そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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任侠ヘルパーSP

http://www.fujitv.co.jp/ninkyo-helper/index.html http://www.fujitv.co.jp/b_hp/110109ninkyo-helper/index.html
脚本:古家和尚池上純哉 演出:西谷弘
今回の任侠ヘルパーSP、作ってる方はどういうつもりでこういう話にしたのかはわからないけど、一度「任侠ヘルパー」としてキレイに終わった話を、「翼彦一の物語」としてちゃんときっちりケリをつけてて良かった。
その分再開した「タイヨウ」の介護事業のあり方とか、老人の孤独死の問題や、福祉事業に見せかけた犯罪スレスレのボッタクリ商売(あれ、いわゆる昔のダイヤルQ2みたいなもんだよなあ、いやシステムはしらんけど)のネタがとっ散らかった感はあるけど、これはしょうがないかもな。
TVシリーズ本編と同じように、それらのことに彦一は余計な首は突っ込まないけど、ただ関わった人間に対しては彼なりの温情というか筋は通すってだけで、それは彼が根っから極道だからという生き方の問題で晶の介護をしてても彼自身は別段変わる謂れはないから、それはまあ分かる。
ただ、今回の話でスタッフが偉いなあと思ったのは、最初から最後まで因果応報の話にしてて、本編で介護絡みで筋を通したことが妙に任侠だのなんだので極道を持ち上げた形になってたものを、しょせん極道は極道でしかないとバッサリ切り捨てで描いてることかなと。
介護絡みの話を抜きにすると、彦一の方の話としては、再開したタイヨウに花持たせたくて樽川のとこのふれあいコールから抜いた顧客名簿のせいで、結果として晶は命を縮めたのは彦一が極道だったからだし、ちょっとした縄張り争いのいざこざから自作自演で殴りこみをかけたリコや二本橋たちはハメられて樽川の地上げに協力した形になり、結局ムショ送りという、どう考えても「しょせんアイツら極道だからなあ」と言われてもしょうがない結果になってるんだよな。
リコたちにまったく弁解の余地がないのはともかく、いいことした気になってた彦一もしょせん極道でしかなくて、本人がどう思おうと他人から見たら同じ極道だっていうのは背中の入れ墨がそうであることを物語ってて、それは樽川も五郎もそうなんだけど、ただ生き様次第ではその極道的なものが周りの人間を幸せにできないとも限らないんだよな。そういうのが弱気を助け強気をくじく「任侠」の心意気じゃないかとは思う。だから米長さん(北村総一朗)は、たぶん彦一が極道だっていうことを知っていながらも、晶のために足洗って、彼女の面倒見てることを”今の彦一”として見てるんだろうし。
この話が「翼彦一の物語」なのは、そういう彦一の生き様をさゆり(ミムラ)のいう「最後の1%が幸せなら、幸せな人生だったと思えるんじゃないか」にもっていってるところだと思うんだよ。
さゆりの言うそれが偽善っぽく聞こえていたのは、言ってるさゆり自体がそれの意味を考えてなかった、最後の1%で幸せだと思えるとはどういう事かというのは、お父さんの米長さんが言ったような、そこまでをどう生きたのか、幸せであろうと努力したかが、最後に「幸せだった」と思いながら死ねるかどうかって話だからだということだよな。
晶が幸せだと思えたのは彦一と涼太ががずっと面倒を見ていたからで、それを晶が幸せだと感じていたからに他ならないんだから、それは指輪なんかもらわなくても十分だったってことだし。
それでも彦一が樽川のところに殴りこみに行くのは彦一のけじめのつけ方かもしれないけど、そこで落とし前をつけるというのが極道だから、仕方ないんだよな、きっと。堅気の人間たちからしたらそんなことしても故人は喜ばないというのがまっとうな意見だろうけど、そこでそうせざるをえないのが極道の生き方なのかもな。
最後に涼太との別れでいつも「クソガキ」って言ってた涼太の名前をちゃんと呼んだのも涼太に対してのけじめだと思うし、キャッチャーの景品はなんだろ、世の中はイカサマばかりだから上手く渡れってことなのかなあ。彦一の涼太へのメッセージとしては良かったかな。
彦一はたぶん中身は変わってない極道のままなんだろうけど、晶を好きになったということで他人をちょっとでも幸せにすることができたという実感は持てたんだと思う。そのせいで変われるかどうかってのは、これからの生き方なんだろうけど。
まあ話としてTVで終わってるから、もうヘルパーをやっても介護の話ではないし、そういう意味でまとまりがあるわけではないけど、これはこれできっちり終わってて良かった。
ただ脚本としてちょっとわかりにくいところがあるから、もうちょっといらんとこ削って必要なところは十分描写して欲しかったかも。
あと静江さんがなくなったときの「手配が良すぎる」ってやつ、たぶん樽川のとこのふれあいコールに登録した時点で彼の会社系列の清掃業者とか葬儀社とかで手配するようにした、孤独死見越したおいしい仕事で、それがそもそも老人大国のこれからの日本でヤクザが合法的に荒稼ぎできるシノギってやつ‥‥だよね。設定はきっちり作ってるのに説明すらしてなくて(そこに触れるだけでも樽川のやり口と今のヤクザの現状がわかるのに)ちょっと勿体無かったんじゃないかと。
そもそもふれあいコールの解約者が減ったのはより良心的なタイヨウの事業(=六車の事業)に流れたからだけど、そこで彦一が抜いた顧客名簿は有効活用されてはいるけど、それだけの理由にする必要もないと思うんだけどな。晶が乱暴されたことを彦一のせいにもしてないんだから、あんまり意味が分からないよ。
立花さんの話はあんま必要なかったんじゃないかなあ。奥さんを幸せに出来てなかった、「家族を幸せにする」ということを履き違えていた人の話ってだけだよな。米長親子の話ともあんま上手く絡んでないし。
脚本二人ってどっちがどうな比率かはわからないけど、かなり難しい話だからもうちょっと手を入れて欲しかったかもなあ。
あとCM多すぎですよ。録画で見ててもちょっとウンザリ。入れどころは考えてほしいなあ。