そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

八重の桜#46「駆け落ち」

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:吉澤智子 演出:末永創
 
どうでもいいけど八重さんもおユキさんももう40過ぎてんだからやっぱりある程度の老けメイクは欲しいと思うのココロよ。顔をいじれないんならせめてちょっぴりの白髪とか記号的でいいから中年っぽさが欲しいです。さすがにツヤ肌はかなり違和感。
そんで前回に引き続き山本家のちょっとした「事件」なんだけど、なんとなくこのドラマがつまらないわけが(今更ながらに)わかりやした。八重さんの話じゃないもん、これ。
今回は吉澤さんの脚本だけど、ちょっとしたエピソードからキャラを描くってのは出来てるし、ちょっとした出番でもそのキャラがどういう人なのかってのは分かるくらいに描写はあるから脚本が下手なわけじゃないんだよね。もちろん演出も。
もう単に八重さん中心でストーリーを描いてなくて、八重さんが日常何やってるのかまったくわからないから八重さんの言動に共感しようがないってことなんだよな、八重さんの生き方の話なのに。
八重さんがやったことは襄を助けて同志社を作ったことだから、せめて明治になってからの後半は学校のためにどれだけ働いたのかって話を見たいのよ。八重がどういう人なのかっていうベースとして山本家の話は必要だけど、あくまでも添え物でいいのよ。
だから会津の八重さんの話を描いてるこのドラマの時代が変わる区切りは明治維新でなく会津戦争なんだけど、会津戦争までは八重さんは「何者でもない人」だから、大きな時代の流れの話があってその中でただの一般人に近い八重がどう生きていたのかってのを延々とやってたのはそれはそれで面白かったんだよね。会津戦争で活躍するっていう中盤のゴールがあったし。
でもそのあとの八重さんはそれなり維新の大人物たちと親しいところにいたわけだし、その中で女学校や私立大学を作るという偉業に関わった人間なんだから、もっと話のメインにならないとおかしいんだよね。いつまでも山本家の内輪話で回すんじゃなく、時代と八重さんの関わりが見たいというか。それがまったくないんだよねえ。ぶっちゃけ山本家の内輪の話とか、わりかしどうでもいいよ。
それが如実に出たのが久栄との話で。タイトルからして久栄の駆け落ちの話ですよってのはいかがなもんかと。そんなのが見たいわけじゃないんだよ。
そして前回八重さんは時栄さんを追い出したってことになってたけど、今回の話を見てそれが久栄にとって結局「母親を追い出しておいて母親づらをするおばさま」でしかないってのはどうなのかと。その八重と久栄のやりとりで、「え、ちょっと待って前回のあの時栄さん追い出した別れのシーンってなんだったの?」と思ったんだよ。
八重さんがどういうつもりで時栄さんを追い出して久栄はどう思ったのか、史実通りだとマズイこともあるのかもしれないけど、「このドラマでは物語としてどういう解釈をしたのか」ってことでのドラマとしての正解を見せて欲しいんだけどなあ。そういうのをやらなきゃドラマをやる意味ってないと思うんだよね。
しかも八重さんが主人公でしょ、歴史的に何が正しいのかじゃなく、「八重さんがどう思ってどう行動したのか」ってことでいいんだけど。それがハンサムな決断ならそれでいいと思うんだけどなあ。そこんとこの筋が通せないようなキャラクターなら最初から大河ドラマ化する意味ないし、そういう理屈でいいと思うんだ。まあそれをやった「龍馬伝」がああいう風だったという先例はあるけどさ。(オレはあれでもいいんだけど)何に配慮して何に遠慮した描写になってんだろ?
まあつまり、今の展開じゃ誰が主役かわかんなくて大河ドラマを見た気にならないってことなんだよ。
 
そんでまあ健次郎さんこと徳富蘆花は、久栄と駆け落ちするだの何だの言ってたわりに結局一人で東京に行っちまいましたーってことですが、これもヘタしたら八重さんがこのドラマの描写以上に関与してないってこともないよねえ?何があったのかはさっぱりわかりませんが、そういうことを「ならぬことはならぬのです」で通すならそれは八重さんだなあと思うのに、なんでそうじゃないんだろ。
まあ健次郎がとても「作家だった」ってのは十分にわかったんでそれはそれでいいんだけど(よかねーけどw)、元カノの家のことをいろいろ暴露するってのはやっぱりなんかあったのかとしか思わんのですよ(^_^;)駆け落ちするつもりだったけど八重に阻まれてそれがずっと心の傷になっていたみたいな。それならそれでいいと思うけどなあ。それであっても新島八重を女傑ですごい人だと描ければいいんじゃないかなと。
あとはみねがお亡くなりになって、なったんだけどそこの山本家云々のことはもうちょっと必要じゃないか?それこそ久栄の話よりも。どちらにしてもみねの話も久栄の話も襄のお父さんが亡くなったって話も、大筋にはあんまり関係ないような気がする。
おユキさんとの再会は史実だし必要だと思うけど、おユキさんが薩摩の人間と結婚したってのは、捨松さんの時に腕相撲までして阻もうとした八重さんだから、もう少し言及してもいいんでないかなあーと思わんでもないよ。捨松回の回収エピとして。
むしろ今、アメリカからの資金を切られたと思われる学校運営がどうなってるのか、徴兵のことに学生が不安がってる当時の情勢がどうなってるのか、そっちのほうが久栄の駆け落ちよりもはるかに大事だと思うんですけど?