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ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

時をかける少女・感想追加

昨日の時かけ感想のコメント欄返信もかねて。
他所の感想もあまり見てはいませんが、もう一度再考。この作品の出来自体が良いってのはとりあえずおいといて。画面的な物や演出手法、背景美術の確かさなんかは当然として、もうちょっと内容的に考えてみる。


オレがダメなのは、この話って真琴が引き起こした話であるからというのが大きいんですね。真琴のあのキャラでなければこの話にはならなかったってことです。
もともとの原作というべき原田知世の大林版時かけ(といっちゃうと語弊があるけど、一番メジャーなものとしてということで)の面白さが、80年代の映画でありながら尾道が舞台ということと大林監督の青春というものへのノスタルジックな視点から不変の青春映画になってるというのがひとつあるわけです。それは誰が見ても過ぎ去った美しく美化された青春の1ページとして共感できるってことですね。キャラもそこから逸脱するものではないし、当時の同世代は主人公の揺れる気持ちに共感し、すでに青春が遠い過去になってしまった人が見るとうっかりすると自分もこんな青春が送れたかも知れないと思うワケです。多分。
「不変の青春映画」ていうのはそういう大多数の最大公約数的物語ってことでもあるわけですね。

2006年版時かけはどうかというと、そういう青春のノスタルジックなものがないということにおいて「今」的であると思うわけです。
ところが主人公の真琴はいがちな女子高生かというとそうではない、どちらかというとクラスでは外れてるほうじゃないかと思うんですね。
恋愛には疎い、男の子とキャッチボールをするのが日課だ、自分がイヤなことはわかってても見ないふりをする、この辺はとても子供っぽいというか、ヘタしたら小学生男子のメンタリティかなーと思うんですね。当然、恋の話がいちばんの関心事の回りからしたら浮いてるというか、嫌われてはないけど真琴には言っても仕方無いしーって雰囲気はあるんじゃないかと思うんですよ。いちばんの親友らしき友梨との微妙な距離感もその辺じゃないかなあと。しかもクラスのイケメン二人と恋愛沙汰なしに友達としてつるんでるし(周りがどう見てようと)、それって「ズルい」って言われても仕方ないくらいかなあ。そもそも真琴がそういう恋愛話に花を咲かせるような友達とは付き合いがなさそうだし。これは家族が真琴を特に変な子として認識してないってのもあって、本当に「子供」なんですよね、真琴は。
タイムリープが出来ると気がついて真琴がやったことがことごとく子供がやるレベルのことというのもその辺ですね。千昭に言わせれば『拾ったのがバカでよかった』。むしろ普通はデスノートの月のように悪用するのが普通だと思うんだよね。でも真琴は小学生レベルだから一人だけカラオケを何時間も楽しんだり、妹に食べられちゃったプリンを食べに戻ったり、一昨日の鉄板焼きを食べに戻ったり、ささやかな欲望を満たすことにしか頭が行かない。
いいけど見てるほうからしてもここではそれによるタイムパラドックスは全く掠めもしないんですが、それはあまりにやってることが個人的でささやかだからだと思うんですね。もしそれで何か起こってても、真琴は気がつきもしないと思うんですよ。
何故気がつくかってのは相談したのが芳山和子、かつてタイムリープを体験したおばさんだからなんですが、このおばさんが曲者で。
時間的なパラドックスというよりも、どちらかといえば「運の交換法則」みたいな感じで、真琴がいい目みてる分誰かが悪い目をみてる筈ってことです。
カラオケはともかく本当ならプリンを食べるはずだった(もともとそれが真琴の分だとしても)妹はプリンを食べられず、一昨日の鉄板焼きを食べたのが今の真琴なら、一昨日の真琴は何を食べたのか?(そういや真琴が全部食べちゃったご飯てこれのこと?時制覚えてないんだけど。家族から見たら夕食を2回食ったってことなのか?)


そしてツイてない日の真琴が遭遇した悪い出来事は全て他の誰かに。
些細なことならいいけど一番割を食ったのが高瀬くんで、真琴自身のドジですでに決まっていた?本来の未来を変えたために虐められ、千昭が受けるはずだった怪我もタイムリープのせいで友梨が受けることになる。そうやってどんどんどツボにハマっていくのは真琴がバカだから…といっちゃうと終わっちゃうけど、逆にそれは真琴だから引き起こしたことでもある。まあ脊髄反射で場当たり的に時間を戻すと碌なことにならないってことですが。(すでに未来がある程度決まってるという前提のこの世界では*1
これ、結局真琴は自分が踏み切り事故で一度死んだという事実を変えたんだけど、そのせいで代わりに功介と果穂が死んでしまった(と千昭は言ってるから真琴は感じられなかっただけで実際死んだという事実があるんでしょう)、真琴主観だと誰かが踏み切りで死ぬという因果律は変えられなかったってことですよね。それを変えたのは千昭である…ってことはもともと千昭は外側にいる人間だからなのか?まあそうでもしないとその辺の時制が有耶無耶なんだけどね。真琴がタイムリープしてるってのも何となく判ってたし。(もしかしたらあれをチャージした人間の精神は時間の流れに影響されないとか?)
ただ本来不可避の、しかも自分が引き起こしたということでは自分が事故で死ぬことより酷い最悪の出来事を体験したということが、真琴の成長としては一番大きかったんだけど、これも真琴ゆえに引き起こされた出来事であるから、やっぱりあの真琴の行動が許容できないと辛いんだよな。


時間を飛べるかどうかによらず、こういう考えなしな行動で周りに迷惑をかけていくということ自体は、まさにこの年代にはよくありがち…というのは、タイムリープを『よくあること』と言う和子おばさんとしてはごく普通の真琴の日常でしかないというのが、ある意味真琴の味方なんですね。真琴を肯定してるというか。だからおばさんの目線で見られればこの映画は「今」の青春映画として納得できるんですよ。その結果引き起こした事件で真琴が成長する、そこに同調できれば(多分監督目線もここだと思うんですが)この映画は楽しめるけど、オレみたいにそれが判ってても真琴の行動がダメだという人間には堪え難いのです。真琴のクラスでのポジションは特に気にならないけどね。どちらかというとそっちのほうが判るし。
これはタイムリープで酷いことになった相談ではなく、もともとの真琴の日常がそうであるんじゃないかと思うんですね。多分日常的に真琴はこのちょっと不思議なおばさんにいろんなことを相談してる。おばさんは自分とは全く違うタイプの真琴だから、大人目線もあってほほ笑ましいものとしてそれを許容する。だから真琴が相談するたびに状況や気持ちが変わっててもそれはそうとしか受け止めない、前は違ったでしょとは言わず、その時のことでしか話さない。ある意味距離を置いてるとも言えるんですね。だから真琴も「否定されないから」相談しやすいってことかなと。

この話で明らかに真琴が成長したなあと思うのは、自分が千昭が好きだって自覚したこと。でもこれはホントは千昭と功介、どっちでもよかったんじゃなかと思うんですね。ただタイムリープという秘密を共有してること、おばさんが修復してるあの絵を見たかったということ、自分のことを好きだと言ったこと(なかったことにした罪の意識もあるのかも)そ言う些細なことで、功介じゃなく千昭だったってだけじゃないかな。
友梨が『そうだと思った』っていったのは、そうでもしないと自分の方が前から千昭のことが好きだったという気持ちが納得できないからかも。まあこれもよくあることだけど、友梨が真琴に千昭が好きだと言ったあとなら違ったかもな。見てるほうは千昭と友梨がうまくいく未来も見てるわけだけど*2、あのラストの真琴の宣言時点では友梨はまだそこまで千昭に対する気持ちは自覚してないから、ある意味真琴は狡いというか、友梨にけん制したわけですね。そして千昭が自分のことを好きだというのを知ってて、全くの安全パイな状況を作りながら、しかもおばさんには『あなたは待ってる人じゃなくて、自分から迎えに行く人でしょ』といわれながらも、千昭の告白を待つという、全くの「女の子」になってしまったのがよくも悪くも成長かなと。相手の気持ちが判ってるのに果穂のように告白することもせず、ただ待ってしまった。もし自分から告白してたら状況は変わったかも知れなかったのに。
まああれはあれでいいんだけどな。叶っちゃったら思い出じゃなくなっちゃうからね。千昭が告白しなかったのは未来に戻るからだろうけど*3、真琴もそれを判ってたからかも知れないしね。そう考えると真琴は大人になったってことかなあ。
ああ、だからあの最後の抱擁だけは好きなのかもな。
もしあのラストで真琴があと一回タイムリープ出来たとしたら、真琴は真琴自身は知ってるけど千昭はまだ正体を明かしてない過去へと戻ろうとしたか?その辺も真琴の成長を考えることでは面白いかなあと思ったけどね。


だから結局そういう真琴に共感できないんで、オレとしてはこの映画はダメだ〜としか言えないんですよね。そういう青春物としてもオレのこの解釈でいいんならだけど、あまりにも判りすぎてつまんないというか、そんな感じです。それなら大林版の方が好きです。

*1:一度起こったことは必ず起こる。そうでなければ後半どんどん過去へと遡って大きな変更をしてる世界は、冒頭からして全く違うものになってるはず。この辺細田監督の演出手法もあって、繰り返してるけどちょっとしか違ってないというのはそれだと思うんですが。パラドックスとしてはとても主観的なものだと思う。

*2:最後のタイムリープであそこに戻ったのは、ひょっとしたら友梨に対する友情よりも千昭に対する恋愛感情をとった、自分を好きだと言ったはずの千昭と友梨が実際仲良くなった未来で釈然としないものを感じてたからかも。だって千昭が最後の一回を使う前ならいつでもいいんだし。

*3:千昭が未来に帰らないといけないような状況で告白しなかったのは、千昭がそもそも見た目通りの高校生ではないからかもと思ったり。大人ならこの時期の恋愛感情が一時の熱病のような物だというのは知ってるし、それに自分の人生をかけるほど(この時代で生きていくってこと)千昭は子供ではないのかも知れないなと。そして和子おばさんが未だに待ってるように、その未来からの迎えは来ないかもしれないんだけどね。