そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

リーガル・ハイ#8

http://www.fujitv.co.jp/legal-high/index.html
脚本:古沢良太 演出:城宝秀則
 
「親子の絆は深くて強い!」
「深くて強い絆だから困難なんです!」
 
今回の話はメッチャ面白かった!
まさかの古美門父、清蔵が中村敦夫。最後は当然「木枯し紋次郎」のテーマ曲がーwwwww!
そして古美門の子供時代、小憎らしすぎるwww むしろ子供の頃からキモかった、まさにリアルパタリロ(笑)
子古美門がこの古美門になった理由もさることながら、親と子の絆の難しさというものにこんなにもズバッと深く切り込んでくるとは。
普通なら朝ドラ娘・黛の言ってるようなオチになるとこだよな。や、そんな展開このドラマにはそもそも望んでもないし、そうなるとも思ってないけどさ。
依頼人の人気子役タレント、安永メイとその母親留美子さんの微妙な共依存関係と反発。こっちも表面的な取り繕いのないぶっちゃけ母娘で、そこら辺は容赦無いというか、取り繕ってた時期はもうとっくにすぎてしまったってことなのかな。
でもどっちが悪いかといったらやっぱり母親だろうと思うな。まあこのドラマ場合、どっちが悪いかはあまり関係ないんだけど。
ホスト通いだとか買い物だとか男遊びだとか、そういうやってること云々というより、単純に精神的に病んでるよね。搾取してるつもりもないし、依存してることに気がついてもないというところで、大人であり母親としてはアウトで、病んでるからといって許されるものっでもないと思う。沢地が言うようにメイの反抗期ってことでもないと思うし。あと病んでないとしても普通に留美子さんって酷い性格だし。

メイちゃんのほうも、確信犯にしてもやってることは子どもとしては逸脱してるけど、彼女の場合少なくとも母親よりは賢かったから(賢いゆえの悲劇か?)、そういうやけっぱちの放蕩自体が苦しんでるということだと思えるんだよなー。別に母親の気を引きたいから非行に走ってるわけでもないし、そこら辺はやってることはともかく、同情。
でも古美門の場合、黛のいう朝ドラ的なヌルいお涙頂戴展開で理解してるわけでもなく、その境遇に同情するわけでもなく、メイのために仕事をする気になったのは報酬もだけど、やっぱりなんとかして親から自立したいと思うメイの立場に共感したからってとこがいい。
メイの「私はサンタなんて一度も信じたことはない」に間髪入れず「必ず勝とう」と返す古美門、カッコイイ!単にサンタクロースを信じてるかどうかという話じゃなく、自分の中の「曲げられない何か」なんだよな。
まあ未だにサンタを信じてる黛や、サンタというシステム(”システム”ってw)はまだなかったという服部さんはともかくだけど、親というものを信じられなくて夢を与えられなかった人間の、魂の叫びだよなあ。
どうでもいけど黛って、こないだの蟹頭村みたいなド田舎で育ったくせに、サンタだの誕生日にキスだのって、どういう家族だったんだろ?(^_^;)
古美門とメイが違うところといったら、母親の期待に応えるために努力してるのにそのせいで余計に母親が病んでいくことに耐えられないから、自ら身を切ってでもそんな母親から離れようとすることが、メイの母親に対する愛情だってことだけど、まあ半分くらいかな。本心は、あれだけ老成してたらそりゃもう外の世界に行きたいと思うだろうなと。なんせシェークスピアを諳んじてるくらいなんだし。
古美門の場合もっと複雑というか、こっちも父親のほうが問題だと思うけど、そういう意味で「育て方を間違った」のはそうなんだと思う。でもそれは清蔵にとっての不幸じゃなく、明らかに完全に、古美門にとっての不幸だよな。
正直この話で、清蔵の愛情がどこにあるのかとてもわかりにくいというのがものすごく引っかかるんだよね。たぶん黛的な考え方じゃないんだろうと思うけど、だからこそこの親子の関係は「困難」なんだよなあ。
結論から言えば、ないんじゃないのかなあ‥‥と思うけど。
責任はあるけど、愛情(清蔵が考える親子の愛情=親の期待に応えること?はともかく)はないような気がする。もしそれが子古美門が清蔵の思うような子供にならなかったから‥‥だとすれば、それもまたねじれてるし、ひどい仕打ちだとは思うけど、それに応えようとしてない子古美門もちょっとね。
だから古美門の側からすれば、彼が受けた教育や仕打ちに対してどれだけの思いで親から離れようとしたのか、そこにどれだけの愛情があったのかと考えると、おそらく「微塵もない」でいいと思うんだよ。親からしたらあるかもしれないと思うのが愛情で、だから留美子はメイに甘えてたんだけど(それを撥ね付けられないことがメイ自身への精神的プレッシャーなんだよね)、古美門の場合、清蔵が甘えてるわけじゃないから本当に縁を切りたかったんだろうし、親の期待に応えられないってのは感じてたんじゃないかと思うけど、決定的になったのはサンタの一件なんだよね。
将来的に偉くなって親を見返してやりたいという思いも、そういう世間一般的な意味では、なかったんじゃないかと思うんだけど。
たぶん子供の頃は「親ならわかってくれるはずだ」と思っていたことを、論理的に説明しなければ信じてさえくれないという体験で思い知らされたわけで、そこに何らかの愛情を感じるのは難しいと思うし、むしろ見返すというより自分を確立することが古美門の考える「成功」ってことなのかなあ。
つまり「すべてのことを論理的かつ効率良く説明出来れば勝ち」という価値観の人生?それって他人と比べることじゃないもんな。
これって、ある意味では「話せば分かる」なんだろうけど、「話し方がわからない」からこその断絶でもあるってことかな。
それを極めることでしか清蔵という呪縛から抜けだせなかったということを考えると、古美門の「深くて強い絆だから困難なんだ」が本当に血反吐を吐きながら獲得した「自分」だということなんだろうし、黛が感動する程度の「親子の絆」なんていうことで、納得して引くわけにはいかないところなんだろうなと。
だから安永母娘がまだ親子の絆を信じられる、手遅れにならないうちになんとかしたかったのは本当だろうし、それゆえ自分と清蔵はもう歩み寄るところはないっていう決別宣言にも似たものかもしれないとか思ったり。
東京タワーとスカイツリーはまんまだと思うけど、清蔵が黛に言った「息子はいません」がどういう意味なんだろうと考えると、清蔵が「東京タワーのほうが大きい」というのは、スカイツリーの存在を無視すれば‥‥ということじゃないかなと考えてみるに、やっぱりもう修復不可能なほど破綻してるのかなあと思わざるをえないんだけどなあ。
そう思うと、服部さんが実は清蔵の息の掛かった草の者wだったという衝撃の事実にしても、親の愛情というより、こういう人間を生み出してしまったことの世間への申し訳なさの方なのかなと思ってみたり。自分ではどうもしたくないしする義理もないけど、少なくとも世間に迷惑をかけないようにというだけ話というか。子供の頃、古美門のお年玉予定のお金で同級生への謝罪のカステラを買って持っていくように指示したということと、服部さんのことは同じな気がする。
もっともサンタというシステムがなかったらしい服部さんは、自分のことを清蔵からのクリスマスプレゼントだと思ってるっぽいけどさ(苦笑)服部さんは大人だなw
まあそこで服部さんが「プレゼントが!」と言ってるのに、気づかないで勘違いして自分が「サンタクロース」だと言う黛はナイスというべきか大ボケだというべきか‥‥w
今回もまた服部さんの過去が明らかになったけど、シャイロックを演じるところは(すまんオレ「ベニスの商人」もロクに知らなんだよw)そもそも田口も
里見浩太朗も俳優だ‥‥と思うとオカシイんだけど、里見さんはベテラン俳優ではあるけどあくまでも時代劇俳優なんだなーというか、そこんとこハマリきれない妙なリアルさがおかしかった(笑)