じてたんだろうけど、龍馬のことはすでに気にしてなかったと思うんだよ。
容堂公が武市さんを嫌う理由の吉田東洋を殺したということよりも、どうにもならんのは「下士の集まりだから」という根本的な武市さんのやることの全否定で、下士だからと否定されてるのに、その相手の大殿様を信じる事ができなきゃ侍として成り立たないと思ってるっていうのが、武市さんの状況として不幸なことだったというか。
それがそもそも人の思惑に気がつかない空気読まさなさといったらそうなんだけど、武市さんの言ってることは全部本気なんだよな。本気で自分のやってることがいいことだと信じて疑わないし、大殿様を信じてるし、日本のためには攘夷が一番だと思い込んでるし、そういう素直さって昔の武士の価値観であって、結局こういう激動の時代には合わなかったってことかなあ。容堂公の機を見るに敏な時代の先読みっぷりとは対照的というか、だから嫌われるんだよな。
何もかもなくなったところで最後に残ったのは幼馴染だということで、龍馬に対して幼馴染はありがたいってのも、海軍にはいるというのも、たぶん本気なんだよなあ。たぶん無理だろうから‥‥という慰めじゃなくてホントにそう思ってる。このドラマの武市さんはきっとそう。だからその論法でいけば、土佐に戻ったら捕まるとわかってて収二郎を助けに行くのは、収二郎が同士だからじゃなくて幼馴染だからじゃないかと。そしてたぶん本気で助けられるんじゃないかと思ってるんでは。
あの状況でそう思えるのはそもそもの勤王党を立ち上げたときにみんなが付いてきてくれたように武市さんの人柄なんだけど、そういう人だから結局ひとりひとりが違う考えを持ってているということが最期までわからなかった、空気が読めなかった‥‥ってことなんだよなあ。子供の頃の関係性のままというか、みんな同じこと考えてるんだと素直に信じていられたというか。だからこないだ長次郎に対しても「饅頭屋ふぜいが」とか言っちゃえるんだよ。
ああそして、今回がたぶん武市さんの一番の見せ場か。なんでこうなっちゃったんだろうね、武市さん。
 
でもって、大狸な幕府の調子良い外交というか、やり手すぎて勝先生には不評みたいですね。もともと幕府って長州とは仲悪いんだっけ?なんとなく今回の一件で幕末に至る幕府vs長州という図式の根本はわかった気がする。でもそういう権力を嵩にきたせこい手を使う幕府の行く末ってのは、たかが知れてるんじゃなかろうかってことですかね。
次回収二郎が打首になって、勤王党はこれで終わりなのかな、新選組と入れ替わりってことか。
いやー実に見ごたえあったなぁ。
書きたいことがありすぎてまとまらないというか、追っつかねーけどまあいいや。