そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

獣になれない私たち#8 〜10(終)

https://www.ntv.co.jp/kemonare/
脚本:野木亜紀子 演出:水田伸生(8、10)、相沢淳(9)
 
8、9話はだいぶ前に見てたんだけど帰省がかぶりすぎてて感想アップする暇がなく、でもこの話結構好きだったんで。そしてこの2話の感想アップしてないから最終回を延々見そびれてました(帰省してたってのもあるけど)

8話。

全体に今ひとつ好きになれないこのドラマの中で、お兄さんのことが解決するこの話、なんかこの話だけは好きだと思った。むしろ神話的な展開と解決でよかった。
カイジがいきなり出てきて、好き嫌い・快不快だけで人生語るこういう人はオレも胡散臭いと思うけど、そういう人に底辺の人の話で反論する恒星さんは痛いですね。彼自身は底辺じゃないのにお兄さんが今底辺にいるから勝手に代弁するてとこが。
真面目な人って勝手に他人の人生知った気になって肩代わりしちゃうよね。そういうとこが晶と似てるんだけど。
番組的にも恒星さんの中でもずっと引っかかってたお兄さんがやっと見つかって、結局は兄弟喧嘩で今までのことをぶちまけて仲直り。よかったよかったw なんだかんだ言っても兄弟にも遠慮があるから言いたいこと言えなかった優等生な兄弟はしんどいね…ってことか。
真面目ゆえに潰れてしまった人がそれなりの時間を経て、真面目故に割りを食う人の気持ちがわかる人と邂逅して立ち直っていくのは一見ご都合に見えるけど、むしろ恒星や晶がどういう人たちか知ってるからこその説得力だし、真面目な人の奥さんはやっぱり真面目な本質的には弱くてだから繋がりを求めたい人たち、要するに善良な市井の人々って感じで、これはこれで良い話だなーって思うのよ。
それと朱里がツクモクリエイトに入社して、社長の横暴はともかくだからこそ晶と朱里が京谷にドッキリ食らわした的なあの瞬間のカタルシスは面白かったし、すごくホッとしたよ。
ずっと朱里のあのキャラとかこのドラマでの立ち位置とかイライラしっぱなしだったけど、このリアルなように見えて実はファンタジーなドラマでは彼女も現実に押しつぶされた被害者だったってことで、ある意味晶と和解したって瞬間よねえ。そして就職したということ以上に朱里が現実に向き合えたってことだと思う。(あざとい)
 

9話。

いろんなことがリセットされて新しい展開を迎えるけどラス前の回。
冒頭の一線を越える直前の、でも認識としてはそのつもりがない「お友達として」の晶と恒星の朝の2ショットはあまりにも儚く美しかった。
恒星さんが壊すつもりがなくてもそんなもん続くはずないだろとしか思えないよ。だからこそ儚くせつなさにじみ出てる感じ?
京谷がいなくなって、いや婚約者じゃなくなくなったからこそ
何言ってんの?と思ったのは、元婚約者のお母さんや元カノと仲良くなって、飲み屋で知り合った(に近い)年上女性と意気投合したり、男友達と朝までゲーム、そういう人がいればひとりじゃない、人生生きていけるって言う晶の言ってることがあまりに絵空事なのが、朱里にはわかってるけど否定しないのもなんか優しい世界だなあと(皮肉)
彼女のいう「それでも愛されたい」ってのは好きな男性がいたらそんなひとりの優しい理想的な生き方は成り立たないよねってわかってるからよね。晶が自立できてるとか朱里が男性に判断を委ねてしまった(から引きこもりになった)とかそういうことじゃなく、自分と同じくらい大切にしたい相手と一緒にいるってことは自分のやりたいことを我慢しなきゃいけないってことで、それは真面目な人が不特定多数に対して真面目でいようとして我慢するってのとは違うのよね。
晶のはまあ今楽しいからゆえの勘違いを理想化してると思うんだけど、この世の中、30そこそこでそんなことを考えてた楽しく過ごしてたらうっかり50過ぎてもそのままだったってことはよくあることなので…まあ本人がそれで孤独を感じない、楽しいから良いと思うならそれで良い話なのでなんともいえないけどさ。
晶が部屋探しで注文が多いことと朱里が恋愛相手に求める都合の良さは同じで、住んでみないとわからないし付き合ってみないとわからないことだしな。
そして次々と現実に負けていく人たち…
自由奔放な呉羽は行動を制限され、恒星は立ち向かえない現実に打ちのめされ、朱里は心を折られて逃亡、晶は一発逆転の切り札を出せず終い。
そんな恒星と晶が寄り添い、一線を超えて…って普通のドラマなら良いシーンなんだけど、負け組同士でくっついても(本人たちがそれはないって言ってただけに)あーあ、間違っちゃったなあ…と思わせられる展開なのでなんかすごくやなもの見せられてる感というか。
冒頭ではあんなに美しかった2人のシーンが、しかも晶が語ってた理想の人生も早々に崩れ去り。
ただそれを晶が「間違えた?」とギャグっぽく落とすのはドラマとしてはありだけどちょっと興ざめだなあと思うわけで。それがなきゃ、人生にはそういう間違いもありだと思えたのになあ。それで済ませない、それをあえてわかってて追い込んでいく、こういう脚本というのは今的なリアルでシビアさなんだけどわかっててやってるのがとてもあざといと思うし、わかりやすい分、やっぱりオレはちょっと苦手かなあ。野木さんにはそういうことを含みつつもうちょっと楽しい脚本を書いて欲しいと思うな。いや書けると思うけど。
このドラマのやりたいことってどうしても「29歳のクリスマス」を思い出してしまうんだけど、何年経とうとあの脚本の巧みさを考えると“わかりやすい”という時点であざといなあと思ってしまうんだ。
 

10話(終)

間違ったはわかるし大後悔中なのもわかる。あるあるすぎる。でもまあ晶にとってそういう間違いも大事だよね…とか言っとく(無責任w)
そして朱里の人生あそこで終わりだと思ってる京谷はぼやぼやしてるというより想像力ないのね。いるいる、悪い人じゃないんだけど想像力ない一般人、居がちすぎ。
みんなで九十九社長に詰め寄って改善要求したり恒星が粉飾決済ぶちまけて弁護士できなくなって事務所閉めたり、バタバタといろんなものが収束するのもなんかファンタジー臭がするんだけどまあ良いや。朱里ちゃんはラーメン屋はつなぎなのかしら、それともそのまま居つくのかしら。
でも呉羽の謝罪会見は、このドラマでやりたかっただろう世間の求める規範を蹴っ飛ばす、自分以外の何者でもない自分という潔さとそれを受け入れてくれる橘カイジとセットでとても清々しかった。他人や世間の押し付けって自分であるってこととは関係ないよね。迷惑かけない範囲なら。
まあ晶は単に他人に求められる自分というのに過剰に縛られてる、ある意味意識過剰といえばそうなんで、朱里の目標の「他人に必要とされる人になる」ってのとはちょっと違って痛々しかったってのがあるから、最後までどうしても共感できなかったんだけどさ。それも晶の能力が高いからそうなっちゃったってことなのかなあ。不器用な人ならそれこそ自分ができることを一生懸命やるしかないわけで。生真面目な人が普通の人以上に気が利きすぎる、他人のフォローができるってのは過剰な優等生を作ってしまうのよね…って、まあフィクションのドラマでそこまで語ることもないと思うけどさw
リアルなようで微妙に共感できないのは単にオレ向きじゃないのか、例えば坂元裕二の「最高の離婚」とかだとファンタジーだと思いつつ何か魂にグッとくるようなものがあったんだけど、企画なのか脚本なのかあざとさが先にくるから入れないってのもあるのかなあ。うーん、野木さん、上手いだけに全方位に卒なさ過ぎて心無い感じ?
まあラストは特にというか、くっついてもくっつかなくても楽しければ一緒にいれば良いんじゃないかなと。呉羽さんみたいに考えなくても鐘がなったと思える人じゃなく探しに行かないと鐘がなるかどうかがわからないって時点で難儀だなあとは思うけどw