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UN-GO #7「ハクチュウム」

http://www.un-go.com/
脚本:會川昇 絵コンテ:増井壮一 演出:清水久敏 作画監督:小平佳幸・長谷部敦志
 
唐突にTVシリーズの方の感想を書いてみる。というのはこれ、映画見てないと何が何やら‥‥だよな?もちろん見てなくてもわかるけど。
というか、OP終わったあとの提供バックですでにネタバレってw。映画の終わりがOPだってこと考えると、むしろこの7話目に繋がってると考えるほうが自然かな。そういや因果論公開以降の視聴タイミングでもここに繋がるよね。昨日までに因果論を見た人が初めて見るTVシリーズがこれだし。(というか上映館考えると見たくても見られない人のほうが多そう‥‥)
オレもそうだけど、見ないで今回の話見てたらどう思ったのかには自分でもちょっと興味あるよ。サブタイ通り「白昼夢」だと思ったかもしれん。少なくも今回ここまでの話の謎解きはともかく、解釈は違ったと思う。
以下、映画含めてネタバレ考。
 
 
ネタバレと云うか、提供バックの小説家の後ろに現御神(=あきつみかみ)の別天王がいるんだもん。新十郎が面会に行った小説家の後ろに別天王がいたら、白昼夢と云うより「そういうこと」だよね、っていう。
新十郎が映画スタッフのカメラマンの役割だって云うのもちょっと象徴的。それは新十郎が探していた「何か」に引っかかるとこだよね。
「現実で小説を書く」という自称・小説家が選んだという最後の名探偵が新十郎で、名探偵というものの役割は「どんな冷酷な結果になろうともすべての被害者が殺されたあとに推理を終えるのが名探偵」「どんな悲劇的な理由があろうとも、すべて白日のもとに晒すのが名探偵」だとすれば、前回のアンゴウの結末は誰の望んだ真実を暴いたんだろ?小説家の‥‥という口ぶりでもなかったと思うけど。
で、新十郎の白昼夢だけど、「映画監督?」の持ってたタブレットに写ってるのは明らかに刑務所内でしかもあの3人組のひとりは確実にいない人間ってことで?
たしか別天王の現実化能力って、言葉を聞いた人間だけの真実=妄想だから、新十郎の身に起こってることは本当の現実のはずなんだよね。それを新十郎が「自分に都合のいい真実」として感じてるということなだけで。
だからあの場の人間と話が噛み合わなかったり反応がおかしかったりするってことで、とすれば監督が殺されたのは白昼夢でなく、現実であり事実なんだよ。その犯人が自分だと思い込んでしまった新十郎はその謎を解かない限りあの世界、小説家が作った新十郎の真実(妄想)から逃れられない‥‥ってことは、これは試されてるってことかなあ。
因果のいない新十郎が、自分に都合のいい(悪い)「真実」からどれだけ本当の真実を見つけることが出来るのか、という。
「因果論」で明かされたことから考えるとそういう話かと思うんだけど、會川先生がTwitter

nishi_ogi/會川昇
因果論を観てないとわけわからない…と思ってる人がいるみたいだけど、実は観てる人のほうこそ騙されてるかも? 今回の「殺人事件」は、次回しっかり解決します。手がかりは提示してますので、犯人の推理は可能だと思います。でも動機は難しいでしょうね

って言ってるから、どうなんだろ?
そういや海勝麟六のJJシステムって具体的には何?
図書館のシーンで出てたフランク・ダラボン(オレ的にタイムリーw)のヒントは「グリーンマイル」かなあ。刑務所の中の話ってことかな?
あと、ちょこっと見返してたら、撮影風景で新十郎が何もないとこで何かに背をもたせかけてたんだけど、あれってつまり今見えてる風景と体感は違うってことだと思うんだけど、新十郎は気がついてないってこと?
あの三人組の少女は囚人にしても元の性格をなぞってるんだと思うけど。映画の役柄から言って性犯罪関係かなあ。
 
一応確認しとくけど、現実の世界では戦争はあったんだよね?ピンドラとかに比べたらあんまりまじめに見てなかったから(だから世界観があやふやなんだよw)一応確認。
「因果論」では新十郎が関わった邦人巻き込まれ事件のあとに、それをキッカケに対テロ戦争が起こった‥‥ってことだよね?何年くらいたったんだろ?というか新十郎は東京に戻ってくるまでどうしてたんだ?
そういや、「因果論」で結城新十郎という名前が実は(海勝麟六に)与えられたものだということが明かされたけど、新十郎本人は自分の本当の名前は知ってるんだよな。
とすれば、それはすでに海勝麟六によって作られた舞台(もしくは映画)の登場人物「結城新十郎」としての役割を背負ってる‥‥とも言えるわけで。
夕べ書いた「因果論」の感想で、ある意味「結城新十郎」が誕生したエピソード0的な物語をやっていながら新十郎がなんで探偵をやっているのか、その理由がまったく分からないって書いたんだけど、もしかしてそういうことなのかなあ?誰かが望んだから新十郎が「名探偵」でありえてるってこと?その誰かが自称・小説家なのか、海勝麟六なのかは、まだ分からないんだけど。
だって、海勝麟六と自称小説家のやってることは、方法が違うだけで(現実世界を操れるほど影響力があるか、超自然の力で妄想を現実化するか)同じことだよね。むしろ、新十郎という駒を使って自分たちの作った「真実」からどれだけ「本当の真実」を暴けるのかを楽しんでないかな?
とすると、そういうのひっくるめてこれって「最後の名探偵の物語」かな。會川先生がいかにも好きそうな物語構図だよね(笑)
それを思うと、今回のハクチュウムの話はいろいろ面白いなあと思わざるを得ませんよ。
ふと思ったけど、別天王の「言ったことを現実にする力」ってのは、起こったこと自体は「幻」なんだけど、この物語の意味として「真実」=「その人にとっての現実」ってことだよね。それを読み違うとこの物語の意味は正しく読み取れないような気がする。まあそれも會川先生のいつものテイストだとは思うけど。
「物語」ってあくまでもその人にとっての真実だと思うし、事実と違ってても構わない。でもそこで真実を暴いて「本当の真実」=「事実に近いもの」にたどり着くことが出来るのは、「物語の主人公」でしかないってことだと。誰かがそう望む限り。UN-GOってそういう話なのかなあ。