そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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妖怪人間ベム#1

http://www.ntv.co.jp/bem/
脚本:西田征史 演出:狩山俊輔
 
うっかり予約忘れてたから夕方の再放送分だけど、本放送って初回15分延長だったからどっかで10分くらい削られてるんだよね?なんかいろいろ話が簡単だなあと思ったのって、そのせい?どちらにしても内容的に詰め込んでるわけじゃなさそうだけど、何かが削られてるっぽいのはわかるから、まあそこはいいか。ちぇー、フルで見たかったなあ。
原作通りならいかつい紳士のベムを華奢な美青年にすることで、より妖怪人間=ホムンクルス?の「人間になりたい」という願いが悲劇的で儚く切なく思えるってのは、ドラマの大いにスバラシイ改変かなあと思うところ。それだけでも実写ドラマにしてよかったと。しかもこのキャスティング素晴らしくハマってるし!
杏はあまりにもベラすぎ、むしろ杏がベラなんじゃね?ってくらい。福くんもベロすぎる。そして亀梨は美しすぎる。久しぶりに繊細に美しい亀梨だよ (*´▽`*) 視聴率もよかったみたいで、よかったよかった。亀ちゃんが報われてくれればオレは嬉しいよ。
原作アニメは昔見てたはずだけど、オレこの手の暗くて悲しい物ってあんまり好みではないからはっきりとは思えてないんだよね。始まる直前の夕方に再放送やってて、まあチラチラとは見てたけど別に今の時代に見てどうこうってものじゃないしなあ。 *1
でもこれってさ、ベラとベロはともかく、ベムがおっさんの大男から亀梨になるのって、相当お話の見え方違ってくるよね?
見え方以前の話だと単純に原作では親子3人連れに見せかけてたあの妖怪人間の3人が、ドラマじゃどう見たって親子には見えないというか、杏のベラと鈴木福くんのベロはなんとか母子に見えるけど、亀梨のベムと福くんのベロは親子には見えないし、杏と亀梨じゃどう見ても姉弟だと思うんだけど、どうだろ?(^_^;)(と思ってwiki見たら、亀梨と杏って同い年なんだな!杏ってまだ25だったのかビックリw)
まあそれとあの格好はともかく、人間の世界に多少なりとも関わって生きていくなら、名前くらいは偽名を考えとこうよと思わんでもないな。アニメだと当然気にならないんだけどさw 何でもいいよベム田ベム郎でもいいよこの際w
 
それはさて置いても、お話はなんとなくよくわかんなかったと言うか、ベムたちは人間になりたいと思ってさすらってるんだろうけど、人間よりも人間らしい正義の心と温かい気持ちを持ってて、それでも人間になりたいと思うのはわかる。でもじゃあこのドラマ的には、彼らに何が足りないのかなあ?(原作はかなりうろ覚え)
ベロが人間の「涙」で人間になれるかもと気がついたのはいいけど、ベムたちは涙を流せないわけじゃないよね。それとも涙の意味が分からないってこと?夏目刑事の傘を差してくれる親切に、ベムは雨の中人間に裏切られて迫害されたことを思い出して涙したけど、その意味がわからないとかそういうことなのかな。ベムたちが人間になることはないと思うけど、何をどうすることが目的なのかなあ?目的というか、ベムたちの自分探しが終わる条件って‥‥?と思っちゃったと云うか。
だって「助けを求めてる人間を見捨てたら、俺たちは本当に妖怪になってしまう」んだよね。彼らの、というかベムの思う人間像ってのがあるわけじゃん。ベムはどんなに人間に裏切られても信じたいんだよね。憎まれ口叩いててもベラもそうだろうけど、人間を信じられないというのは彼らのなりたい「人間」を否定することになるわけだし。自分たちがなりたい「人間」というものはとても美しいものだと思ってるんだけど、実際出会う人間たちはいろんな意味でその理想通りではなく、それが彼らを苦しめ悲しませてると思うんだ。
でもどんなに人間らしく美しい優しさと正義の心を持ってても、醜い妖怪人間の姿をした彼らは絶対に人間にはなれないよね。しかもこれって人間らしい心を持ちつつ、醜い妖怪の姿をしてるからこその悲劇なんだよね。そういう悲劇は美しく悲しいっていう話だよね。原作当時ってそういう時代だったと思うけど。銭ゲバにしても何にしても。 *2
この話が見た目と内面のギャップの悲劇の話なんだとすると、今回の畑山刑事の話ってなんか中途半端なんだよな。
もしかしてカットされてるのかも知れないけど、畑山刑事は本当は息子をいじめで自殺に追いやった少年たちを本当は殺したくてしょうがなくて、それを謎の男(柄本明)に後押しされただけなんだけど、それって操られてるわけじゃないじゃん。彼は本心からそう思っていて、だから自分のやったことも後悔してなくて、でもそれを社会的な立場や道徳心で抑えていたのは、それは彼が「人間だから」なわけで、むしろこの話にふさわしいのは、見た目は美しいけど心は醜い者を「人間」とみなすかどうか、もしくは醜い心(復讐心とか)を持つものは果たして人間なのか‥‥という話なんだと思うんだけどなあ。ベムたちの理想の「人間」は、そういう醜い心を持たない人間じゃないかと思うし。
だったら畑中刑事も、内面はドロドロとした醜いものを抱えていた、それでも夏目刑事にとってはいい先輩だった‥‥って話じゃない?なんかわかんない気の迷いでしたで済んだら、なんか意味ちがくね?人を殺したいと思うことを認めるんじゃなく、そういう心は醜いんだってことを認めないとダメなんじゃないかなあ。
この話って妖怪人間であるベムたちが目指す「人間」というものの本質はどういうものなのかを描く話じゃないのかな。
人間らしさって何か?見た目や出自で中身を決めて差別するか、見た目関係なく中身の人間らしさで判断するのか。善や悪の本質はどこにあるのか?醜い心を持っているのも人間で、それを抑えられるのが人間の「人間らしさ」だと認めるかどうか。
この作品って平和とか正義のヒーローとか言ってるけど、言葉通りのそれを問う話じゃないと思うんだよなあ。「正義」=「善」だというなら、子供にわかりやすくそうしましたって話でいいんだけど。
まあしょっぱなからそんな重いネタをやるのもあれかも知れないけど、ベムたちの立場と存在の意味と彼らの自分探しを考えるとそういうことじゃないかな。
でも視聴者の自分たち、子供の頃に見てた時だって彼らが人間になれるとは思ってなかったし、善き心を持つ彼らが絶対普通の人間にはなれないだろうと思ってても、それゆえ人間になりたいと思う心は今見るととても悲しく美しく、叶わない夢を追いかけるからこそ彼らはいつか人間になりたいと思う「妖怪人間」でなきゃいけないのかなと思ったり。
人間の中には憎しみで人を殺したり、見た目で差別して迫害するような醜い心を持っている人もいるけど、それを知ってなお理想の「人間」を求める彼ら妖怪人間が切ないんじゃないかなあ。
人間が「人間である」ことの傲慢さを醜く暴いて、人間でない者たちの心根の美しさを描く物語なら、それはそれで今この現代に実写で見る価値はあると思うんだけどさ。なんつか、女性になりたいニューハーフのほうが、本物の女性よりもより女性らしいということに似てるというかなんと云うか(笑)
そして夏目刑事と絡むというなら彼らはしばらくあの街にいるってことだよね?夏目刑事っててっきり父子家庭だと思ったんだけど、奥さん影薄くない?それとも単に再放送バージョンはカットされただけ?
まあ怪物くんとは別方向に本気度の高いなりきりっぷりなので、お話の方はもうちょっと頑張ってほしいなあと思うところです。亀ちゃんも美しいしな!
 

*1:原作はうろ覚えなんだけど、妖怪退治をしてさすらいながら人間になる方法を探すっていう話なんだとしたら、ベムたちの敵である「妖怪」って、人間の心を捨てた人間のメタファーだと思うんだよね。人々を苦しめる悪い人間よりもベムたちのほうがよほど人間らしいんだけど、見た目は同じく「悪」に見えるというのも彼らのジレンマなんじゃないかな?

*2:ドラマは松ケンだったけど、原作は醜い小男で、見た目と生まれで蔑まれてるなら見た目通りに汚いことをして生きていく、それに対して緑さんは生まれも良くて見た目も美しくてっていうその対比の話で、見た目も心も醜い風太郎が絶対手に入らない善きもの・美しいものを求める話だから切なかったと云うか…