そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

ちょっとツッコんでみた

A Study around Super Heroes 「彼岸のヒーロー ・西遊記とヤマト (1) 〜」
ttp://homepage.mac.com/cron/iblog/C317130596/E1091786133/index.html


白倉氏のブログについて考えるなんて今更な話かもしれないけれど(しかもエントリーとしては古いし)ちょっと気になったとこがあったんでツッコんでみたよ。(というかオレが今更読んだから)

基本的に「彼岸のヒーロー」について書いてるわけだから、論旨の展開としては別にそんなに間違っちゃいないと思うんだけど、西遊記とヤマトに付いての考察は白倉氏が知らないはずはないだろうと思ってたんで、ちょっと以外だったのだが(いや、ホントは知ってて趣旨に沿って展開させたのかもしれないけど)ひとつは西遊記において天竺=極楽浄土という解釈はメジャーな解釈じゃなかったっけ?ってこと。


三蔵法師達一行が向かう天竺はどこなのか?について、それはインドであるというのは仏教においてお釈迦様の生誕の地がインドだからという通説なのは言うまでもないことで、それゆえ一般的には「天竺=インド」であると言われている。
しかし実際の「西遊記」という物語においての天竺とは遥か西方の彼方であり、描写されるときは蓮の花の台座に乗ったお釈迦様と黄金の雲によって現わされる極楽浄土その物である。つまり三蔵たちの旅は生きながらにして浄土を目指す即身成仏の修業と同様なのである。だからこそ孫悟空のきん斗雲でも行くことが出来ない彼方の地であり、その道すがらはいつ死ぬかもしれないという危険に満ちた旅で、それを成し遂げてこそありがたいお経を手に入れる=悟りを啓くことが出来るのだ。
…という解釈は遥か昔から言われてることであってたくさんの先達が西遊記をそういう物語として読み解いている。といっても白倉氏の場合、孫悟空のヒーロー性としての定義づけを彼岸よりの帰還者として求めているので、これは単にそれが成立するかどうかの考証に過ぎないんだけれど。
といったところで思い出したけど、孫悟空がスーパーパワーを手に入れたのは、仙人の下で修業したからじゃなかったっけ?となると白倉氏のいう悟空の「彼岸パワー」は成り立たないけれど、その辺はツッコむところだろうか?


もう一つ、ヤマトの場合はそのヒーロー性がどこにあるかというと、まずは日本人の魂としての大和信仰、最強の戦艦といわれながら実力を発揮する機会を与えられずに沈んでいった、悲劇の物語として日本人が好むものであったから。そこに目をつけた製作者の無意識の閃きはどんな理屈にも優るというのは、白倉氏も言ってる通り。
では宇宙戦艦としてのヤマトが何故そんなにもヒーロー性があるかというと、白倉説では一度死んだ船であるということから来る「彼岸パワー」であると解釈しているが、実はこれはヤマトへの意味付けとしては少し足りない。
ちょっとうろ覚えではあるけれど、初期のOPか本編ナレーションで「ヤマトは蘇ったのだ」といっているのだが、前々からある解釈としては、「ヤマト不死鳥説」であり、その描写はヤマト発進時にはっきりと描写されている。つまり、剥き出しの地表に眠るどう見てもただの鉄錆の塊に過ぎない戦艦大和の残がいに打ち込まれた放射能爆弾。その爆発の煙の中から悠然と姿を現わす宇宙戦艦ヤマト。旧時代の遺物である戦艦大和をミサイルという業火で焼き尽くすことによって現われたのは、新時代の宇宙戦艦であった。つまりヤマトとは炎の中から新しく生まれ変わる不死鳥である。だから人々はそこに死と再生*1という揺るぎがたい魅力を見出しているのである。
もう一つ重ねて言えば、これは戦後焼け野原の状態から不死鳥のごとく復興を遂げた日本国民自体でもあるということで、よりヤマトというものに自分たちを重ね合わせ共感を得ているのであるが、それはこれとは関係のない話なのでおいておく。ただ、人々がヤマトに魅かれ、ヒーロー性を見出しているのはそういう部分なのである。*2
これはあのシーンはそういう意図で演出したとはっきりと言われているので、最初からヤマトには不死鳥のごとく何度でも蘇る運命が与えられていたのであろう。(事実、作品としても物語の中でも何度でも蘇らせている)

ちなみに海原を走るための船が宇宙を航行するというインパクトについては、1978年の「宇宙からのメッセージ」が二匹目のドジョウだったように当時記憶している。戦艦が飛ぶんなら帆船が飛んでもいいじゃないか、といったような理由ではなかったか。もっとも帆船の場合太陽風だか太陽光だかを受けて走るとかそういう理由付けもされていたように思う。
それゆえヤマトを含めそれ以降のこの手のSF作品はサイエンス・フィクションではなくサイエンス・ファンタジーと呼ばれるわけです。ま、これも彼岸のヒーローとは関係ないんだけれど。


ちょっとのつもりが結構書いてしまったけれど、白倉氏のエントリー自体とはさして関連するわけではなく、ただ何でも彼岸のヒーローにしちゃうのもちょっとどうかなと思っただけなんですよ。他のエントリに関しては成程という感じ。特にウルトラマンの彼岸性とか。(まあそれも光の国=死後の国説自体は前からあるのだけれど)
まあホントはそんなにツッコむほどのことじゃないんだけど、オレのアニオタ道の根っこはヤマトなので、こんなヌルいこと言われちゃ、ツッコミたくもなるってもんですヨ。てことで勘弁。

*1:これ自体は「彼岸パワー」なんだけど

*2:念のため、これはオレの自説ではなくどこかで見聞きした解釈