そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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カエルの王女さま#11(終)

http://www.fujitv.co.jp/princessofthefrog/index.html
脚本:吉田智子 演出:光野道夫
 
まあファンタジーだと思えばこれで全然問題無いです(笑)モチーフの「カエルの王女さま」ってのがそもそも絵本というかお伽話という設定だし。
真の(悪のw)黒幕・安来市市長の登場に、予定調和的にシャンソンズの前に立ちはだかってた市長も味方になって、由芽市民一丸となって前時代的な利権の癒着構図にどっぷりな安来市長とそのドラ息子をやっつけてめでたしめでたしというわかりやすい展開。
書類のミス辺りかと思ってたら由芽市には何の落ち度もなく、安来市の勝手な利権がらみだったとか、微妙にえー‥‥?って話(^_^;)というか、今どきそんなこと許されないよねえ?(苦笑)
ショーというか歌がメインだから、それでみんなが再生するという筋書きはまったくいいんだけど、ただなんだろね、数年前にこれを作ってたらもう少しメリハリあってパンチが効いた、メッセージ性があってテンションの高いドラマになってたような気はするなあ。楽しげではあったけど、なんとなくヌルい邦画テイストというか‥‥何が足りなかったんだろ?企画の問題?でもBOSSも2ではもうダメっぽかったしなあ。あ、それ言ったら脚本家の問題ってことになっちゃうか。そういうわけでも無さそうなんだけど、うーん‥‥ 出てくる風景があまりにも田舎過ぎて「由芽市」というイメージがあまりわかなかったのもあるかなあ。町のみんながゴミ処理場に反対してなかったり、音楽堂の必要性が分からなかったりすることといい。
ああそうだ、「音楽の街」とか市長の家柄が雅楽頭(うたのかみ)の末裔と言いながら話自体にはあんまり関係なかったり、街の人々にとっての音楽堂の必要性がわかりにくかったってのはあるな。何のためにシャンソンズが歌ってるのかというモチベーション、イコール、ドラマのクライマックスに対する視聴者の期待とモチベーションの問題か。
まー、最後に出てきた安来市ミッキー・カーチスのドラ息子がオレの長谷川朝晴wとかいかにも「ドラ息子」すぎて、最後までキャストが好みだったのはやはり楽しかったけどな。
そして小泉孝太郎ときたらあまりにも素なのか演技なのかわからないレベルの演技がステキすぎる(笑)しかも市長になるのかアイツw 孝太郎が政治家一家の一員だってこといつも殆ど忘れてるけど、ちょっとだけ思い出した(笑)
予定調和すぎて引っかかるところもあまりなかったんだけど、最後の澪の旅立ちはなんとなく好きかなあ。最後までなんというか、とてもあの町出身の人だとは実感できなかったし、あの町出身だからどうのこうのっていう展開もなかったけど(^_^;)
別に普通に、故郷に引っ込んだかつてバリバリのミュージカルスターだった恩師のため‥‥でもよかったんじゃないかと思うけど。彼女自身がシャンソンズのため、由芽市のためと思ってない、他人ごとなところが乘れなかったってのはあるかなあ。アメリカ的ビジネスライクな部分と故郷愛は別だと思うんだけど。そもそも由芽市が故郷なんだとしたら、澪の態度ってあまりにもそこに愛着なさすぎるよねえ。
でもまあ、なんとなく面白かったからいいか。
あ、あと、最後なんで牧原アナのナレーション入ったんだろう?なんか「カノッサの屈辱」見てるのかと思った(笑)どうせならそういうEDというか、絵本風に終わらせてもよかったのになw ゲロゲロ。