そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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輪るピングドラム#24「愛してる」(終)

http://penguindrum.jp/
シリーズ構成・脚本:幾原邦彦伊神貴世 絵コンテ:幾原邦彦山崎みつえ・中村章子・古川知宏 演出:幾原邦彦山崎みつえ・中村章子 作画監督西位輝実・進藤優・中村章子 エフェクト作監:柴田勝紀・後藤圭二
 
結局何が起こってどうなったのか、よくわからないけど問題なし。だってこれは「愛の物語」だから。なんかわかんないけど感動した。(たぶんBGMのせいもある)
桃果は本当に特別な存在だったし、運命を乗り換える呪文も本当にあった。
せいぞーんせんりゃくー!と冠葉に近づくたびにプリンセスから陽毬に戻るとこでのメロ抜きのいつものBGMからの静かさとか、最後の今まさに乗り換えが行われてるところの観念的なのかなんなのかよくわからないベッドと舞い上がる赤い布と荘厳な音楽の神々しさときたら!まさに世界線が変わったって感じで、何も言うことありませんよ。何が起こってるかわからなくても感動するよね。そして乗り換え終了で日常が戻ってきたーーと。
陽毬が当たり前の日常を生きていられるのは冠葉と晶馬の自己犠牲があったからで、その愛がピングドラムで‥‥という愛の話ってことだよね。たぶん。
陽毬の額の傷と、サンちゃんが置いていったお兄ちゃんからのメッセージ入りの思い出のテディのぬいぐるみ、陽毬は池部のおじさんたちと暮らしてることになり(しかも和菓子屋ではなく工務店だし)、たぶんダブルHの二人は陽毬のかつて仲良しさんではないんだよね。
そんなちょっとだけ普通の暮らしをしてる陽毬のうちの前を、1話と同じシチュで宮沢賢治の話をしながら通る小学生二人組‥‥は冠葉と晶馬だったし、二人は何処へ行くのか、本当にそれでよかったのかはわからないけど、冠葉と晶馬がそれでいいならいいんだよな。陽毬が生きていることを罰だと思わずに生きていける世界を二人が望んだんだから、それでハッピーエンド。こういう話がすごく好きなのでとても心温まるいい終わり方だった。世界は美しいね!
最後のクライマックスシーンで一番印象に残ったのは、ペンギンたちが逆回転して箱詰めされ直して戻っていくとこ。あれ見て「ああ‥‥世界線が変わったんだなあー」とすごく思った。始まらなかったんだよね、この物語が。
  
でもまあ途中いろいろ考えてきたから、一応分かる範囲で考えてみる。
闇に落ちた冠葉を救おうとすべてを差し出す陽毬、その陽毬に何もかも与えても生きていて欲しいと思う冠葉。そして自分の命の半分は冠葉に与えられたものだったということに気がついて、それを返そうとする晶馬。そして晶馬のため、この世界を乗り換えるために、自分が炎に焼かれても構わないと思って呪文を唱える苹果ちゃん。その呪文は陽毬が一番好きな言葉、「運命の果実を一緒に食べよう」。(ダブルHが普通に良い子だったのが予想外でびっくり。なんで今まで連絡取らなかったんだろう)
自分を犠牲にしても誰かを助けたいと思う、つまり蠍の炎に焼かれることで愛の林檎を得ることができるなら、そこで死んで終わりではなくむしろ始まりである。宮沢賢治銀河鉄道の夜の「ココカラハジマル」で、運命の乗り換え終了。
多蕗とゆりさんはそのまま残されたのかな?記憶持ってるの?
そらの孔分室にいる眞悧のバックにある「かえるくん、○○を救う」の物語でいうと、眞悧は世界の歪みから生まれた呪いであって、地下の「みみずくん」で、桃果はそれを倒そうとする「カエルくん」ってことになるのかなあ。この世界を救って桃果は行ってしまったけど(桃果は電車には乗ってない)、眞悧は呪いのまま残ったし、たぶん世界を呪う存在というのはなくならないんだよな。
「世界」という箱の中で大勢の黒いその他の人々(ピクトグラム=透明な存在ではない)に囲まれてひとりだけ逆方向を向いている「選ばれなかった子供」は常に存在するってことだよね。それが世界に対する呪いで、幾原監督の作品で地下っていうのは自我の底とか隠したいエゴだったりするんだろうから、池袋の地下にいた男たちもそういうものかもしれないし(真砂子は何と戦ったんだろう?←比喩的な意味でも)、そもそもそらの孔分室は池袋のサンシャニー水族館の地下61階にあるんだし、まさに怨念凝り固まったみみずくんそのものか。
そもそも「渡瀬眞悧」って人間は本当に存在したのかなあ?単純に呪いの具現化のような気もするけど。ウテナの御影草時と同じだよね。あと他にもなんかそんな話あったような気がする(なんだっけ?)
選ばれなかった子供は常に世界に対する「呪い」になる可能性があるってことだけど、それを打ち破るのが「愛」、それも自己犠牲の愛だけだという話なのかな。
ただ自分たちの望む世界のために他人を犠牲にしようとしたピングループ及び企鵝の会が呪いそのものだったのに対し、誰かを助けるために自分を犠牲にすることは美しいよね、光だよねっていう話だけなら偽善的なんだけど、それが水面に広がる輪のように(たぶんそういう意味でのイメージショットだよね)そういう自己犠牲の輪が愛する人と運命で繋がってるんだとすれば、自分の犠牲が世界をも変えることができるってことなのかなあ。
あとひょっとして剣山たちも冠葉のように眞悧に操られていたって可能性もあるかもしれない。なんたって、眞悧はこの世界を壊したいという呪いだから。理由はなんだっていいんだよな、氷の世界でもこどもブロイラーでも「箱に閉じ込められている=世界を壊さなければいけない」という強迫観念を植えつければいいだけだから。誰かのために世界を革命するのとは似てるようで違うのは動機の問題かなあ?
そして真砂子は運命の列車に乗らざるを得なかったから冠葉が双子の兄だったという記憶をおぼろげに持ちながらも、違う運命に乗り換えてしまったと。でもマリオさんがいるから彼女は大丈夫だよな。
ところで、彼はどうしてペンギン帽に選ばれてたんだろう?もしかして、真砂子に協力をさせるために眞悧が利用してたのかな?日記を手に入れて燃やすために。もちろん高倉家のこともそうやって利用しようとしてただけだったとか?これはよく考えたほうがいいのかも。でももしかしたらマリオさんが病弱だったのも眞悧のせいかもね。
   
結局、冠葉が選ばれた子だったってことだと、生きて存在すること自体が罰だったのは晶馬と陽毬か。
冠葉が分け与えた林檎=命の半分をもらった晶馬が生きてたから、こどもブロイラーにいた陽毬を救った=半分の林檎のさらに半分を分け与えた。そして高倉剣山たちのやったことの代償として陽毬は命を失うことになってそれを助けるために冠葉が更に命を分け与えた。
生きてることが「罰」というのなら「罪」は何かというと、選ばれた子供のはずの冠葉の林檎を減らしたことかなあ。それだと生きていること自体が罪悪感という名の罰を受けることにはなるけど。
その世界は間違ってたってことなのかなあ。あの二人が閉じ込められてた檻が何だったのか、結局それが本当だったのかどうかもわからず終いだけど、あの描写だとあれは晶馬は両親の罪を背負って死ぬべきだったってこと?
細かいことはいろいろあったような気がするけど、それはたぶんきっちり見返していろいろ考察しないとわからないんだよな。まあ考察しなくても、とても美しい愛の物語だということでいいんだけど。全然いいんだけど。
ウテナの時だってそんなこと考えながら見てたわけじゃないけど毎回とても面白かったし、毎回の思わせぶりは思わせぶりとして楽しんでたしさ。それでも全然いいと思う。
 
それよりオレ思ったんだけど、こういう話、見たことあるよ?
見たことあるってか、フィーリングで言うけどこれさ、「仮面ライダーカブト GDO SPEED LOVE」だぜ?(笑)
なんかずっと引っかかってたんだよなー、なんかカブトの設定と微妙に似てると思って。もちろん幾原監督は劇場版カブトはさすがに見ちゃいないだろうけどさ、何となく被るところ多いよね?
もちろん冠葉=天道総司、晶馬=加賀美新、陽毬=日下部ひよりだよ。苹果ちゃんは樹花ちゃんでもいいかな?兄妹なのかそうじゃないのかが物語の鍵になることとか、その辺の複雑さとか、ほら、そのまんまだよ。シビレルだろう?
細かいところはともかく、病弱な妹を助けるためなら何でもやると誓ってちょっとダブスタで頭おかしくみえるとかちょっと逝っちゃったりなお兄さんの天道と、それを受け入れつつどうにもできない、病弱な妹の運命の相手(映画版はね)が加賀美。
おまけにその発端は加賀美の父親だし‥‥ってとこまで同じ。ZECTは企鵝の会だよw
結局この世が間違ってるからって運命の乗り換えをできる力を手に入れて乗り換えしちゃおうと思ったりしちゃった人たちの話。すべては愛ゆえに。
すべてはここから始まるってことで、隕石の堕ちる前に戻って運命を変えて、違う世界で3人で楽しく暮らせたらイイねって願ってその通りになった世界の話。願った世界を何かの犠牲で実現する話は美しいよな。
何となく雰囲気的に似てると思うのは、結局セカイ系のお話だからかもしれない。カブトはダブルスタンダードを何となく誤魔化したけど、ピンドラは誤魔化さず全部ありにしちゃってその理由を「愛の話だから」でまとめちゃったってだけ。この世界を変えようと言いながらも、詰まるとことは兄妹の愛の話ってことで。
というか、だから何となくここんところの終盤の展開、特に冠葉が企鵝の会にいっちゃってからは、カブトが頭の端にチラチラしてたんだけど、昨日ピンドラのちょっとした裏話を小耳に挟み *1 、それを聞いたらますますそれってGSLのラストじゃん?うんそれにしなくてよかったね‥‥という話だったんだけどさ(笑)
無意識の符号ってコワい(笑)
誰かを助けたいという愛の力の奇跡って、自己犠牲でしか成し得ないのか‥‥というと胡散臭い話だけど、そういう偽善がいいか悪いかでなく、それでもそれを願う気持ちが奇跡を起こしたときに、その世界は切なくて美しいと思えるのかもね。
上で書いたオレが印象に残ったペンギンの箱詰め逆回転シーンって、天道さんが過去の自分にベルト渡して消えるとこっぽいと思ったよ。
なんか眠いからまとまらないけど、もうこの辺で。またまとめて見返したらいろいろ面白いかも。

*1:自分メモ:海辺でキャッキャ、ウフフ