そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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ナルニア国物語・第1章ライオンと魔女

 
公式→http://www.disney.co.jp/movies/narnia/プラグインが無いから見られないよ…)

滑り込みでセーフ。でも仕事明けで疲れてたせいでちょっと寝ちゃったよ!エドが魔女の館に行くところからサンタクロースが出てくるところまで。とほほ。
結局原作を読み返す間もなく映画を見に行ったんだけど、大筋はともかく細かいとこやキャラは覚えてるせいか(読んだのが小学生の頃だから)純粋に映画だけ切り離して見られなかった。でもどうもこの映画はハリポタや指輪と違って原作を読んでないといまいち判らんのじゃないかなあ。たまたま原作を読んでない妹と見に行ったんだけど、終わったあと聞いたら「裸マフラーのタムナスさん!」しか言わないでやんの。死んじゃえバカ!(笑)でもタムナスさんは寒くないんだろかね。
別に映画のネタバレはないですが、原作に触れてるので気になる人は見ないほうがいいかも。まあ公開はもう終わりだけどね(新宿松竹だけは閉館時期のせいで14日の日曜までやってるらしいです)




冒頭が戦争の爆撃から始まってて一瞬何の映画見に来たんだっけ?と思った。設定は確かに戦時中なんだけど原作はあっさり流してるから確かにこれくらいインパクトあったほうがいいんだけど、時代背景としての説明でしかないからちょっと中途半端にも思えるかも。(この時代背景は物語の設定自体には全く関係ないし)
この話ってファンタジーではあるけど指輪とかネバエンみたいに物語性が高いわけじゃないから、こうして映像化されて客観的に見るとけこう微妙な話だよなあ。そういう意味では7章ある話の第1章にすぎないね。これ、続きやってくれないと評価できないよ。なぜかというと、ナルニアに街灯が在るわけ、教授のこと、なぜ衣装タンスがナルニアに通じているのか、アスランは何者なのかっていうことが映画では触れてないからなあ。まあ今回の映画ではそれは置いといてもいい話なんだけど、ヘタに原作読んでるから余計に物足りないのかな。
本編は、原作ではあまり描写の無かったような気がする白い魔女アスランの軍団が戦うところをメインに。もちろんペベンシー家のエドを除く3人がアスランのもとへ辿り着くまでの冒険もあるけど、この物語の根底にある物のせいか、こうして娯楽作として作られるとどうにもチグハグな印象は拭えない感じだね。ナルニア白い魔女を倒したから冬の魔法から解き放たれるわけではなく、(すっかり春の雪解け風景になってから魔女とアスランは戦っている)アスランの弔い合戦でもない。なぜ戦うのかいまいち理由がはっきりしないまま(一応それは魔女からナルニアを開放するためとは言ってんだけど)戦って魔女を倒して、その後、4人はナルニアの王として現実世界のことをすっかり忘れてしまうほどナルニアで暮らしている。もちろん最後は現実世界に子供として戻ってくるんだけど、カタルシスが無いんだよね、話として。まあこれは原作がそういう話だから、せめて戦のシーンをメインに持ってきたというだけでも映画としての体裁は整ってるけどね。(肝心の3人とビーバー夫妻が逃げてるところの記憶が飛び飛びなので…)
あとたぶん判りにくいのが、裏切り者エドマンドと引き換えにアスランが魔女の言うことを聞いて辱めを受けるところ。原作でははっきりとアスランの現実世界でのもう一つの名前は(一応隠しとく→)キリストであるといわれているのを知っていれば、辱めを受けて殺されて、また復活することからこれがキリストの受難のメタファーなのは判るんだけど、そういう説明が無いとなぜアスランがそんな目に合わなければいけないのか判らないし、そのことで軍勢が奮起して魔女に立ち向かうわけでもないから、話が見えないんじゃないかと思うんですが。
そういう意味でいろいろと微妙な映画のような気はする。オレはもちろんこれでオッケーなんですが、原作読んでない人にはあまり勧められないかなあ。ウチの家人もあまり興味無いみたいだし。


画面的には、指輪やハリポタのリアル指向派手指向とは違って、かなり明るめのちょっとお伽噺テイストの画面。昔のハリウッド映画っぽいライティングとか色味なのはワザとなのか監督の個性なのかな。でもナルニアには合ってると思う。
目玉のファンタジー動物達は殆ど違和感ないよ。CGはもうこれくらいなら当たり前になってしまったのか、空想上の動物が本物のように画面に映ってることに驚き。全体の美術設定等はかなりセンスよくていいと思う。特に白い魔女ティルダ・スウィントンというキャスティングがハマってるせいもあるけど、映画の中でとにかくカッコイイ。アスランよりカッコイイのは問題だよな(笑)魔女としての冷たさや容赦の無さといい、戦いのシーンでの立ち回り、またその都度の衣装といい、文句無し。どっちかというと魔女の映画だと思っちゃうよ?
キャスティングは魔女だけでなく全てにおいてよかった。子役達が上手いのはもちろんだけど、ペベンシー家の子供たちの普通っぽいけど上品なところとか、タムナスさんのキュートさとか(まさに裸マフラーはあの人じゃないとダメかもな・笑)、あとルーシーがカワイかった!見た目じゃなく(だって空きっ歯だしw)行動がキュートで賢くてカワイイよ。スーザンは妙にエロい。エドは意志が強そうだしピーターはお兄さんぽい。みんなすごくハマってた。
アスランの声は最初アラン・リックマンか?と思ったら違ってた。見た目がライオンなんだからもうちょっと威厳と含みが欲しいとこかな、それがちょっと残念。(声はSWエピ1のクワイ=ガン・ジンをやったリーアム・ニーソン


ところで、この子たちはっきりとは描かれてないけどかなり生き物殺してんだよね。生き物と言うか動物なんだけど、ナルニアの住人は喋る動物達だから、結構その辺シビアな話だね。まあそれでも小学生の時にこのシリーズの最後を知ったときの衝撃を考えると些細なことだけどさ。
ナルニアに行ったというルーシーとエドのどっちを信用するかという話の教授の理論は、いろいろ示唆に富んでると思います。論理的に絶対正しいとは思わないけど、例えば子供に物事の本質を理解させるにはとてもいい方法だと思うな。


あと映像と文章ということで映画では特に描写されてないんだけど、ルーシーとエドマンドがそれぞれタンスに入っていった時のこと。ルーシーがタンスの扉を閉め切ってまうような馬鹿げたことはしなかったのに対して、エドマンドが何も考えずに扉を閉め切ってしまうおバカさんだと言われてるんですが(本筋には関係なし)、オレも子供の頃はトイレにしろ押し入れにしろああいう狭いところに隠るときに、ドアを全部閉めることが出来ないタイプだったんで原作のこの部分の描写は子供心にすごく共感した覚えがありますね。やっぱり扉は閉めちゃいけないんだ!って勇気づけられた小学生のオレ。だって閉じこめられて出られなくなったら怖いじゃないですか!
同じく原作でわくわくしたのは、タンスの奥に進んでいくときに手が触れてる毛皮の感触から木の枝の感触に変化していくところの描写や、雪を踏む足が板の間を踏む感触に変わっていく描写がなんか妙に好きだったな。
原作者のこのお話しの一番のイメージの大元は森の中になぜかある街灯と雪の中を傘を差して歩いていくフォーンと少女だったかな。ナルニアは街灯から始まって街灯で終わるんですよ。
だいぶ前に原作者のC.S.ルイスの故郷であるオックスフォードに行ったことがあるんですが、ロンドンよりもイギリスらしい雰囲気で、郊外の大きな家に泊まらせてもらったんだけどそれも含めてノンビリしてるけど歴史があるし、田舎の風景も日本と似てるようで全く違ってるんだなあと感動した覚えが。最初の疎開するシーンとか疎開先の教授の家周りとかがそんな感じだったんでちょっと思いだしたよ。