そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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銭ゲバ#9(終)

http://www.ntv.co.jp/zenigeba/
ちょっと忙しくて土曜日にこのドラマ見るほど時間の余裕がなかったんですが、あちこちブログ見るたびにifの世界って見えてヤベーと思ってなるべく見ないようにしてたのに、日曜日に妹が開口一番「銭ゲバエヴァンゲリオンの最終回でよー」って言いやがって台無しですよ!
ってことで、風太郎の妄想の中の緑さんはどう見てもミサトさんです(笑)キレイで仕事はできるけど口が悪くてガサツなとこがw
 
この土曜9時のドラマと思えない終りっぷり、スゴすぎる。
ifの世界とかエヴァの最終回とか聞いたけど、あの妄想世界って意味としてはむしろ風太郎の疑似記憶みたいなモンじゃないかなあ。
だって、ダイナマイトに火をつけて風太郎が「わかった‥‥俺が死ねばいいんだろう」って呟くところから"もしも風太郎が貧乏じゃなかったら"って話をやって爆死して、そこから墓参りしたとこからちょい巻き戻って「みんな銭ゲバズラ」で締めてるけど、順番としては死を覚悟して「みんな銭ゲバズラ」って悪態ついて、幸せの妄想を見て「死にたくない!」って言いながらも爆死する‥‥んだよね。
冒頭、前回と同じ描写でなく、緑が問いかける死ぬ理由、「罪の重さが辛くなった」「捕まって死刑になるより自分で死ぬ方がいい」「どのみち破滅するから」の合間に風太郎が思ってることのイメージ、茜の自殺、健蔵への別れの言葉、伊豆屋のやり取りが入って風太郎の心情を描写してて、風太郎の「僕が間違ってなかったってわかった」ってのは、伊豆屋が借金のためなら人を殺さんばかりに豹変したことを言ってるんだろうけど、別にあの人たちが風太郎の置かれた現状を体現してたってわけでもなかったんだよね、本当は。幸せになるために人なんか殺さなくてもいいんだし、そういう意味では風太郎が間違っちゃったのは、新聞屋の優しかったお兄ちゃんを殺してしまったことなんだろうけど。
風太郎は金持ちになっても幸せにはなれなかったけど、萩野家とか伊豆屋とかは明らかにお金の力で幸せになったわけじゃん。
少なくとも風太郎がお金を持ってても幸せじゃなかったのは風太郎が「幸せ」というものを知らなかったからであって、萩野さんや伊豆屋の場合、お金があったから奥さんが死なずにすんだり、お金があったから保険金のために死なずにすんだりましてや人を殺さずにすんだのは、もともと「幸せ」というものを知っていて、彼らの思う幸せを得るためにはお金があれば‥‥というのが間違ってないからだもんな。
そういや健蔵もお金を持ってても別に幸せそうじゃなかったけど(ある意味楽しそうではあったけど)、お金があれば幸せになれるっていうのは普通の人の考えることであって、風太郎は人を殺してお金を奪った時点で普通じゃなかったからって言っちゃえばそういうことなんだろうけど。
つまりそんなことをして手に入れたお金じゃ幸せになれないってことか。
 
一度風太郎が死を覚悟したのは本当だろうし、それは緑さんがいう通りだったのは確かなんだろうけど、でもむしろ、風太郎は風太郎の信じる「貧しくても心は美しく」が正しくない、この狂った世の中で生きてることが辛くなったから‥‥とも思えるんだけどなぁ。
だからドラマの最後のは本当に悪態で、自分が悪いわけじゃなくて社会が悪い、社会が悪いから銭ゲバはまた現れるって話で、逆にいえば個人じゃどうにもならない、自分のせいじゃないってことを言ってるのかな。でも妄想の中で上司の緑さんが言ったように、「自分が上手くいかないのを他人のせいにすんな。全部自分のせいなんだよ」なのも個人の心持ちとしては正しいというか、緑さんがお金持ちじゃなかったらそういう価値観の人だよな。そういう「正しさ」を掲げる人。
最終的に社会が悪いから自分が銭ゲバになったという風太郎がいよいよ死ぬって時のあの「幸せ」の妄想なんですが、人は命の危機が迫った時に走馬灯のように人生を思い出すっていうけど、むしろ風太郎の人生って健蔵が不当に会社を辞めることにならなきゃこういう風にごく普通のありきたりの人生を送ってたかもしれないってことだよね。「平凡でも心は美しく」普通に生きることが一番幸せ‥‥これが本来風太郎が求めるはずだった幸せ、貧しくもなくお金持ちでもない。知り合いだってそこそこいい暮らしはしてるけど、お金持ちってワケじゃない。
そういや住んでるところが都会っぽかったんだけど、これってちょい深読みするけど、ひょっとしてもともと風太郎んちは都会のマンションで普通の暮ししてたとか?健蔵が会社辞めて仕事しなくなったから故郷の静岡の漁村で暮らすはめになったとか?だってお父さん、良い大学出身なんでしょ?
健蔵がずっと会社に勤めてたらそこそこ都会で普通に少年時代を送り、親と同じ良い大学に入って(いいけど受験票の番号が4219=シニイクなんですけど‥‥)お金持ちじゃない普通のちょっと良い家庭の茜と恋愛して結婚して子供ができて‥‥という生活をしてても何の不思議もなかったはずで、この死につつある風太郎の最後の描きようって、この妄想こそが本当の風太郎の人生だったかのような風太郎の思い込みの勘違いで締めてる感じなんだよなあ。死の間際に風太郎が走馬灯のように思い出す人生は、"あったかもしれない人生"の妄想でした‥‥って感じ。
死に行く風太郎が見るかつて刻みつけた「幸せ」の文字がずっとカットバックで入ってくるのは、そういう細やかな日常の一コマ一コマが幸せだってことに気がつかなかった風太郎が、やっと気がついた今考える「幸せだということ」の確認なんだろうけど。
だから何となくここって風太郎の中の記憶のすり替えが行われた感じというか、本当の風太郎みたいな銭ゲバな破滅の人生で、自分が間違ってないって判ったからもう死んでも悔いなし、むしろ生きてても死刑しかない‥‥ってことならともかく、こんな普通の良い人生を歩んできた人間が腹にダイナマイト巻いて自殺しようとしてる‥‥と考えると、そりゃ出てくる言葉は「死にたくない!」な気がするよ。死ぬ理由ないもんな。
まあどう考えても風太郎はそのまま死んだ方が幸せだと思うけど。止めなかった緑さんスゲェ。
あとこの妄想が"ドラマとして"というよりあくまで"風太郎の妄想"って気がするのは風太郎の思う"普通"というか、友達とか結婚とか親子のエピソードが妙にありきたりなところと、結婚のお願いに持参するのがケーキ用の箱に入ったマカロンだったりするところ(風太郎くん、マカロンという物がどういう状態で売ってるか知らないんでしょ?大抵は透明のプラケースか、キレイな小箱に入ってるよな)、ボートで茜が「聞こえてたもん」っていうもの、茜が風太郎の思惑を知ってたことを風太郎も知ってたってことだと思うんだよね。(だから茜が死んだことに罪の意識を感じてるんだと思うし)あくまでも「風太郎が思う普通の幸せな人生」なんだよね。
なんか結局、風太郎にとって「幸せ」って呪いみたいなもんだったんだよなぁ。
そして新たなる銭ゲバ春ちゃんですか?それとも緑さんですか?犬が掘ってたのは、ひょっとして健蔵が庭の別の場所に白川くんの死体を埋めたってことなのかなぁ?まあそれが一番手間は掛からんよな。
最後、健蔵と風太郎の親子関係として、風太郎の妄想で「親子で飲むこと」が一つの幸せの形として描かれてるけど、そんなことを知らないだろう健蔵が、風太郎の新聞記事を相手に酒を飲むところがこれはこれでこの親子関係として妙にしっくりと終るところも良かったです。これは相当グッと来ました。岡田さん、上手いよ。もちろんこれの前に健蔵の彼なりの親子愛がちゃんと描写されてて、風太郎もその辺はたぶんわかっていた‥‥ってのがあるけれど。
風太郎の墓に1円玉を置いて『銭ズラ』って言う緑さんって、1話のトモロヲを殺した時の風太郎とダブらせてるよね。この狂った歪んだ世界で、これから一人生きていく緑さんが心配ですよ‥‥
 
まあとにかく突っ込みどころが突っ込みどころとして認識出来ないドラマというか、久しぶりに見ごたえのあるドラマを堪能しました。オイラの感想もアレだったけど、書いてて気付くとこもあったしな。
そういや公式のスタッフブログも見たけど、キャストもスタッフも本気すぎて本気のものってやっぱりつっこめないって思ったよ。あくまでその志を買いたいです。内容もオレは十分以上に面白かったけど。
たまたまこんな状況の時に‥‥ってのも、たまたまというよりむしろその本気っぷりに時代が寄ってきたって感じじゃないか?でなきゃもっと風太郎の境遇に現実感のないファンタジーな感触になってたような気がするよ。
松ケンも凄まじかったけどやっぱりミムラの上手さと桔平のスゴさは見ものだった。普通のお父さんよりもロクデナシ親父の方が輝いてたよ。久しぶりに良い桔平を見たなあw
そういや最初のころDoCoMoアンサーハウスのCMが入ってたけど、アレも風太郎くんあったはずの世界なんだろうか?(苦笑)