そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

世界を革命する力:総括その1

総括っていうほどじゃないけど、思いついたことを何とかまとめてみようと思う。
感想でも言ったけどラスト3回での展開で、ここまでストーリーや設定について投げっぱなしだと逆にどうでも良くなるというか、細かいことをグダグダいうのは野暮な気がしてくるんだよ。(言ったけどさ)
だってこれ、ある意味世界が閉じてるってことではかなりなファンタジーだよ?ライダー自体がファンタジーだってのはおいといてもさ。最初の頃に渋谷隕石が落ちたということの「世界」へのあまりの影響の少なさに「箱庭」説も考えたくらい閉じてるんだよ。
確かにオレも途中までは設定の回収のされなさ、物語の先の見えなさにちょっと不安になったり不満があったりしましたよ。途中ですでに失われた物語に気がついて、ちょっとどうしようかと思ったこともあったよ。でも真面目にこれはどうしたものかと思ったのは結局天道が暴走してる辺りだけで、それ以外は別にいいやと思えてきたんだよな。ここが引っ掛かったのは、本来揺らいではいけない世界の柱、天道総司が揺らいでた・間違ってたからで、それと比べると殆どの謎が解けないままだなんてことは些細なことなんだよ。
そして天道はまた世界の中心に戻ってきた。
 
で、結局「カブト」って何だったかというと、「天道総司」の世界なんだよね。
前にも言ったんですが、天道総司の「俺が正義」が正しい世界。天道が絶対正義であり正しいことが「世界の正しさの基準」な世界。天道がいいといったから世界は人間とネイティブ(たぶん人畜無害なワームも)共存していける。それってある意味美しいよな。
最終話で何の前振りもなく天道が復活して現れるシーン。
『他者のために自分を変えられるのが人間だ。自分のために世界を変えるんじゃない、自分が変われば世界が変わる、それが天の道』
ここのシーンよく考えると各キャラのセリフが全く繋がってないんだよな(笑)
人間は変わらないという根岸に、他人のために自分を変えられる、自分が変われば世界の見え方も変わるのが人間だという天道。更に加賀美は人間とネイティブの共存する世界を望み、根岸はそんな世界も人間も必要ないという。メチャクチャやんか(笑)
この何となく聞こえはいいけどよく考えたらおかしいってのは、感覚的な米村さんの脚本だなあって気もするんだけど。全く理屈には合ってないんだよね。でもそんな米村イズムの体現者・天道さんが『俺は世界そのもの。世界がある限り俺はある』って言ってるんだからもう何でもアリなんだよな。この世界では正しいのは天道総司なんだから、世界を変える力を持っているのも天道総司ただ一人。その天道の決断が人間とネイティブの共存を決めた。だからそれは「世界」にとって正しいんだよ。
 
以前、『お兄ちゃんは間違わない』といった樹花に天道がちょっと陰りのある表情をして見せたことに関して、ひよりの正体がワームだと判ってから合点がいったのが「ワーム(ネイティブ)であるひよりを守る」ということは、人間としては間違っているということは判っていたからだと書きました。
間違ってると思っていたからこそ天道は躍起になって自分のやってることを正当化しようとし、それがまさに狂気じみてて、はっきり言えばそれ自体が間違っていたんですね。
世界を敵に回してもひよりを守らなければと思っていた天道は、ひよりが生きられる世界を作るために世界を変えようとしていた、だから世界は敵だった。だから7年間、一人孤独にひよりのことだけを思って「その時」を待っていた。
これは擬態天道に言った『世界はお前の敵ではない』が、昔のひよりだけが大事だった自分が思っていた世界に対する認識、それをそのままコピーしてしまったのが擬態くんだと言うことを知っていたからなんじゃないかなあ。
でも天道はひよりのためといいながら、実はひよりを思う自分の望む世界を作るということでしかなかった認識を、ひよりだけでなく他のネイティブも生きていける世界、俺が一番な自分以外の他の誰かも認める世界、それを許容する自分に変わることで世界そのものが変わるということを知った。なぜって、世界とイコールである天道総司がそれを望めば、世界はそう変わるから。(この辺、ある意味観念的だなあ)
『世界がある限り俺はある』と『世界は自分を中心に回ってると思ったほうが楽しい』はほぼ同じ意味だよね。
天道の「天の道」はもともと『アメンボから人間まであらゆる生き物を守る』、つまり全ての生き物に対して自分が責任を持つというもの。それが「力」を得た者の義務だと信じていた。だから自分の望む世界が常に自分とともにあるという認識はしていたんだと思うんですよ。でもちょっとだけ見方を変えて「世界があるから自分もある」と思うことによって更に、自分がこう在らねばならないと思い込んでいた「世界」が、もっと別の誰かも望む「世界」であるということに気がついた。それが他人を受け入れるということ何ではないかなあ。
 
まあ、何だかんだいっても、そういう天道総司が好きだからこそ、カブトの世界がとても好きだと言えるのは確かでして。失われた物語があろうと、設定投げっぱなしであろうとはっきり言えばそんなものはいくらでも補完できるから、こんな状況で終わってしまった物語に対しても全く文句ないと言うか、むしろ天道総司天道総司らしかったというだけで、「カブト」という物語が何とも他に代えがきかないほどに大好きな物語になってしまったのです。
これは好きか嫌いかの話だから逆に言えば、理屈が通ってなくても構わないということなんだよ。
平成ライダーの中で「剣」が好きなのは、最後にあるべき結末に美しくも哀しくキチンと閉じてくれたからで、あの世界では未だに剣崎は本物の仮面ライダー、ヒーローとして何かと戦っているだろうし、あの二人のおかげで世界は存続している。そう思える最終回だったことが何よりも幸せだと思えるからなんだよね。
「カブト」はそれとは全く別のベクトルでキチンと世界が閉じて終わったと思うんだ。
御伽話のような美しさで天道があるべき理想の世界にしてくれた。そして今もその世界は続いている。そこに理屈は要らないんだよ。だから好きか嫌いかでいえば好き。だってそれは何よりも天道総司を好きだから、当然カブトという世界を好きなのは当たり前じゃないか、というレベルなんだよね。
天道総司」というスーパーな俺様が作る世界、それが「仮面ライダーカブト」という物語なんだよね。