そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

八重の桜#24「二本松少年隊の悲劇」

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:山本むつみ 演出:一木正恵
 
前も出てきた二本松少年隊が銃持って出陣って、まあそういう訓練はしてたけど白虎隊だって15歳からっていってるのに12歳からって‥‥二本松藩ってどうなってんの?
若先生・木村銃太郎がいうように、銃のせいで子供でも戦場に出られる様になったのか‥‥っても、子供は子供だしなあ。まあ下手に子供だから恐怖心とかはあまり感じてなかったのかも知れないけど。
そしてその若先生は子供たちを守って討ち死に‥‥ (´Д⊂ヽ 子供らだけで会津へ遁走って、結局やっぱり子供を投入する理由ってないやん。
そしてあのほっぺたプクプクの細目の子、八重さんのダルマが‥‥あの潰れたダルマを見た途端、思わず涙が‥‥( ;∀;)
八重さんはなんで子供までって言うけど、子供だからで見逃そうとしてくれた相手に斬りかかってやられたことと、敵に降伏するより死を、という会津の教えのせいじゃないかと。八重さん自身がそれで戦場に行くんじゃないか。会津軍国主義はいろいろ根深いよなあ‥‥
いいけどあの細目の子、最近なんか見たような‥‥と思ってたけど、家族ゲームのあの可哀想な真田くんじゃん。彼は独特の顔してるよなあw
 
んで、話としてはサブタイが「二本松少年隊の悲劇」だから、覚馬の話→頼母の白河口総督解任の話→二本松で引き‥‥になってるけど、公式サイトのあらすじを見たら順番がまったく逆なんですけど。時系列としては二本松→白川→覚馬ってことで?
あとあれっと思ったのは、最初のほうに劇中で白河口が落ちて官軍が北上して街道が通れないって言ってたから、二本松の子供たちが会津へ入るならタイミングと距離を考えたらやっぱり二本松のほうが先なのかなと。
まあドラマの締めとしては二本松で締めて次回の白虎隊に引くのが正解だと思うけど。ああ、白虎隊だよ。悲劇って話だけで実は概要もよく知らないんだけど。お正月にやってた白虎隊のドラマを今こそ見るときなのかしら。
そして悲劇のはずの二本松少年隊ですが、八重紀行の生き残りの人の談話で「出陣前日は修学旅行にでも行くような〜」って言ってて、え、修学旅行?と思った。あの時代に修学旅行‥‥?w
 
あと、これオレは東北の人じゃないからよくわかんないんだけど、江戸から奥羽街道を北上して会津に行くのに、地図的に猪苗代湖の下(南側)を回らないで奥州街道から回って猪苗代湖の上を通るっていうのは、街道がそこにあるからってことで?鉄道とか高速もそっちを走ってるってことは、南のほうは山道ってことでいいのかしら。てかちゃんと地図が出てくるとわかりやすいよね。大河にはどんな話でも地図必要!
そしてやっぱり頼母さんは戦はダメなのね。ダメなのはともかく気合が足りないってことなのかしら。
敵の威力を見たから及び腰になってると言われても、大蔵さんはかなり頑張ってるみたいだし(カッコイー!)、兵法はともかく装備とかも違うのかなあ。なんで頼母さんはこんなにもダメだったんだろう。そもそもが穏健派なのかな。西田敏行だから惑わされるけど、覚馬さん寄り2つ年下なだけだよね、まだ38歳だよね。もっと攻めてもいいお年ごろだよね。
でもまあ、謹慎処分の間の京の守護職で、そこにいなかったからわかんないって言われてもなあ‥‥どっちにしても、新政府が会津の恭順を最初から認めてないんだから、いうだけ無駄なのは確かなんだけどさ。
というかそれって、視聴者だけじゃなくたぶん京にいて追われてきた他の家臣たちは恐らく肌で感じてるからこそなんだろうなって気も。最初から頼母さんは四面楚歌か。
新撰組の皆さんは、新選組という隊の名前が会津由来だと知って親近感。特に斎藤一さんが。こっちじゃなく大河の「新選組!」の時も名前をもらったってことで大喜びしてたしなあ。オレも初めて知りました。そうなんだ。
京都の覚馬さんはなんだか本当に大変な事になってるけど、とりあえず殺されることはないってわかってる以上、そこ一安心ではあるな。
あと桂小五郎があんな人だとは、ちょっと見損ないましたよ。どっちにしても長州が受けた恨みを新政府という後ろ盾で晴らそうとしてるだけだよな。やってることは長州の方が酷いよ。
そういや前回覚馬さんが、同じ長州の吉田松陰のことを思い出して覚醒したけど、昔は志を同じにしてたんじゃないのか?てかそもそも吉田松陰の志を桂が継いでないってことなのかなあ?本当に気がつくと理想を目指す志士たちは消えて、実利に群がる政治家ばかりが残ってたってことか。