そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

Q10#5

http://www.ntv.co.jp/Q10/
脚本:木皿泉 演出:佐久間紀佳
今日はもう土曜日なので2週遅れになってしまった。まあいいや。
何となく初見では取っ散らかってるように思ったけど、割と今まで描いてきたことのまとめっぽいことやってるというか各キャラの立ち位置をもう一回おさらいしてる感じかな。二回見るとなんとなくああそうかと話がきれいに繋がるけど。
Q10」を見てると「生活する上ではどうでもいいことだけど、生きていくには大事なことがある」と感じるよ。
Q10とデートできるだけでいいと言ってた中尾がQ10がロボットだと知ったとたんQ10が欲しいといきなり豹変したり、河合さんと一緒の大学に行くって言ってたはずの影山がいきなり卒業したらカナダに行くって言ったり、ちょっとええって展開もあったけどさ。
 
『今偶然ここにある何もかも、失いたくないと思った』
この世界の殆どは「偶然」とか「たまたま」で出来てるものでそこに必然があったかどうかはわからないけど、「今そういう世界に自分がいる」というのは偶然やたまたまの積み重ねの必然だと思うんだよな。それは自分が選んできたものだからこそ、柳教授の言う「自分で決めていい」だと思うんだけどさ。
欲しいと思った瞬間にそれが(野菜売場ですら)「キラキラした物」になるんだけど、それは自分でそれを特別だと思う気持ちがなきゃダメだし、その特別さをいいと思うかどうかってのも考え方次第だと思うわけ。平太の胸の傷をカッコイイという中尾はそれが特別だと思うからだけど、平太からしたらその特別さは人と違うということを我慢しなきゃけないことで、それを我慢するために「その気持を小さく折りたたんで」いってた。不公平だという恨みとか苦しみを我慢するってのは自分の居場所がないってことだよな。でもその平太の居場所がないという苦しみも、家族からしたらそれすらも平太が平太である‥‥ということなのが救いだけど、当の平太は気づいてるのかいないのか。
心臓の音で個人を識別してるQ10からしたら、最初の久保くんのメモの久保くんの字も心臓の音と同じ意味なんだろうけど、みんながそれぞれ違ってるってことはみんながそれぞれ特別だっていう事と同じなわけで、それに気付かない平太も、貧乏な藤丘も、目立つために髪を赤く染めてる山本民子も、ロボットだからQ10が欲しいという中尾も、影山を好きな河合さんも、自分が自分であるためのなにかキラキラしたものを欲しいと思っていろいろ悩んだり無駄にあがいたりしてるってことかな。
その中で影山は、河合さんが好きだということをクリアしちゃったからその次を考えてるってことかと。
それは河合さんとおなじ大学に行くということよりも大事な、自分が自分であるために何を選ぶべきかということで、映画監督になるためにカナダってのは相当唐突だけど、まあそこはいいや。「河合さんが好きな自分」がベースになってるから自分のやりたいことが見えてきて、それは大学進学じゃなかったってことだろうけど、大人からしたら高校生が彼氏彼女と同じ大学に進学するってことの愚かしさってのはわかるんだよ。それは「自分らしさ」じゃないからね。だから影山が正しいよ。
まあでもそれも「自分で決めていい」の一つではあるんだけど、じゃあ自分って何って言う、山本民子の捨てた「相手に合わせる」ってこと、イコールそれは「自分らしいとは限らない」かなあ。
結局小川先生の背中に書いた「オレは高校教師だ」が象徴してるものって、自分の立ち位置を認識することが自分らしさだってことなんだろうけど、背中に書いてるから自分では見えないってのがポイントだよなあ。自称だけど(笑)
服を脱いだら何者なのか。
藤丘の貧乏はQ10につけた漫符記号みたいに単なる貧乏という記号であって、ツギハギ貧乏マークでレッテルを張って見かけの価値を貶めることと、Q10が欲しいといった表情=感情もそういう記号でしかないとすれば、ロボットと人間の差もそういう記号でしかない‥‥っていうと相当乱暴かなとは思うけど、でもこのドラマの場合、たぶんそこがロボットという一般固有名詞の「物」とQ10という名前のついた「存在」の違いであって、平太がQ10を中尾にはあげたくない理由なんだよな。
そこで人間の命とロボットの命とどっちが大切なんだよ、と言われてQ10だよという平太はQ10をロボットだとは思ってないんだけど、ちょっと微妙だなと思うのは、でもそこで中尾の命とQ10を手放す(リセット込みで)ということを同列で語られてもってことかなあ。さすがにそれは。中尾がバカだってのはともかくとして。
まあ中尾の言ってることって、前提として中尾が死ぬことはない=Q10が手に入るっていう話だから随分卑怯な取引だよな。どっちにしても飛び降りたら手に入らないんだからってのはあるけど、そうまでしても欲しいという気持ちはさすがに‥‥平太も引くよw
ただそれを中尾の妄想か、なんかの超常現象か、富士野の脅しが聞いて、結果は変わんないんだけど中尾が苦しんだってだけでいいかなとも思ったり。つか、ここ怖いシーンだよなあ。中尾が予想外の「平太が死ぬ」ってことをそのあとの世界で生きていけるかと問いかけるって。それでQ10が手に入っても幸せになれるわけないじゃん。
今回はちゃんと久保くんのところにお見舞いに来た平太だけど、やっぱりちょっと死の影がありすぎて怖いなあ。
久保くんと平太の仲だから正直に言い合えるんだと思うけど、今が幸せで死の影に怯えることもない、その怖さを「忘れてた」っていえる幸せを久保くんに言われないと気がつかない平太と、忘れてたと言える関係はいいけど、それは結局みんなそれぞれで生きていかなきゃいけないってことかなあ。同じだけど立ってる位置は違うっていう。それを「共感」とか「理解」っていうんだと思うんだけど、立ってる場所は違ってもそれで人と人は繋がれる‥‥ってことかなあ。
『俺はここにいると、立っている。ああ‥‥そうだ、俺たちはここにいる』平太の鉄塔は「Q10のいる世界」との出会いだから‥‥そこが平太の居場所だと決めたんだよな。それで「ロクでもないもの」が開くって、それは中尾の執着みたいなものを言ってるのかなあ?危ない場所ってそういう事だよな。でも開いてみなきゃわかんないと思うけど。

『どこまでも一緒に行けたらいいのに‥‥二人でさ。ずっと遠いとこまで』これはちょっと宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラっぽいな。どっちかというと久保くんがカンパネルラだと思うけど。
あとチロちゃんが逃げたとき愛獣に来た足元だけ映ってた、あのミリタリー調の感じは富士野かなと思ったけど、わざとスルー?
 
しっかしこの脚本すごくめんどくさいと思うんだけど、あれかなあ、キーワード書いたメモ式かなあ。同じメモを毎回テーマに沿って何かを足してまとめ直して進化していくって感じの構成っぽいな。
そういやこれ買った。「Q10」の1~3話のシナリオが載ってるって。まだ読んでないけど。

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