そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

ギャルサー〜最終回

『おげんきですか?しぶやはきょうもいい天気です。』
http://www.ntv.co.jp/gal/
今期はこれが一番面白かったです。深いとこ汲み取れなくても表面的にも小ネタやギャグが面白かったし。キャスティング的にはいろいろ上手かったなあ。サキの戸田絵里香がカワイかった。(演技は元より、この子手足も長いし指も細いし、スタイルすごくいいよな)
いつも大抵好きなドラマが被ってるドラマ好きの友達と、今期は全く見てるドラマが被ってなくて(オレはギャルサートップキャスター、向こうは弁護士のくず医龍、富豪は取りあえずで見てる)、野ブタ。は見てたはずだからなんでと聞いたら、ふじっきーが…と言われた。気持ちは良く判るがそれはもったいないよな。ふじっきーは今までで一番イイと思ったよ。
最後まで見て実はいまいちキャラがよく判らんのがNo.2のリカなんですが、借り癖があってハブにされて、その実生徒会長で頭も要領もいい…んだよな。無理に一人のキャラにしなくてもって感じなんですが。その辺ちょっと引っ掛かったかなー。借り癖は別のキャラでもよかったと思うんだけど、割り振るキャラがいなかったのか?
ところで番組始まったときに「インディアンて言っていいのか?ネイティブアメリカンじゃないの?」と思ったんだけど、アメリカじゃ普通にインディアンて言ってるそうです。まあ語感として「インディアン」と「カウボーイ」だからこそおかしいんですけどね。

ギャルサー#10「遂に判明!?命の恩人」

イモコがサキ?というのはさておいて(最終話見ちゃったからそこはスルー)、劇中の喩え話が物語を暗喩するのは当然の作劇法としても、ジェロニモが語った天岩戸の話をストレートに持ってこないのはさすが。
世間を「大人」と「子供」に分けて両方で判りあう努力をしない(してるけど通じない)のはおかしなこと…なんだけど、今の世の中あまりに当たり前になってて、進之助があえて「なぜ?」と言わなければそういうもんだで通り過ぎてしまうことでもあるわけですね。(そもそもエンゼルハートは確か18歳になると卒業のはず)
レミに相談される一ノ瀬も表立っては何も出来なくて「あんたも結局大人なんだ」と言われても、大人として何かをしてあげようとするのがここでは一番まともな反応。
そしてサキの「居場所が無くなったら生きていけない」と言うのは単なる若い頃の思い込みで、実際外に出たらそんなことはないんだということをさらっと描いて見せる。(これは11話の話だけど)
仲間たちだけの居場所にしがみついてることは不自由なことで、そんな世界はいつまでも闇に閉ざされたままだと言う進之助の『オープン・ザ・ドア、ドアを開けろ』に聞く耳持たないのもやはり若さゆえ。そんなシリアスな状況を一転させるのがイモコ探しなのも上手すぎ。コミックソングを歌いながら入ってくる土屋さんに至ってはもうスゴ過ぎ。せっかくサキのアイデンティティが確立するとこだったのに、ドラマ的にはそこに答えを出すことを許さないんだね(笑)
今回のエンゼルハートの連中のように自分たちでそれに気がついてここを出ようということになった…岩戸から外に出て太陽に照らされるのは外の世界じゃなくて、自分たち自身だったってことでしょうか。この辺は当たり前に判りやすい話なんでこれはいい。


驚いたのが、文房具屋の土屋さん(高田順次)の話。
毎回、現実にはありがちなことをドラマでやって、現実なんてこんなもん感を醸し出してましたが、今回は敢えてなぜドラマの中でそういう嘘臭いことをやるのか?とビックリ。
初っぱなの70年代フォークの集いはそのための布石?いきなり反戦フォークソング時代を再現して一人楽しんだだけって、普通の大人は頭では考えても実際にはやりませんよ?商店街の人たちが余りにも大人げないのはこれまでもギャルとの闘争で全く共感できないダメ大人として描写されてたけど、そういう問題じゃないよな、土屋さんのやることは。もちろんまわりの商店街の連中は本気でギャル撲滅と思ってたんだけど。
かといってホントにそんなことやる奴がいないかと言われると、形は違ってもいるかもしれない…と思ったり。と言うかドラマなのにそんな突飛な行動をするキャラを持ってくることがメタっぽいんだよな。普通出来ないって。
集会所を前に焼き肉パーティだの弾き語りだの、ちゃんと天岩戸の話を踏襲してるのも展開的に上手いし、少なくともギャルたちにとっては味方だと思ってた進之助が大人に交じって楽しくやってることが、彼女達にとっての裏切りだとか、押さえるところは押さえてるし。
結局単に遊びたかっただけの土屋さん、気がすんだら全て今まで通りでって本当にそんなのアリなのか。家賃収入は元より、土屋さんのやったことはギャルたちに何かを諭すことでもなんでもなかったというのが、これまた世の中そんなもんな感じ。(あるキャラの行動は他の人間の心情に影響を与えるけどそれが本人にとっては全く意図しない行動である、と言うところがこのドラマの特殊性なんですが、そういう意味で一人だけそうではない進之助は、やはりこのドラマの主人公だったんだな、と言うのはこの最後になってやっと判ってきたんだしなあ)
そして巻き添えを食ったのは進之助。予告で爆発シーンがあったから冷や冷やしながら見てたけどまさか…。そもそも進之助は全く関係ないのにな。
ジェロニモの死の病はもう途中からあまりにネタが割れてたけどやはり花粉症。そんなことだろうと…(笑)
「ハチ公がチワワに」は多分冒頭のフォークの集いとアイフルのCMの歌会の集まりの奴の引っかけだろうな。ホントに拾えるものは全て拾ってくなー(笑)

ギャルサー#11「涙の遺言…少女たちの卒業」

初っぱなから進之助は重体だし、ジェロニモはハリケーンで行方不明、意外とシリアス展開に軽く驚き。
病院の治療風景がやたらリアルに感じるわりに、結局進之助の命を取り留めるのはなんだか判らないインディアンの儀式。*1
まるっきりかぐや姫の求婚かよ!みたいなノリで荒唐無稽なこと極まれり。その中でなんだかリアリティあるクリフォードのマスター(生瀬勝久)のブーメラン作りが結局魂を呼び戻したって、もうどこを突っ込んでいいのか。要は周りの人間の死んで欲しくないという気持ちが祈りとなって進之助に届くかどうかってことだけど、最新の医学に出来ないことが時には起こりえるということなんだろか。それを馬鹿にする余地が無いのは所詮ドラマだから…じゃなく、その祈りこそがこのドラマのリアリティだからかな。だって違和感ないもんな、進之助が生き返ることに。TVドラマのリアリティってなんなんだ?(笑)
生き返った進之助達は当たり前のようにイモコ探しを続けるが突如ジョージのことを思いだしたジェロニモによってアリゾナに帰ることに。あれだけ頻繁に渋谷とアリゾナを行き来してたのに、なぜか今度は本当にさよならっぽいよ。
クリフォードのマスターがやさぐれてたのはよく判んないけど自分の居場所、価値を見失ってたからなんだ?自分が求めることよりも、他人に求められることがどうやら重要ってことで解決?
アリゾナに帰るという進之助を引き止める娘達、渋谷にはカウボーイが必要だと言われても自分の居場所はここではないといい、夜空に瞬く星にそれぞれの道を喩える進之助。ここで一話で言ってた「迷子の娘達がたくさんいる」再び。渋谷は道に迷わないほど明るいけど迷子の居場所の無い娘達がたくさんいる。自分で居場所を見つけることが大事なことなんでしょうか、大人たちはみんな自分の居場所や意味を見つけたんでしょうか。マスターはすっかりカウボーイに感化されてますが、大人だからいいんだろうな。こうして感想書くといろいろ意味があって繋がってるんだなあと思うけど深すぎて難しいな、ギャルサーは。これ以上は深く考えられません。
進之助の言うことを聞いてエンジェルハートを解散するレミはやっぱりカリスマゆえの決断?そうしてみんな自分のやりたいことを見つけていく…のが卒業ってことなんだよな。まさに学校。学校っていやも応もなく社会にほうりだされるもんな。そういう意味でこれを学園物と言った番組スタッフはスゴイ。
そういや冒頭でガス爆発の責任を全部自分で負った土屋さん、こういうとこだけちゃんと「大人」してたな。彼は結局その責任も被れるだけの覚悟があるからああいう遊びが出来たと言うことで、その辺の筋は通ってるのがよかった。さすが商店街の黒幕はカッコいいな。こういうところは昨今責任を取らない大人が多い中、やっぱり何か言いたかったのか。
あ、最後の別れ際に初めて名前を呼びあう一ノ瀬と進之助。元々うやむやのうちに保護して居候になってた進之助とモモちゃんだけど、一ノ瀬にとってはいつの間にか身内になってたのが何か日本的というかエエ話や。
「イモコ」という名前を頼りに始まったこの話で、出てくるキャラはそれぞれ誰も本当の名前を呼んでなかったんだよな。それは相手を深く知りたくないってことでもあるけど、それを思うとこの一ノ瀬と進之助のやり取りはこないだの名前の話よりも意味深いな。ハッキリとした言霊信仰があるのは日本人とインディアンだけだっけ?進之助はカウボーイだけどさ。


最後、イモコの正体が判ったというところでサキがみんなを集めた海岸。(進之助の意志を継いでイモコ探しをしていたサキのカウガール姿がカワイイ)結局探してたのは自分自身、幸せの青い鳥というよりは、ドラマ自体の雰囲気からすると常に答えは自分の中にあるってことなのかな。そんな驚きに感動する間もなくなぜか現われる進之助!?「ウマコ」って誰!?なんというかこの突っ込みようがない所がギャルサーか。そういう難しいことはいいから取りあえずパラパラ踊っとけ、みたいな?
本当にいろいろスゴイな、ギャルサーは。

*1:身近の謎の儀式。一昨年祖母の葬式に出向いたんですが、うちはある筋では有名な神道いざなぎ流で初めてその葬儀に参加したんですが、埋葬をすまして家に戻るとき、竹で作ったハードルの様なものを三回廻って跨いで、更に金だらいを蹴って家に入るという誰も理由を知らない謎の儀式がありました。葬儀もちょっと特殊だったし、まだまだ世の中は奇妙な習慣が生きてますな。そういや死者の周りもぐるぐる廻ったよ。