そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

神はサイコロを振らない#4

http://www.ntv.co.jp/saikoro/

『私は今を生きている。私は今を生きているんだ』
今回は最後のここで泣きそうになった。予約入れてなかったからボンヤリしてて頭10分くらい録りそこねたけど、大したことなくてよかったよ。
ヤス子が加藤教授に『あなたとは感情論でしかものを言いません!』というとことか、弟とわけも判らず横面の叩きあいをしたりとか、加藤教授にヤス子のどこが好きかと聞かれて「ぜんぶ」と答えるテツとのやり取りとか面白かった(笑)加藤教授の大杉漣はやっぱり面白いなあ。甲斐さんの尾美としのりもなにげにヘンだけど。教授、恋か?(笑)
大人になるとなかなか本音で物を言ったり、言葉に出来ない感情を表に出したり出来なくなるけど、演出の上手さのせいもあってなんかスルッと入ってくるというか、違和感なくヤス子の言いたいことが判る…ってのは同性同年代だからかなあ?
他の乗客のこともやろうと思えばもっとねちっこく出来るんだろうけど、さらっと流してるところが逆に考える余地があっていいね。
漫才コンビの片割れの柚子が自分は助かって良かったと思ってたといい、打ち解けてなかったピアニスト親子の後藤母は娘のピアノが聴きたいといい、一番年長で分別あるはずの教員夫婦は納得できないと言ってこの10年を返せという。一人旅の亮くんはやっと会えたお母さんにそのことを嬉しそうに告げる。


それを全て見てきたヤス子が元恋人のテツにプロポーズされても受けられないのは、『止まってしまった時計の針を動かすのは神様ではない』と気がついたからか。この事件に関して当事者の乗客はもちろん関係者の時計も止まったままだった。関係性の時計は止まったままだけど、時間は流れている。乗客達は変わらず受け入れてくれるだろうと思っているだけに10年の隔たりが大きいというか、10年かけて折り合いをつけてきたことをまた目の前につきだされて、改めて向き合わなければいけなくなった遺族の人たちには厳しいというか。
それが自分で時計を進められるか、前向きに生きられるのかということなんだろうけど、この話、戻ってきた乗客達が消えてしまうのが判っててもそっちの方の願いや悔いを叶えるんではなく、後に残された人たちがどう生きるかに全て持っていってるのが、ある意味厳しい話ですね。乗客が消えてしまうんでなければまた新たな関係も築けるかもしれないけど、今のところそんな可能性はないし。今この時(乗客が消えるまで)がよければいいという風に考えないのは、ヤス子が真面目だからかなあ?
タイトルの意味は、全てのことは偶然でなく必然であるという意味なんだけど、このドラマのように必然が神の手によらないものだとすればそれは人の手によって成されるものであり、ヤス子のように自分で時計の針を進めなければいけないというのは、やはり人間は常に前向きに生きるべきということなんでしょうか。判ってても難しいね。ヤス子は偉いよ。残った日にちはあと6日。
あ、なにげに遺族会の甲斐さんもちゃんと時計の針を進めてる人ですね。ドラマチックではないけど。