そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

現実って奴は

白倉Pのブログ「A Study around Super Heroes」の『火垂るの墓』の記事。
火垂るの墓」、実写のやつはうっかり見そこねて再放送も気がつかなかったよ…_| ̄|○
でもアニメ版を見たときも世の人が言うほど泣けなかったのは(一応は泣けたよ、泣けないわけがない)オレは戦争物といえば魂の底から「はだしのゲン」が染み付いてる世代だからかもしれないですね。(だからあの兄妹の話を当時はよくあることだからねぇ…ですませちゃいかんのかしらね。もちろん実体験はしてませんが)
それより白倉さんがそんなことを言うとつい、「ああ、龍騎の神崎兄妹な」とか思っちゃうよな(笑)
それはともかく。
これ読んでああと思ったのはまさにその雷。8/12の記事でも書きましたが、某海辺のお祭り会場ではその落雷に某雷師弟をたたえる拍手がまき起こり、そうでなくても稲光を見た人々は「わあ綺麗」と声をあげる。当然東京に住んでる以上落雷があれば電車が止まることも知ってるし、それで困った目にあった人はたくさんいるはずだけど、遠くから見てる限りは火垂るの墓の空襲を花火と見立てた兄妹と同じ様に他人事なんだよね。
それによって駅でどんなパニックが起こってようと*1 所詮それはその場にいる人だけの現実で、遠くでその話を聞いた人の現実ではない。例え自分がかつてそんな目にあってたとしても。自分が移動する段になって初めて落雷め!と思うんだけどそれはそれ、これはこれ。
現実ってそれが唯一の真実だと思われがちだけど*2、実際はその場にいる人の現実=真実でしかなく、その人たちがどんなに困った状況に陥ってようと、遠くから見ると花火や落雷のごとき夢の世界の出来事なのかもね。それも現実だし、これも現実。まあちょっと「正義」と似てるよね。
ちなみにもう一つの現実。当日は東京湾花火大会で有明の一体は夕方から大規模な交通規制が引かれるはずだったんだけど、雨の予報に花火は中止、規制も解除されたんだけど、その一報を聞いた会場の人たちはやはり拍手。世の人々に夢の世界を演出する花火大会は、その場にいる大勢のコミケ者たちにとっては回避すべき現実で、帰りに花火を楽しもうとかそういうことより、いかにして有明を脱出するかということの方が彼らにとっての重要な現実だってことですね。


人は現実に直面したときに逃げることなく(いや、逃げることも含めてだな)「どう生きるのか」を選択しなければいけない場合もあるけれど、それが他人事であればこそ、どんな「現実」であっても「物語」として受け入れてしまうって側面もあるんでしょーか。

*1:当然だけど、一番悲惨な現実に直面してるのは駅でパニックになってる人ではなく、電車で缶詰めになってる人ね。

*2:だから人はドキュメンタリー番組を必要以上にありがたがったりするんだけど、あれは誰かの目を通して見て感じた現実であって、完全なノンフィクションじゃないですから。