そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

ど根性ガエル#5

http://www.ntv.co.jp/dokonjyo/
脚本:岡田惠和 演出:菅原伸太郎 原作:吉沢やすみ
 
思ったよりピョンが死ぬってことがクローズアップされすぎてて切ないっていうか怖いというか。とうとうゴローも、そして京子ちゃんも気がついてしまいましたよ。(でもだからこそ死ぬ死ぬ詐欺で最後は李さん一家的な最終回もありかなと思ってるけどw)
でも相変わらずひろしは知っているけど知らぬふり。そもそもピョン吉があれだけ死んだらどうなるんだって話を振ってるのに、普通なら何も気が付かないわけないよなあ?
そんで今回はなんだか不思議な話。暇な大人たちがブラブラする一方でゴリラパン工場ではひろしがゴリライモに代わって一日社長。
ひろしがいつも以上におちゃらけてるのはプレッシャーかな?と思ったんだけど、ひろしも昔は営業やってたんじゃなかったっけ?
そしてゴリライモ、大人でカッケー!損して得取る、その発想の転換、まさに経営者!
しかしそれを見てカッコイイと思う反面ますます自分のことをダメだと思うひろし。ひろしがダメな奴なことにほっとするピョン吉。そこまで本心ぶっちゃけるってのも気のおけない家族ってことなのかなあ。
でもそういう社長業がしんどくて休みたくなるからたまに息抜きで一日社長イベントをやるっていうのもまた本心ぶっちゃけ過ぎ。というかオレ、正直ゴリライモと京子ちゃんがくっついた方が絶対いいと思うなあ。それが世の理だよ。ゴリライモ頑張りすぎてるから幸せになってほしいよ(;´Д`)オレの本心。
おばあちゃんは「みんな無い物ねだり」とは言うけれど、これピョン吉の話って考えるとこの「無い物ねだり」が死期を感じてる人間(平面ガエルだけど)が死ぬとはわかっているけどそれ以上生きたい、人間としてひろしやみんなの傍にずっとにいたいっていう哀しい無い物ねだりだと思うと悲しすぎる切なすぎるよ。でもカエルとしても長生きしてるよな。
でもなピョン吉、人間だっていつまで生きていられるかわかんないわけだよ。だとすると今生きてることが大事ってことなんじゃあないかなあ。そしてみんないつかはさよならするんだよ。
なのでピョン吉の『生きてるだけで楽しいだろ。答え探してんのが楽しいだろ』ってのは、人間が生きてる目的はまさに「生きること」っていう話じゃんよ。楽しいのはもちろんだけど、悲しくても辛くても、それでも生きていることは素晴らしいってことなんだよな。
それをずっとぐーたらダメ人間として生きてるひろしは、モラトリアムというよりは全力でダメ人間、つまり楽しいことだけを見て生きてるってことで(まさに寅さんか)、ピョン吉は「カエルだから」そんなんひろしがいいんじゃないのかなあ。ひろしや母ちゃんと16年生きてても、ピョン吉の思う生きることっていうのは「悩みながらも楽しく生きる」ってことなんじゃあないのかなあ。だってカエルだもん。
何かをなしたとか生きる目的というよりも、その行動の結果が何にもならなくてもその時間がが楽しいかどうかという子供の考えなんだろな、たぶん。切ねえ〜 (´Д⊂ヽ けどやっぱりそんな子供時代を引きずってるピョン吉がいなくならない限り、ひろしは大人にはなれない気がするな。
まあだからこそ、そういう今日を楽しく生きるために自分を「ダメ人間」と言い切れる、大人になりきれない・大人じゃなくても許されてるひろしのことを、頑張って大人やってるゴリライモも京子ちゃんも羨ましく「無い物ねだり」だと思ってるのかな。あとゴローは何気にちゃんと大人だよな。ルールを守ることを自らに課して、それを当然だと思ってる大人。だって警察官だもんな。