そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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おせん#10(終)

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ドラマ的な落とし所に持っていくかと思ったら、思ったよりシビアな最終回でやんすね。
うーん、このドラマの言いたいことってすごく判りやすいんだけど、それを語ることは難しいというか、結論が出るものではないし、それは一人一人考えなければいけないこととして問題提起してることだからってことだよな。でもそういうものとドラマとしての見せ方が上手くハマってるところが、かなり良心的だし志としては高いいいドラマだよなー。
今回このドラマとしては、一升庵のやり方として「繋ぐ」心を見せていくものとしてるわけだけど、それは例えば「ホッキョクグマが絶滅しても自分の生活には関係ない」「再開発で日本中どこもかしこも同じような見た目だけキレイな町並みにしてしまう」「味覚障害で味が判らない&素材の姿が判らない」ということを問題として捉えるかどうかって話だったり(それにしても劇中とはいえ、よく言えたなぁw)、一度失われたものはもう取り戻すことは出来ないかとか、受け継がれていくのに形は必要かなどなど、いろいろ考えること多すぎるんだけどそれを説教臭くならずに上手く見せることが出来たのがよかったかな。
 
ヤマジョウの本枯節と矢田さんの件は、矢田さんの舌の記憶に訴えることによって本枯節は残ることになった。それがヤマジョウの単独再建という結果だとしてもそれはよかったことだというのは、矢田さんやヤマジョウの社長の希望がたぶん叶えられた、守るべきものを守ることが出来る手だてがあるってことではいい結果だよね。
それはいいけど、だったら買収計画は白紙という、どっちも取ることは出来ない現実を見せられた感じ。お金絡みだからシビアだねー。結局買収計画も矢田さんもアッサリ切り捨てる金池社長。登場時から歩き食い、簡単食と、明らかに食に重きを置いてないというより、よりビジネスに現実的というべきか。
金池社長は一升庵をホッキョクグマのような絶滅危惧種として、いなくなってもどうってことない、自分には関係のないものとして考えてるってことだけど、今それを大声で言えるってことはかなり率直な人だよな。そういうところで嘘があったり妙なコンプレックスゆえの拘りがあるわけじゃないって言うのが人柄として結構特殊な感じ。こういう人の見せ方として内藤剛志なのはグッジョブ。

そして受け継がれる味の見せ方として、舌の記憶を覚えていた矢田さんと対比するように金池社長の息子・亮くんはその記憶を全く持たない、物の味を知らないどころか野菜が土に生えてることすら知らない現代っ子であり、それを金池社長はそういうご時世だから仕方ないとする。せっかくの手間ひまかけた一升庵の料理が全く判らないことにも特に問題視するわけでもない‥‥ということ自体が問題なんだけどって話か。というかあそこでケチャップを出した時オレはかなり衝撃だったよ。一瞬まさかとは思ったけど、まあマヨネーズでもケチャップでも同じだけどさ。
社長的には一升庵の存続はホッキョクグマと同じ程度の問題でしかないんだけど、味が判ればそれは「楽しい」というおせんさんの言うことにはちょっとは心動かされたのか?
そうは思えないのは、それが大半の人にとっては生活に関係ない話でしかないってことだからだと思うけど。ホッキョクグマがいなくても困りはしないけど、いれば話題として楽しめることもある‥‥って程度。だってあんな手間ひまかけた高級料亭の味が判らなくても生活してて困ることはないし、金池社長ほどでないにしても大半の人間にとって「それが何?」ということには変わりないしな。でも関係ないからといっても困らなければ潰す必要はない、あれば利用することもあるかも‥‥くらい?
冷徹にビジネスを進める社長のやり方を考えると、結局は拘りじゃなく損得なんだよな。だから無理にヤマジョウの買収をしないし、千成地区の再開発も単にそこに土地があったから銀行を動かして買収しようというだけで、千成地区に拘ってるわけじゃないから‥‥のような気がする。社長にとってあってもなくても自分に関係ないものとして一升庵が残るのなら、別にそれでもいいってことかなー?多少心動かされたってことなら、損得だけならそこまでにかかった費用がってとこを、社長の気持ちでチャラにしてるとこくらいか?(描写がないだけだけど)
とりあえずそんな理由でも一升庵はまだそこにある、今は‥‥ってだけ。この先ずっとあるかどうかも判らないということでは、この時代に一升庵を続けていくということは厳しいんだろうな。この辺はやり繰りが苦しくても昼営業をしない(出来ない)一升庵に、林さんのレストランの「なりふり構ってられない」が実感的なのとは対照的。だからと言って、料理の使いまわしをしてもいいかというとダメだけどさ。
そういや林さんのレストランの時にちゃんと茶節をやってる客がいたのは細かいね。でもそれもたぶん一時なんだよな。新しい企画を‥‥ってとこがそれを示唆してるというか、結局はどんな最高の食材でも一般の人には一時のパフォーマンスに過ぎない、それが一升庵の存在ってことかも。
 
そういう一升庵の存続問題と別のところで潔かったのが先代女将の「燃やしちまえ」なんだけど。
全てのことに受け継ぐ心が残ってれば形なんかなくてもいいとは言えないと思うけど、一升庵のことで言えば建物や場としての「形」が大切なわけじゃない、その心を受け継ぐことが大切なのだってことな。5話の家の建て替えと大工の話の時とは逆の結論だよね。話はちょっと違うけど、江戸の町が何度も大火に遭いながらも文化は受け継いでいってるってのに似てるかなー?なんかさすが女将はちゃきちゃきの江戸っ子って気がする(苦笑)
ま、それがあるからヨッちゃんは結局一升庵には戻らなかった(んだよな?)けど、一升庵の心は繋いでるし、受け継いでいってるってことか。今はまだある一升庵がもし無くなっても、みんなその時に慌てないための心構えは出来てるし、だからこそ大切にしてるってことね。ヨッちゃんの扱いとポジションは最終的にはとても好みの感じ。
番組最終回としては、そういう意味では単純に一升庵が残ったからといってよかったと思えない印象。
最後のナレーションが1話冒頭のと同じなんだけど、ある意味乱れた食文化の中での希望として登場した風に見えた一升庵は、その実体を語るうちに最終的には必ずしも楽園ではなく、むしろ大海の小舟のように危うい存在であると印象づけたのがなんか上手いまとめだった。一升庵の現状を通して、良い事も悪いことも含めてその状況をどう考えるかという程度に問題提起してるのが嫌みにならないからってことか。ドラマとしては志し高くそれを上手く描いてたし、頭の方はかみ合ってなかったけど後半はとても面白かったです。
 
#1 演出:南雲誠一・脚本:大石静
#2 演出:南雲誠一・脚本:神ひとえ
#3 演出:久保田充・脚本:神ひとえ
#4 演出:茂山佳則・脚本:高橋麻紀
#5 演出:南雲聖一・脚本:白金カナ
#6 演出:久保田充・脚本:高橋麻紀
#7 演出:南雲聖一・脚本:高橋麻紀
#8 演出:茂山佳則・脚本:高橋麻紀
#9 演出:南雲聖一・脚本:神ひとえ
#10 演出:南雲聖一・脚本:神ひとえ、高橋麻紀