そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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任侠ヘルパー#11(終)

http://wwwz.fujitv.co.jp/ninkyo-helper/index.html
ああ本当に、本当に面白かった!感想書いて終わらせるのがもったいないくらい。思わず見返しちゃったよ。3回も!
キャスティングがすべて好みだってのは相当大きいと思うけど、脚本にしても演出にしてももっと上の企画からしても何もかも文句付のけようがありません。もちろん各話で多少のこれはってとこはあったにしてもそんなことは問題じゃないよな。とにかく面白かった。面白すぎて涙出てくる。感動とかじゃなくて、このレベルでドラマを見せてもらえることの喜びというか、そんな感じ。

結局若頭の思惑とか、みんなの行動とか引っくるめて理屈じゃないってことだね。だって理屈で言ったら晶がやろうとしてたハートフルバードの理念とか、藤堂が言ってることは正しいんだもん。でも任侠も介護も理屈じゃ割り切れない、だから身近なところから道理や筋を通すってことが必要で、それが「弱きを助け、強気を挫く」任侠の道ってことか。自分が関わった人だけでもちゃんと面倒見るって、それは偽善でも何でもないものの道理だと思うし、人情ってもんだと思うもん。姥捨ておじさんが言ってた家族が面倒みるべしってのはまた置いといて、だけど。
番組的には最後までこうするべきだってことを押しつけがましくせずに、今何が間違ってるのか、どうすればもっと良くなるのか、人が人として良く生きるとはどういうことかを提示はするけど、実際どうすればいいのかは「自分で考えろ」としか言わないこのドラマは大変良心的だと思う。頭が良くても悪くても正しい結論なんか出せないし、人それぞれ抱えてる事情は違うんだからこそ、ひとりひとりが考えることが大切だと。そういう意味では視聴者が受け手になることだけを良しとしない、しかもちゃんと伝えたいことを持っている、久しぶりにいいドラマでした。
 
お話的には今言ったとおり若頭の思惑って、本当に今の極道の状況を憂いてて、古き良き「任侠道」を復活させようとしただけってことか。ていうかそれってもう個人の趣味の範疇だと思うけど(苦笑)
とはいっても当然最後の正体バレのドタバタを見るまでもなく、堅気から見たらヤクザはヤクザなんだろうけど、その中でも筋を通したい、まさに最後のヘルパー問題と同じ結論の、身近なところから変えていく‥‥を実践した形だったのかな。そしてその見返りはなし。だって若頭の趣味だから。ただ心根として、どういう生き方を選んだのかという人の生き方としての満足感のみってことだね。
彦一と五郎と六車が抜けてもたぶん組としては問題ないんだろうし、敵対してる鷲津組も当分は隼会に借りがあるから手出しは出来ないってことを考えると、まあああいう結果自体が鷹山の若頭の懐の深さとか人情裁量ってことでしょうか。(ところで六車の会社って、隼会関わってんのかなー?)
 
ここ最終回で、今まで見て来た介護の実態よりも更に最低レベルの状況を見せられ *1、前回の五郎と同じく彦一も自分が今までやってきたことと極道であるってことをを考えさせられ、それがそもそも自分が憧れていた任侠道、弱気を助け強気を挫くとはまったく違うところにいたことに気付かされたってのは、トドメといえばトドメかな。‥‥いや、トドメは涼太か。
涼太の境遇は別段悪いわけじゃないけど、辛いという点においては誰かに頼りたかったってことだよね。彦一が来るまで今までイジメを我慢してた時のようにひとり任侠映画を見て自分を勇気づけてたけど、彦一が来たとたんに懐いてきて、拒絶されたら自分で泣きながらアヒル口をするって‥‥それが彦一の自分への愛情表現だと思ってたことといい、うう、可愛い、カワイ過ぎるし切ないよ!彦一に構って欲しいっていうか頼りたいよな、だって子供なんだから。それを見て彦一が涼太の手を取ってくれるって、まさに弱気を助け‥‥か。オレ的見どころその1。泣けた。何度見ても泣ける。
もひとつ前回の話から、あのタイヨウのお年寄りたちを感情的に何とかしたいと思ってるのが五郎で、研修終了を納得いかないとばかりにタイヨウのヘルパー服を脱いだのに、集まってきたお年寄りたちを見て「飯でも作るか」と帰り支度のヤクザスーツを脱ぎ、今まで見せたことなかった背中の彫りモンを晒してまたヘルパー服に着替えるところがカッコよすぎ!シビレタ!やっぱそこで「義」を見せなきゃ任侠じゃないよな。オレ的見どころその2。壽太は役込みでおいしかったけど、五十嵐はちゃんと見せ場作ってもらえてんなぁ。ああカッコいい!
涼太にしてもお年よりたちにしても、頼ってくる弱き人々に侠気を見せなきゃ任侠じゃないってことで、その結果が立てこもりとは。翼彦一は漢だねぇ。
それにしても零次のことは特に触れなかったけど、五郎の丁寧な描きようを見ると零次はたぶん五郎と同じだったんだろな。そりゃ、研修中の任侠ヘルパーたちには説明できんわな。ただ、零次の方が五郎より頭良くて才覚があったってことで、零次は五郎+六車+彦一ってとこかな?零次は結局ヤクザに戻ってるけどそこら辺は彼の中では解決したんだろうし、そう考えると抜けた人間の分をまんま全部背負ってるキャラだな。
 
厚労相対ヤクザの話は、結局何か問題が起こらないと物事は解決しないって話で、あえて問題を起こして世間の注目を浴びるという捨て身の方法は、それはそれでヤクザだと思う(笑)肉を切らせて骨を断つ、か。
ニュースの絵面的にはどう見たってヤクザが介護老人を人質に施設に立てこもってるようにしか見えないけど、世間的に暴力団がそんなことをする意味があるのかどうか?を考えると、そもそもタイヨウはその前に暴力団ヘルパーの報道もされててるわけだし、羽鳥前社長辞任劇の衝撃発言もあるんだし、何か問題があると思うのは普通かも。そこら辺をマスコミが突いて、介護制度見直しにいくのは、あればいいよねって理想の話であってもドラマとしてのオチは上手いなぁ、すべて丸く収まったし。何より施設のじいさんばあさんが彼らを歓迎してるんだしな。(つか暴力団だってビビってた話はどうなったんだ?w)
厚労省の藤堂の考え方が「任侠道」にシフトしたのは、たぶん彦一が晶と同じことを言ったからだと思うんだよね。
藤堂と晶はそもそも同じ考え方で、厚労省として弱きを守る介護システム維持のためにその枠組みを厳しく規制する、その結果切り捨て部分が出てもしようがないってことで、個人負担を減らすためにシステマチック介護を広めるってのは「上から管理する」って意味では同じだし、両方とも切り捨てるのは「情」の部分だけど、本質的には「神様でもないんだから仕方がない」って気持ちはあったと。
でも「神様じゃないんだから全員は救えない、でも身近にいる人から救ってもいいじゃねえか」っていう彦一たち任侠ヘルパーの考え方に、それでもいいんだ、と納得なのはコロンブスの卵でありコペルニクス的転回をしたってことでキレイなオチでした。制度はそもそも弱きを助けるためのものという結論で藤堂が介護制度を見直す方向にいったのは、結論としては不思議でもなんでもないしさ。無理かどうかって話じゃないしなぁ。
みんなが等しく不満を持つよりは身近な一部の人間でも幸せになればいい、そのためにその家族やヘルパーたちが人間らしく生きるための支援を政府が後押しするというのが本来の介護制度っていうこのドラマのまとめ方は、ドラマとしてまったく不服もないし、すごく良かった。もちろん見てる人への啓蒙も含めてだけど。
ホントよくこのネタでこういう風にまとめたなあという何もかもが奇跡みたいに上手くいったドラマだと思います。
最後の乱闘もなかなかクライマックスの盛り上がりとして楽しかったけど、ちゃんと所長を庇いに行く零次とか、その零次がボコ殴りにされてんのを心配して呼ぶ彦一とか、最後に現れて人暴れする四方木連合に、結局暴力沙汰には加わらない六車とか、細かいキャラの見せ方がいちいちいいよなぁ。手伝いに戻ってきたみんなへのおばちゃんヘルパーの「バッカモンが」もよかった(笑)おばちゃん何気にいろんなとこで締めてるなあw
五郎と晴菜も、りこと彦一の別れ際も、彦一の身の振り方も良かったし、タイヨウのその後も、何も言うことなく大満足です。
ああ本当に面白かった。毎クール一本はこういうドラマがあればいいのになあ。それって贅沢なのかなあ。

*1:そりゃ確かに家族がいるからタイヨウレベルの施設にいるわけで、年金生活の独り身のお年寄りはといったら、ああなるんだろうなあ‥‥