そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

カブト考察:うさうさ脚本家語り

lotustea partyさん「カブトの問題点」http://d.hatena.ne.jp/lotustea/20061109/1163089257
などを読んで、ちょっと思ったこと。雑談めいた走り書きなのでえーっ?と思っても、あまり深く考えないで流していただければ・・・
ちょっと筆が滑りすぎてカブト失敗の理由まで言及してしまったんで、一端脚本家話できって、失敗考察は改めてということで。ちょっと尻切れ気味ですが、ご容赦。
 
今流行りのうさうさ脳でいえば、オイラは「うう女」らしいです。(ちゃんと人の話は聞いてるんですけどねー?)右脳INPUTの右脳OUTPUT。でもブログの感想や仕事(まあいろいろね)なんかを見てると、自分では右脳INPUTの左脳OUTPUTなんじゃないかと思うんですけどね。感覚的に受け止めた情報なんかを理屈で考えてまとめてから表に出すって感じかなー。
だから考察なんかでも実は言葉の意味とか対比とかいう理屈部分って気がつきにくくて、もっと感覚的なとこで同じだとか違うなあとか、何か引っ掛かるところが出発点だったりします。そういう情報がある程度溜まったところで何か閃くんで、それから理屈を組み立てるんですね。だから右脳で感じて左脳で書いてるって感じだったりします。出てくるものはほっとくと左脳的です。
ところがそういう左脳の産物ってやっぱり段取り通りに進めてるって感じがして、読み物としては読んでてあまり面白くはない。まあ素人が個人でやってるブログ程度ならそれでもいいけど、例えば脚本だの小説だのマンガだの、物語を作る仕事、特にそれがエンタメなものだとそれじゃダメだったりするわけです。
じゃあどうするかというと、その左脳的な理屈っぽい物をもう一度右脳的に解釈して、「筋は通ってるけどぱっと見は感情的な部分が強調されて共感出来るもの」にするんですね。一般に感情的、感覚的なものの方が共感は得やすいですから。
つまり右脳タイプが本質の感覚的なクリエイターはそれを自覚して理屈面を強化すればよく、本質が論理的な左脳タイプの人は感情的な部分を添加すれば、出来上がったものは一般に面白くなるってとこでしょうか。そんな前置きで。
 
カブト脚本家の対照的な二人、感覚的なメインライターの米村正二氏と理屈で話を作る助っ人ライター井上敏樹氏ですが、あまりにも二人の作風が噛み合わなくてストーリーは泥沼化の一途を辿ってるようにしか見えない昨今のカブト。ちょっとオレの主観が混じってますが大まかな感想というか印象批評。

 
米村さんがよかったのは10話の加賀美がザビーを捨てるまでといっても過言じゃないでしょう。
そのあとを引き継いだベテラン敏樹師匠は、自分の中のキャラパターンに合わせたかのように米村さんの作ったキャラを縦横無尽に走らせキャラ付けをし、時々余力で感動話を入れてみたりとやりたい放題。
大筋はよく判らないけど面白いからいいや〜って感じでメインライター以上にキャラ立ちしまくりな話を展開させまくり。
逆に苦しくなってきたのは米村さん。こういう感覚的に書く人は、時間があれば持っていきたい話に対して上手く理屈をつけられるし(これはたぶん10話までの状態)、大筋がしっかり出来てればそんなに迷うこともないんだけど、なんせ手綱を握るのは「ライブ感」命!のライブマン白倉P。
10話までは上手いこと大筋の上に感情的な部分がコーティングされてたんだけど、本格復帰の21話以降はガタック誕生のイベントはあったものの、いなかった11〜20話の間に、矢車さんのため?一瞬だけ戻ってはきたものの、すでに物語の大筋は迷走状態。キャラクターショーと化していて、もう米村さんにはどうすることも出来なかった・・・んではないかと思われます。
オレが米さんでもあの展開は困ったと思うよ?感覚的に書く人にはキチンとした大筋を与えてあげないとイカンのですよ。いつ回収するか判らない謎なんか織り交ぜさせちゃいけないんですよ。それこそ敏樹師匠の得意技なのに。(共感を得るかどうかは別として)
 
ところで、白倉&井上コンビの「響鬼」後半の流れをオレが基本的には面白いと思ってるのは、物語の収拾に向かってやるべきことがはっきりと提示され、それを確実に解決していくという、理屈で筋の通った展開だからです。感情的には判らないときもあるけど、大筋が動いているからそれに引っ張られて話も感情面も動いていって、逆に立ち止まって考えることは許さないわけです。話が流れる通りに理解しろと強要されるわけですね。この辺好き好きもあるでしょうけど。*1
前半のなんとなくマッタリした流れも好きですが、事件の起こらないドラマは総じて詰まらないわけで、後半の、ドラマとして起承転結のあるメリハリの効いたストーリー展開は、そりゃ面白いに決まってますよ。好きか嫌いかはあるにしても。
まあ響鬼の場合は、本来マッタリした流れだった話というか雰囲気が、突然の急転直下だから余計に反発が激しかった、本来の(前半から好んで見てる)響鬼ファンには馴染まない展開だった・・・ってのは判りますが。要するにいつも「渡鬼」を見てた人に、急に今週から「踊る」を見なさいって言ってるみたいなもんでしょうか。そりゃ面白さのツボが違うに決まってますよね。でも世間一般では「踊る」の方が(というと語弊があるけど)万人が面白いと思うドラマなワケですよ。実際ヒットしてるし。
まあ響鬼のときは、そんな強引にでも大筋を決めてその通りに話を持っていき、スパイス的に泣かせや笑いをちりばめた大変にテクニカルなお仕事だったワケですね。これは同じような理詰めの傾向でドラマを作る敏樹&白倉ならではのコンビと言えましょう。
ところが米村&白倉のコンビはどうもうまくなかった。感覚的なクリエイション傾向の米村さんに上手くライブマン白倉さんが道筋を付けてやることが出来なかった。あまつさえ、いつも組んでる理屈派の敏樹師匠は助っ人だからと思ってやりたい放題。これじゃまとまる物もまとまらんわな。
そしてどうも基本的に東映の監督の方々は感覚的な人ばかり。かろうじて理屈として正しい演出を見せてくれるのは、テレ朝所属の田村監督と盛り上がりに関しては理論派の石田巨匠くらいで、他の人は感覚的な脚本をますます感覚的に演出するばかり。
そんなグダグダな状態で謎解き物語なんて、有り得ないでしょう?
 
ここでちょっとここ最近で面白いと思ったやり取りを。
ボウケンジャー會川昇氏はたぶん感覚的でも理屈でもどちらでもいける優秀な作家だと思うのですが、ソノラマのボウケンジャーキャラブックの中の諸田監督との対談でのやり取り。

諸田「・・・演出というのはどっちかというと気持ちの流れでやればいいわけで、僕はシチュエーションとか細かいことは苦手なんですよ。それを『こういう感じで』っていうと、『じゃあこうしてこうして・・・』って、瞬間的に出てくる」
會川「『とにかくここでスコープショットを打ちたいんだ』って言われたら、『じゃあ打ちましょう』って(笑)。とにかくぶら下がりたい、とか落ちたい、とか監督が決めたら、僕は"なんで落ちるか"を決める」
(略)
會川「心理的に『コイツとコイツが追いつめられるんだ』っていわれたら、監督としては最後の対立をやりたいわけで、なんで対立するかはどんな理由でもいいんですよ、リアリティがあれば。『じゃあこういう理由で対立します』ってことはこっちが考えて、監督には感情の部分を委ねる」

とにかくこのやり取りに非常に感心したわけで、ここに感覚派と理屈派のちょうどいいバランスがあるなあと思ったわけですね。
會川さんは「剣」の後半をまとめたときも、前半に詰め込まれた情報から(日笠Pによると後々どうとでも出来るように設定の布石だけは多めに打ってあったらしい)後半のあるべき筋道をこれ以外ないというくらいきっちり決めて、そこに剣崎と始の感情の流れを味付けとして付けていったというのがよかったんだと思うんですね。左脳的に理屈で作った大筋を右脳的に見た目を変えて、感情面で共感を呼ぶように見せてくれたわけです。
数字的には悪かったし、前半のイメージが悪すぎて評価もイマイチな「剣」ですが、実際後半からの畳み掛けはドラマとしては素晴しく、終わりよければ全てよし・・・くらいにトータルで印象がいいのは、やはり感情に訴える部分で作劇がしっかりしてるからではないかと思うんですね。この辺、感情的な部分を重視した結末だったクウガ龍騎、剣が何となく納得出来るのに対して、アギト、555が納得出来ないのはそんなとこじゃないかなとーと個人的には思います。
改めて見ると、いちばんバランスが良かったのはやはり龍騎でしょうかね。論理的な白倉イズムに、筋を通しつつ末節も手を抜かない小林脚本てのは相性が良かったのかも。なかなか崩せない小林さんのサポート的に敏樹師匠が掻き回しに来たのも、バランスとしてちょうどよかったし。
 
そしてカブトは今、夏のギャグ回どころか延々と以外と死なない神代剣絡みのコメディ展開、その合間にマスクドライダー計画などという謎を振り撒かれつつ、31話からバトンタッチしてひよりと天道絡みの展開を任されたメインライター米村さんですが、天道の行動理由が全く見えなくなってしまいました。以降38話まで折角の天道の本心暴露、ひより可愛さのあまりの暴走と話の核心に迫るところでありながら、それが感情面では全く響いてこない展開です。なぜかというと、すでに物語の大筋が全く見えない状態では米村さんの特性は全く活かされないからだと思うんですよね。
米村さんみたいなタイプは先に行ったように大筋がしっかりしていて初めて感覚的にキャラを動かせる人だから、(ある意味二次創作的な個性なのかも)大筋があやふやなままでは、キャラをどう動かしていいのか判らなくなると思うんです。その結果がわけ判らん行動をする天道。わけ判らんというのは、その行動によって何がどうなるかが全く見えないということです。少なくとも視聴者は今までの天道と違ったとしても、それが何のためか判ってれば変だとは思わないんですよね。何がしたい行動なのかが判らないから、理解できない。でも一番理解できなくて困ってるのはひょっとして米村さん?
インタビューでは最後は決まってると言ってましたがそこへ行く道筋がいくつも出来てしまうと、迷って結局同じことになるんでは・・・
今まで白倉Pには論理的思考をする脚本家がついてて成功していたけど、今回の感じでは感覚的な脚本家は合わないということが判ったような気がします。これは東映監督陣が感覚的だということも含めてですが。

*1:これと同じような展開が全編に渡ってみられたのが7〜10月期のフジの昼ドラ「美しき罠」です。こちらは女性向けということもあって同じようなロジックの物語なんですが、もっと上手く感情と理屈のバランスが取れてて、むしろ感情ありきの展開を理屈で辻褄合わせていくという、そういう意味で見ごたえがあったのです。「14才の母」も同じパターンですが、こちらは理屈が勝ちすぎて感情的な部分のフォローがあまりないのですが。