そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

009-1#10〜12

http://www.tbs.co.jp/anime/009-1/
10話が地上波本放送の頭欠けたんでBSで取り直し。TBSの時間移動細かすぎ!そのためにアンテナ登録したあったのにちゃんと見とけよ、オレ。
てことでまとめて見ました。最終回まで3本続きだったんでちょうどよかったけど。
 

#10「逆爆発」

第2話のエピソードが話としてはツマらなかったんだけど、あれ1本丸々全体への伏線だったのね。まあそうだと思ったけどさ。
アイアンハートの任務を引き継いだミレーヌの潜入捜査。第6話のエピソードから引き続き、Dr.グリーンたちはやはりミュータント研究施設を無くしたいらしい。スタッフの言う、こんなとこにいるより戦場へでも送られたほうがまだ幸せって・・・どんな酷いことやってんだ。まあ非人道的な研究なんて、大抵「死んだほうがマシ」って表現されるけどね。
ミュータントたちの自由を求める気持ちとミレーヌが求めていた自由。東西冷戦構造の危うさと対比するように、「相手の悪意を読み取って、逆にそれを攻撃する」という第2話でも描いてたミュータントたちの性質?で「逆爆発」ってことか?そのものずばり保有する核を逆爆発させるということの意味は次回ってこと?取りあえずいろいろ前振り回。
 

#11「脱出」

逆爆発のシステムとかアマゾンの奥地の子供たちとの関連とかはまだ不明。核を爆発させることで東西陣営に不信感を植え付け、戦争を引き起こすことの意味も次回持ち越し。戦争になって得するのって誰さ?
Dr.グリーンたちを逃がす手助けをして捕まってしまったミレーヌ、というよりDrたちは東西の思惑とは関係ないところにいて、個人的にそれに協力しただけなんだけど、スパイ的にはすでにちょっと外れ気味なミレーヌ。ロキ(仮名)もDrのお仲間か。
ミレーヌにとってのキーワードは「自由」なんだけど、Drやミュータントたちの目指す「自由」と「月」はどういう関係が?アマゾン奥地の少数民族との関係は?気になる。
Dr.グリーンの良心の呵責、自分のやりたい研究の為にミュータントを犠牲にすることへの罪悪感は偽善的感情になりがちなんだけど、「自由を与えたい」という気持ちに実験中のミュータントが反応して希望を見いだしたからこそ、確固たる信念になったってとこでしょうか。普通は自己満足になるよな。
人はどんな酷い状況にあっても、その希望が本物なら幸せに死んでいけるのか。希望を持つって大切だよな。Dr.グリーンが善い人で良かった。
 

#12(最終回)「夜明け」

というか、ロキ(仮名)ってミレーヌの弟のポールじゃん!そんなの在りかヨ!同じ境遇って、そりゃ同じはずだよ、お互い今まで気がつかなかったのか?最後は気がついたんだと思うけど…?ポールの最後の言葉、「さよなら」は判るけどそのあとなんて言ったんだ?「ミレーヌ姉さん」だと口パクがあわねー。
とにかくこの二人、何もなくて良かった(笑)>第4話、古城の話
 
話の方は何かキレイにまとまったよ。
任務放棄して月へと向かったミレーヌ。OPで地球を見上げてるカットは単にイメージカットじゃなかったのね。
Dr.グリーンは流れ弾で死亡。逆爆発のシステムはミュータントたちのテレパシー。実際計画を企てた首謀者はロキってことになるけど、目的はDrと同じく迫害されているミュータントたちの自由のためということ、もう一つは悲劇の連鎖を止めること。正論ではあるけど、そのために戦争さえ辞さないというやり方は許されるものではないというミレーヌ
世界が戦争になって得するわけではないけど、膠着した冷戦構造を全て壊してしまってやり直すことが出来ればという「力」の論理が如何にも男性的な考え方だなあ。それによって冷戦時よりももっとたくさんの犠牲が出るだろうに、それが判ってても悲劇の連鎖を止める、世界を変える、ということ自体はロキの信念てことか。最後に全てを自分が被って事を収めるというとこは、この人も基本的には善い人なんだよな。
後始末の報告でロキ(ポール)の遺体の有無を確認するミレーヌだけど、こないだ自らスパイの末路を憂いてみたばかりなんだよな。それでもスパイを続けるミレーヌ。良くも悪くも世界は変わらないけど、そんな中でも生きていけるのが女性の強かさか。
 
『地平に輝く太陽の絵を見て夕日と見る人もいれば、夜明けと見る人もいる。それだけの違いよ』
亡命時の両親の死を悲劇と受け取り、全てを壊して世界を変えようと思い続けた弟と、自らが自由を得るために戦い続け生きてきた姉。*1 どちらが幸福なのかは判らないけど、世界は悲劇だけじゃなく喜びや安らぎ、美しいもの楽しいものもあるということをミュータントの子供たちに教えてやりたかったという方が共感できるのは女性だから?悲劇の中ではそれを知らないほうが幸せだというロキだけど、それでもミュータントたちは自由を求めたんだよね。こうなると本能なんだろうか?見方の違いだけってことじゃないよな。
ウェストのゼロゼロ部隊が全て女性だということには意味が在ると思ってたんだけど(物語的にじゃなく設定的にね)、この一連の物語で言えば、変えるにしても変えないにしても「世界」を考えて行動する男性達と、その間をぬうように「現状維持」して希望を見いだしていく女性達との対比の物語にもなってんでしょうか。
なんかこの辺、石ノ森先生の女性観が出てるような気がするなあ。*2
 
最後まで脚本・演出・作画ともクオリティ高くて、佳作といってもいい出来でした。久し振りに面白いアニメ見ました。ありがとうございました。
最終回のEDが009-1のテーマフルバージョンなのがまたイイ感じの終わり方で良し。

*1:何となくジョジョの一巻序文にあった《二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。一人は泥を見た、一人は星を見た》を思いだした。同じ境遇にあっても見てるものが違うってトコだけね。

*2:「009」の島村ジョーが時に非常に女性的に思えるのはそのせいかもと思ったり。(石ノ森の主人公キャラは全体的に女性的だと思うけどさ。結局考え方の中心が「世界」じゃないんだよね。