そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

赤鼻のセンセイ#10(終)

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良かった、和田っち持ち直したよ!まあ人が死ぬようなドラマじゃないよな、うん。ドナーも参太郎じゃなかったしw 
八重っちが「先生、和田が笑ったよ!」ってとこで思わずうるっときてしまいましたが、八重っち、笑えないとかいってたけど、笑わす方になってるし。「送辞って掃除じゃないぞ。クリーンルームだけに」ってダジャレに小学生の子たちがポカーンとしてるのがちょっとツボったんですが(そりゃそーだw)、「石原並のギャグ」って言うことが八重っちや和田っちたちの間では最大級の賛辞ってことでいいいのかな?
和田っちの「七瀬先生を嘘つきにしなくて良かった」もうるっときてしまいました。もう神木くんといい須賀くんといい、上手いよなぁ。
途中何やってるかちょっと判んなくなったりもしたんですが、最後は収まるところに収まって、なんか気持ちよく終わったって感じ。ちょっと和田っちの病状悪化でどうなるんだと思ったけど、最後はちゃんと面白かった。最終的にはちゃんとやりたいことが判ってるドラマだったってことで。
小林聡美はもうちょっと出番あってもいいかって気がしたけど、ドラマ自体は大泉のキャラを上手く使っていい見せ方をしてくれたり、あと上川のキャラも良かったしね。面白かったです。
 
そーゆー当り前の感想ですませようと思ったんですが、そういや何回か前の感想でこのドラマは石原参太郎という人間が非日常の世界にやってきて魂の遍歴をするファンタジーとか言ったことを思い出したんで、せっかくだからちょっとそういう風にまとめてみる。
参太郎の笑いってのはホントくだらないダジャレなんだけど、そんな頭使わなくて良いようなものだってのがシンプルな「笑い」なんであって、そういや「笑う」という感情を持ってる動物は人間だけなんだよね。
人を笑わすことに生き甲斐を感じていた男が、そういうどちらかというと無目的な「笑い」から、最終的に「人は笑うために生きてる」という哲学的な答えを導き出したのは、参太郎が自分でも言ってたように先生として勉強を教えるためにやって来たはずなのに気がついたらいろんなことを学んでたってことで、参太郎の自分探しといっていいと思うんだよ。太川先生に「教師としては三流だけど、人としてはそう悪くない」って言わしめるくらいには。
そして病院というのは本来生きるための場所でありながら死がいつも隣にあり、院内学級が院長のお兄さんがいうように「学校とは勉強だけでなく友達と遊んだり、そういう日常を体験することだ」というのなら、入院している人たちはみんな普通の人としての日常を送ってないということになるんじゃないかなあ。だから病院には笑いがないしむしろ笑うことすらはばかられるような雰囲気になっているんだろうし。退院するという嬉しいことですら、そうでない人たちに遠慮しなければいけない状況はどういう意味であっても「笑えない場所」であるとも言えるんじゃないかと思う。
そんな中で参太郎が「笑おう」と言うことは、つまり「人として生きよう」ってことじゃないかと思うのよ。それが「人は笑うために生きてる」ってことなんじゃないかと。
この前の、和田の病状を目の当たりにして笑えないという八重樫に、自信を持って「人は笑うために生きている」と言える参太郎というのが参太郎が見つけた自分自身であり、参太郎本人もそういう魂の遍歴を経てやっと「人」になったんじゃないかって気がする。(そういや院内学級閉鎖におけるクビ→復帰ってのは、英雄譚的に言えば死と復活かもw)
そういう経緯があっての「卒業式」が、退院はしない生徒たちよりむしろ辞めるはずだった(病院を出るということ)参太郎にとっての「自分探し終了」だったと考えた方がしっくりくるし。
 
あともう一つ、そう考えると病院ってのは参太郎にとって非日常の異世界だったんだけど、それを導いた太川先生が浅草の見せ物小屋の出身だった‥‥っていうのも、あながちまったく意味がないわけじゃないと思ったんだよね。見せ物小屋ってのはそもそも非日常の異世界だから、病院という異世界で参太郎の魂の遍歴のナビゲーターとしてはうってつけだったってことでしょうか。そういやまったく病院のことを知らなかったという定食屋ってのは、ある意味現実世界の一端で、関わらないからこそあそこで話すことが病院の内情を客観視出来る場所だったのかって気もするし。
全体には和田っちが死ななかったことといい、ファンタジーっぽいおとぎ話でいいんじゃないかと思う。
そもそも参太郎を連れて来たのが前院長の独断で、最後に「ここが好きだから」という桜山院長(代理)をそのまま院長としたのも前院長の独断だ‥‥ってところもおとぎ話っぽいしね。前院長は不思議の国のアリスの白うさぎかw
もう一つ〜といいながら更にもういっこ追加。
参太郎が院内学級の子たちにあだ名を付けるってのは、そういう異界のお話的な意味合いでいうと「本当の名前を名乗らない」ってことかなと。千と千尋のアレみたいな、名前を取り上げる的な。
病院の人間である医者の先生たちはちゃんとした大人で自分を持っているから本当の名前を名乗ってる。でも一時的にそこにいるだけの子供たちや参太郎(サンタ)はあだ名。立場がハッキリしない院長も殆どが「院長」って肩書きで呼ばれてるから本当の名前じゃないよね。最後はちゃんと「桜山院長」になったってことなんだろうけど。さらにいえば前院長も肩書きだけだし。そうすると太川先生は最初から異界の住人だから「シルクちゃん」であり「冷蔵庫」って感じで、いろいろハマるんだけどなぁ。そこまで考えてたのかなー?