そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

龍馬伝#22「龍という女」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
ストーリーはともかく、ドラマとして微妙に面白くなかったなーと思ったら大友さんかあ。この人ってやっぱりなんかよくわからないイメージショットが多いんだよなあ。
まあ話としては龍馬がお龍さんと出会って、武市さんが拷問(ある意味精神的拷問だよ)されて、以蔵が逃げまわったあげく捕まったというお話。
相変わらず下士差別が激しい容堂公が憎々しい!(苦笑)まあ、下士差別の由来もご披露されてましたが、どっちにしても酷いお人だ。それに関しちゃ弥太郎の言うとおりだと思うけどさ。でもやたら昼間から酒ばっか飲んでるシーン多くて、それはそれでなんか容堂公の胸の内もなにかありみたいな感じか?何思ってんのかは今んとこ全くわかりませんが。
あとはなんだかんだ言っても、龍馬は5両でお龍さんに貸しを作ったっつか相手飯炊き女なんだから買ったのと同じじゃん。言い過ぎ?そもそもなんで妹は借金なんぞ作ったんだ?騙されたってなんならともかくさあ、あのシチュで龍馬が5両出すいわれはないわな。つか、あの5両を差し出す言い草が非常にムカつく。お前何様?稼いでないなら余計に‥‥じゃないのか?5両って庶民にとって大金だぞ?
他の脱藩扱いになった土佐藩士たちは実家大丈夫なのかなあ。龍馬は金持ちのボンボンだからあんなこと気楽に言えるんだよなあ。ホントなんかムカつくー。しかもどうせ悪気はないんだよなー( ´∋`)
そしてとうとう捕まってしまった以蔵‥‥新選組カッコ良すぎるんだが(鎖帷子サイコー!)、もう今回の見所は以蔵の大捕物でいいよ。武市さんが投獄されたのも知らず、「武市さんにホメられたかっただけじゃ」って、以蔵可哀想‥‥あまりにも馬鹿すぎて (´Д⊂ヽ というか本当に自分で物を考えらえないって、罪だよなあ。人斬りは嫌じゃって言ってなかったっけ?武市さんに褒められればそれで、それだけでよかったんだなあ。ああ馬鹿だ‥‥言ってることがコロコロと変わるとこがまた頭が可哀想すぎる‥‥
それにしても、大河毎年見てるわけじゃないからよく知らんけど、ハタチそこそこの若手でこんなにおいしい役もらった人いた?いやこの大変な撮影がおいしいって、すげーオイシイと思うんだけどさ。ああおいしいなあタケるん。
昨日の土スタも見たけど、大森さんの抱擁は嫌かwそうかw
ところで来週はもう池田屋なんだ。なんか大河の「新選組!」と司馬遼太郎の「燃えよ剣」くらいしかちゃんと知らないオレにとっては、新撰組が出てきたとたんに池田屋っていう組織が終わりかけの話ってのは、なんかちょっと戸惑うw
 

追記。

quonさんとこの感想の追記(http://d.hatena.ne.jp/quon913/20100530/1275225929)読んで更に思ったんだけどさ。
まーだからメイン監督の大友さんの回が相変らず面白くないのは、ドラマとしての視点が脚本家と別のとこにあるんじゃないかって思うからなんだけどさぁ。チグハグというか。
今回、お龍さんが出てくるから大友さんなんだよね、きっと。でもそのお龍さんとか以蔵に対しての龍馬の行動が、こないだからずっと描いてる普通の人と違うことができる、こういう旧態依然の社会の枠組みを壊すことができる目と行動力を持った坂本龍馬という人の人物像を、「ヒーロー」として描くか、そういうヒーロー的人物であっても(たぶん「ヒーロー」と「ヒーロー的人物」というのは似て非なるものだと思うんだが)そこに迷いや挫折があったはずと描くのかっていう違いだと思うんだよね。いや人物像の問題じゃなく、それをどういう人に描くかっていう問題でね。
以蔵を探し回るところだって、まあオレたちゃあの形だけの実のない捜索をオイオイメーワクなやつだなーって感じで突っ込みながら見てたんだけど、そこを龍馬の「必死さ」じゃなく、それこそ「今さら友達づらでそんなことしてどうする、もっと本気で探せよ」って目線で演出されると微妙な気持ちになるし、お龍さんとのやり取りにしたって、自分の持ち物は自分の実力で得たものじゃないから価値がないという無欲さからでた行動なら龍馬の純粋さだと見えるのに、それがなんでかボンボンゆえの嫌味っぽさに見えちゃうのは大友さんが「龍馬って悪気はないけどヤなやつだよなー、わかってないよなー」と思って演出してるからなんでは?って感じで、見てる方も微妙になるというか‥‥(苦笑)
まあ素直に福田靖的なヒーロー像(福田さんがやった「HERO」とか「救命救急」の初期シリーズとかみたいな)で単純に龍馬マンセーしたくないって気持ちはわからんでもないけど、その「ヒーローの人間味」を「周りの人間は振り回されて切ない思いをしてるんだ」ってほうに描かれると見てる方は戸惑うというか、たぶん武市さんとの兼ね合いで今回の大河の龍馬はそういうことになっちゃったのかなと。悲劇の人、ヒーロー龍馬の役割的・立場的に陰の人な武市さんの比重があれほどでなければもっとヒーローでいられたんだろうけど、どっちかというと今のところ脚本家は龍馬伝を書いてるけど、演出陣は武市伝を書いてるって感じなんじゃないかなあ。弥太郎はどうせ語り手だからあんな距離感でいいんだけど。