そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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ソーシャル・ネットワーク

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監督:デヴィッド・フィンチャー 脚本:アーロン・ソーキン(原案:ベン・メズリック
 
フェイスブック創始者マーク・ザッカーバーグフェイスブック立ち上げの話。だけどちょっぴりフィクションも入ってるらしい。
本当はどうだったのかってのはともかく、映画はすごくスピーディで面白かった!ちょっと「スラムドック・ミリオネア」みたいな疾走感があった。
最初、マークが新しいSNSの話を持ちかけられてそれを作り始めるまでは普通にストーリーが進んでて、突然現在の訴訟についての話し合いをしてるシーンが入ってきて、その後は時系列だけど訴訟内容の事実確認を過去回想とかぶらせて見せていくという手法。
2つの訴訟内容のマークとウィンクルボス兄弟、マークとエドゥアルドのことと、ショーンの事がメインで、なんていうか、ナレーション入れてちょこっと再編集かけたらそのままTVのドキュメンタリー番組になりそうな感じの、感情を排した客観的な作り。
ただこれ普通に見てもマークの失恋から成功の青春物語としてたぶん面白いと思うけど、実話に基づいてるし、基本的な知識くらいはあったほうがより面白いかな。
少なくともオレ基準で言っても、ハーバード大学がどういうレベルの大学か、ウィンクルボス兄弟たちが入ってるファイナルクラブ(社交クラブ)がどういうものか、ボート部に入ってるのはエリート(本来の意味での)、ナップスターがなんなのか(Winnyの大元ね)、ビル・ゲイツが誰なのか(笑)と、ヴィクトリアズ・シークレットのことも知ってたほうがいいよなw(パンフの最後に解説が載ってるから先にそれ見てもいいかも)
あと多少のコンピューター知識くらいは知ってたほうが楽しめるかも。
 
でまあ、映画としては、一言で言っちゃえば、マークはオタクな天才だから悪気があったわけじゃないし、しょうがないよ‥‥って話だよな。
頭の回転が早過ぎるから言ってることが普通の人には(ハーバードに行くような秀才でも)理解できなかったり、色んなことを忘れちゃったり覚えてなかったりして無責任に見えるし、なにより歯に衣着せないストレートな物言いがすぎて、敵を作りやすい上に誤解も招きやすいというものすごく付き合いづらい人だってのが問題ってだけか。まあ性格も結構悪いけど(苦笑)
マークに限らずだけど、これはあくまでもデヴィッド・フィンチャーアーロン・ソーキンが思う彼らであって(あとでパンフ見たら本人インタもしてないらしいし)、その点では最後に新人弁護士の女性が言った「本人が本当はどんな人間であれ、ネット上に上がった事実で判断される」(ちょい意訳)という視点でのマーク・ザッカーバーグとその周囲の話なんだよね。
でもそのドキュメンタリー風の視点のせいかあんまり感情的な部分が入ってないから、マークが悪い人間に見えないってところで、話自体は見やすいし分かりやすくて、面白かった。
そもそもの発端のマッチョなエリートで超リア充のウィンクルボス兄弟との話にしても、マークが言うとおり「アイツらは人生で初めて自分たちの思うとおりにならなかったのが許せないだけなんだ」っていう、その通りだし。
ただなんでそれが盗用訴訟になるのかって言うのも、やっぱり見る側にそれなりの見識がないととは思うんだけどさ。
彼らの主張が正しいかどうかは、ちょっとした自分たちのための出会い系サイトを作るためにマークを利用しようと思ってた程度の話が、その事でマークが着想を得てスゴイものを作ってしまったらその権利は当然自分たちにあると主張することの是非なんだよね。
主張するのは勝手だし、それってたぶん勝ち組からしたら当然なんだろうけど、彼らがマークなしで同じものを作れたかどかはわからないしそんな保証もない。それを主張したいなら別の新しい何かを作れという元財務長官のハーバードの学長の言うことはもっともで、だから相手にされないという(笑)紳士たれと言いながら一番そに遠いことをしてるんだよなーバカだよなーw
でも彼らみたいなマッチョで行動力とお金はある搾取する側、勝ち組メンタリティの人間からしたら、そんな無茶なウィンクルボス兄弟の主張は当然に見えるんだろうね。そういう意味では彼らの主張は正当性があるように思えるというね。
 
ショーンはナップスターを作った人間で、たぶんマークと同じような天才でオタクだけど、ただ遊び人のカリスマ属性だったってこと。でも言ってることとやり方は正しいよな。ヴィクトリアズ・シークレットの話も興味深かったし、その後のFacebookの方向性を彼なりに上手く言ってるし。
ショーンとの会合で、まあ「ナップスター」を知らないエドゥアルドもどうかと思うけど、知っててもきっと胡散臭く思っていただろうし彼らは合わないと思うんだけど、ショーンの話を聞いてるマークの表情がいちいち彼らが似たもの同士で、これからの「the Facebook」がどうあるべきかということに関して同じものを見てるということが分かるのが面白かった。そしてここでマークとエドゥアルドがもうダメだろうなっていうのもね(苦笑)
まあただショーンを切ったのはマークかもしれないしそうでないかもしれない、彼がそんなめんどくさい手間を掛けるかどうか、それともFacebookのためならそれくらい平気でやることができるかどうかってのは見る人次第だよね。
 
んで、エドゥアルドとマークが上手くいかなかったのは、単純にエドゥアルドがマトモな常識人だからだよな。彼が悪いんじゃないしマークが悪いんでもない。ただFacebookに関する考え方が違っただけかな。
一応そこら辺は悲劇として描いてるから、この映画の中ではエモーショナルで面白いところだね。
だって映画を見てるだけでもマークがどういう人物でどういう考え方をするのかハッキリ分かるだけに、エドゥアルドが気の毒でならないよ。しかも彼はそんなマークのこと一番わかってたはずなのに、結局あの変な嫉妬深い女に引っかかるような普通の人でしかないんだよなあ(苦笑)といったら可哀想かw あの女、おみやげのスカーフ燃やすとかありえないw
でもFacebookCFOなのにFacebookを使ってなかった、更新の仕方も知らないってのはやっぱりないと思うなあ。
マークにスタンフォードに来いと言われてもそう出来ないフットワークの鈍さとか、旧来のビジネスモデルでしかFacebookの成長の可能性を理解してなかったとことかは、地道といえばそうだし、その常識的なところは逆にマークのストッパーだったと思うんだけど、結局ついていけないというかぶち切れたのが最悪の結果に‥‥という可哀想な展開。たぶん疲れてたんだよな、彼は(^_^;)
まあずぶ濡れのままマークと話してるとこでなんだかもう恋人同士の別れ話みたいな雰囲気で、こりゃダメだとは思ったけどさー。やっぱ遠距離恋愛はダメなんだよ(苦笑)というかまるきりマークは下積み時代を支えてきた一般人の彼女(→エドゥアルド)を振って、カリスマモデル(→ショーン)と結婚した‥‥みたいな感じじゃん。
ちょっとわからなかったのはエドゥアルドの持株比率の書類のサインで、株の希薄化に備えてとか言ってたのになんで上手いことやられちゃったのかってことなんだよな。それとも劇中で説明してたけどオレが理解できなかったのかな?あれって旧株と増資分含んだ新株の分をわざと誤認させてサインさせたってこと?
まあ計算してみると0.03%でも相当な金額にはなるけど、それってむしろマークからしたら体のいい手切れ金だよな。そりゃエドゥアルドが怒るのは当然だけど、どちらかというとエドゥアルドはお金よりもマークと上手くやりたかっただけじゃないかなと思うんだよなあ。まあどっちもどっちだけど。
天才でオタクゆえに非コミュのマークが、失恋をきっかけになんとか元カノのエリカとヨリを戻したいと思ってFacebookというSNSに入れ込んでたのに、実際はいろんな人間との関係が反故になっていくという皮肉が面白いけど、強烈だなあ。
スパイダーマンで、「大いなる力には大いなる義務が伴う」とピーター・パーカーが言われて、いろんなものを犠牲にして闘ってるけど、ちょっとそれにも似た感じかなあ。突出した力を持つヒーローは孤独ってこともだけど。内向的だってのもな。
マークはフラれた彼女を見返したい、認めて欲しいと思ってただけが、上手く世間のニーズと一致して思わぬ力を持ってしまったけど、持って、それを維持していこうと思う以上捨てざるをえないものが多くあり、それと引き換えに手にするものも大きいけど、本当に欲しい物は手に入らないというね。

まあでも結局この映画のマーク・ザッカーバーグは自分の分身であるだろうFacebookが成功すること、それはつまり人と人とを繋げてより良いSNSであり続けることだけど、それが完成することはないと言ってる以上ずっとそうして行くしかないんだろうな。もちろんそんなマークに彼女なんか出来るわけないと思うんだけどな。(というかついていける女性がいるとは思えないw)
多分一番彼を理解してくれてるのはエドゥアルドだと思うから、昔のように仲良くなれればいいなあと願うよ。一応名前は復活して持株もあるみたいだけど、どういうことになったのか、ちょっと興味あるなw
あとちょっと面白いと思ったのは、マークが冒頭で彼女と話してるとこで、頭の回転が早すぎて早口で話も飛び飛び、無意識に毒吐きまくりでしかも何言ってるのかまったくわからないくらいよく喋るというのを見せときながら、あとの話し合いのとこではほとんど喋んないってとこかな。
プログラムやアイデアについてはよく喋るけど、無駄なことは喋りたくないし、意味のないことは言っても無駄だという感じで合理的に自分が必要なことしか喋らないのに、彼女に対してどうでもいいことまで話題を振ってるのは、もしかして彼なりのサービス精神だったのかなあと思うとそのコミュニケーション能力の低さに泣けるけど、なんかある意味的はずれな天才性で微笑ましい感じだなあ。
あとエリカはFacebookがマークが作ったものだってわかってて登録してんのかなー。まあ彼女の中ではすでに”関係ない人”だろうけどね。エリカのページを見て「友達になる」を送信しそうになるマークかわいそ。
 
あとFacebookmixiの違いでお国柄という人もいるけど、たぶん基本的に学内SNSが出発点、つまり実名ありきの実益重視でリアルをネットに移し変えたFacebookと、最初からリアルじゃない仮想コミュニティとしてネットを逃げ場所、匿名の井戸端会議として使ってる人が多かった日本の違いはあるんじゃないかなあ。
mixiも完全招待制でブームになる前はリアルの繋がりを持ち込んでたはずだけどね。
でも日本人って実名のものって「村」じゃなくなるとたぶんダメになるんじゃないのかなあ。世界とは繋がってないんだよね、もともとの意識が。だからmixiは閉鎖的なとこで上手くやれてたし、同じSNSでもFacebookみたいなのが入る余地がなかったんだと思うんだけどなあ。違うかなあ。